Book of Shadows
夕日が差し込む校舎。
人気のない旧校舎の廊下を一人の中年男性が歩いていた。
左手にはタグのついた鍵を握り締め、もう片方の手はぐったりとした男の子の襟首を掴んで引きずっている。
そのまま男は廊下の奥にある扉へと向かい、鍵を使って中に入ると一旦男の子を畳の上に寝かせて押入れの戸を開けた。
慣れた手つきで床板を外し、男の子を抱き上げて階段を下りて行く。
辿り着いたのは質素な地下室だった。
男の子の両手を縛り口に布切れを押し込むと、男は嬉しそうな顔で奥の工具箱を探り始めた。
俺はその様子をただじっと見つめていた。
目の前の光景に見覚えはないが、これから何が起こるのか予想がついていた。
血と悲鳴と残酷な笑い声の中で行われる惨劇。
まるで殺戮を楽しんでいるかのように、男は笑い続ける。
狂ったように、何度も何度も男の子の腹に包丁を突き刺しながら。
ふと気づくと男の背後にもう一人、幼い少女が立っていた。
暗闇でも目立つ赤いワンピースを着た長い髪の少女。
腹を裂かれ絶叫する男の子とそれほど年も変わらない。
少女は惨劇を前にしてただ俯き震えていた。
泣いているのかと思い、近づいて顔を覗き込んだ瞬間、目の前がぐらりと歪んで意識が途切れた。
「……ここは?」
気がつくと俺は血塗れの和室にいた。
畳に染み込んだ血痕はすっかり乾いて変色しているが、その血は廊下へと続いている。
ぼんやりする頭を抱えながら用務員室から出ると、廊下の真ん中に"赤い服の少女"が立っていた。
少女はにやにやと笑いながら俺を見ている。
「……お前は何者だ?」
湧き上がる怒りと恐怖心から俺は強い口調で少女に問いかけた。
すると少女は笑いながら"篠崎サチコ"だと名乗った。
確かに見た目はサチコそっくりだ。
着ている服にも見覚えがある。
だが、サチコとは決定的に違うものがある。
この少女には相手を思う気持ちや哀れみの心がないのだ。
他人の不幸を嘲笑い、人が傷つく姿を見て楽しんでいるのだ。
それがたとえ自分と同い年くらいの少年であっても、少年が苦しむ姿を見てこいつは笑っていた。
下品な笑みを浮かべる校長と同じように笑っていたのだ!
「お前は誰だ!何故ここにいる?」
威圧的な俺の言葉にも少女は面白そうに笑うばかりで答えない。
「質問に答えろ!どうして俺の前に現れた!何をするつもりだ?」
少女は腹を抱えて笑うと、少し落ち着きを取り戻してからにたりと笑みを浮かべた。
「お前がサチコであるはずがない。サチコの望みは叶った。もうここに囚われる理由はない!」
すると少女は笑いながら嘲るような目で俺を見上げて言った。
「あたしはサチコだよ?ふふふ……それじゃわかんないか。じゃあもっとわかりやすく言ってあげようか?私はサチコであってサチコじゃないの。ふふふ……理解できた?あはははは!!」
声は幼いが話し方は子供のそれではない。
他人を見下し馬鹿にしている奴の口調だ。
「篠崎サチコの姿をした何か、か。フン、下らねえな」
「ふふふ……ひど〜い、おじさん。妹を捜してるって言うから、あたしはちゃんと教えてあげたのに。……まあ、もう死んじゃってたけどね。ふふ、あはははは」
「……」
こみ上げる怒りを押し殺して俺は少女と向き合う。
ここで言い返した所で無駄な時間が過ぎるだけだ。
こいつが何者であっても、俺の目的に無関係なら用はない。
「ここはどこだ?本当にあの天神小学校なのか?」
「ふふ……そうだよ?」
「天神小学校は14年前に消滅したはずだ」
「そうだね」
にやにやと笑いながら"サチコ"が答える。
昔見た少女とは似ても似つかない下品な子供だ。
「どうしてまた復活している?」
「どうしてだろうね?ふふふ……」
「答えろ!ここでてめえとのん気にお喋りしてる程、俺様は暇じゃねえ」
「ひど〜い」
サチコは不満そうに頬を膨らませるがまたすぐに下品な笑みを浮かべて口を開いた。
「そっかあ、おじさん迷子なんだ。自分がどこにいて何をしてるかわかってないんでしょ?ふふふ……」
「……」
「いいよ?あたしが教えてあげる。ここはね、オルゴールと同じなの」
「オルゴール?」
「おじさん、オルゴールも知らないの?ほら、オルゴールってネジを巻いた分だけ同じメロディーを繰り返すでしょ?それと同じなの」
「……」
回りくどい言い方だが、こいつに文句を言った所で果たしてどれほどの効果があるのか。
「つまりここは"同じ悪夢を繰り返している"と、そういうことか?」
「ふふふ……さあ?どうだろうね?」
肯定はしなかったが強く否定しないところを見ると間違ってはいないのだろう。
だが消えたはずの天神小学校が何故存在するのかという答えにはなっていない。
俺がしつこく理由を尋ねると、サチコは根負けしたように口を尖らせたまましぶしぶ答えた。
「この世界を作り出した人間がいる?」
「そうだよ。前におじさんが迷い込んだ天神小は"サチコ"が作り出したの。自分を見つけて欲しいっていう強い願いが形になったもの。でも"サチコ"はもういない。だからここは"サチコ"が作ったものじゃないの」
「……なら誰が作り出したって言うんだ?」
「ふふふ……知らな〜い。あはははは」
笑いながらサチコが回る。
出所した囚人が自由になったわが身を喜ぶかのように。
「お前がこの世界を作り出したのか?」
「違うよ。あたしじゃない」
はっきりとした答えだった。
どうやら嘘はついてないらしい。
だが肝心な事ははぐらかして答えようとしない。
「お前の目的は何だ?」
「ふふふ……あたしはね、今すっごく楽しいの。ずうっと暗い所にいたから退屈で仕方なかったんだもん」
「暗い所?」
「でもね、そんなあたしを助けてくれた人がいるの。暗い暗い場所で、あたしを呼ぶ声が聞こえたの。だからあたしは出られたんだ」
「……」
相変わらず腹の立つ子供だが、やはり嘘は言っていないように思える。
だがこいつの話が本当だとすれば、この厄介な子供を救い出したという人物がいるはずだ。
そいつは何の目的があってこいつを救い、そしてこの世界を作り出したのか。
「……とにかく、俺様の邪魔だけはするな」
そう念を押して俺は歩き出した。
こいつが何者であれ、俺の目的はただ一つ。
無駄な時間を過ごしている暇はない。
「ふふふ……ここは悪夢の世界。悪夢からは誰も逃げられない」
歌うような声が聞こえて俺は一瞬足を止めた。
だが振り返る事はせずにそのまま歩き出す。
「悪夢は何度だって繰り返すよ。……願いが叶うまで、ずっと……」
「……」
もう一度足を止め振り返った時には、もうそこにサチコの姿はなかった。
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