Book of Shadows

気がつくと俺は一階の廊下で倒れていた。

三階の女子便所で生徒手帳を見つけた後、また地震が起こって床が崩れ落ちたのだ。

そのまま一階まで落下し今まで気を失っていたようだが目立った外傷はない。

幾重にも重なった木片がクッションの役目を果たしたのだろう。

幸運なのか不幸と呼ぶべきか、目が覚めてもこの悪夢は続いていた。

落下した時に落としてしまったのか懐中電灯は見当たらなかったが闇に目が慣れているせいか、それほど不便には感じない。

すっきりしない頭を抱えながら歩き出した俺は、ふと微かに人の声が聞こえたような気がして足を止めた。

「幸村君!!仁王!ジャッカル!聞こえてたら返事して!!」

廊下の奥から聞こえて来たのはまだ幼さを残す女子の声だった。

切羽詰まった様子で助けを求めているようだ。

「どうして誰もいないのっ……」

泣いているのか震えた声が響き渡る。

先程呼んでいた名前にも聞き覚えはないし、霧崎達ではなさそうだ。

やはり他にもここに迷い込んだ人間がいたのか。

……どうする?

"化け物"の俺に問いかけてみた。

もう"優等生"を演じる必要はなくなったのだから放って置いても問題はない。

これ以上面倒事に巻き込まれるのもうんざりだ。

どうせ誰もこの悪夢からは逃げられはしない。

たとえ脱出する方法があったとしても、元の世界に戻った所で同じ事の繰り返しだ。

それならいっそここで朽ち果てる方がいいのかもしれない。

少なくともここには俺を縛るあいつらはいない。

黒崎達もいずれその辺に転がっている物言わぬ死体の仲間入りをするだろう。

ここは俺が言うのも何だが異質な空間だ。

現実の常識が通用しない狂った世界だ。

だが"化け物"の俺には居心地が良い。

霧崎達が俺を否定しようと、この空間は俺を否定したりはしない。

俺の求める"輝き"もここには無いが、そんな不確かな物を求めるより潔く諦めて退屈を紛らわす方が気楽なのかもしれない。

今まで何度も諦めようとして、それでも捨てられなかった取るに足らない望み。

それを捨てるには丁度良い機会だろう。

「……」

俺は踵を返すと声が聞こえた方とは反対方向に歩みを進めた。

だが数歩進んだ所で懇願するような泣き声が聞こえて足を止めた。

「っ……お兄ちゃん、助けて……」

それは瀕死の子猫を助けてくれと懇願するあの飼い主と同じ、純粋な祈りだった。

踏み潰せば簡単に死んでしまいそうな小さな命。

その命が消える瞬間に放つ眩い輝き。

あの光を見た時、俺は初めて死んだ子猫を哀れだと思った。

愛されて、求められて、包み込むような優しさの中で眠りにつく子猫。

死んでもなお失われない命の(ともしび)

美しいと思った。

俺もそうありたいと願った。

誰かに愛されて、必要とされる……そんな存在になりたかった。

「……」

少し迷って、それから俺は来た道を引き返した。

廊下の角から様子を窺うと、闇の中にぼんやりと立ち尽くす人影があった。

中学生くらいの女の子だ。

何があったのかはわからないが服は着ておらず下着姿のまま、途方に暮れたように立ち尽くしている。

靴下さえ履いていない素足には包帯が巻かれ、赤い血が滲んでいる。

顔や両腕にも擦り傷らしき傷痕が見える。

「お兄ちゃん……っ」

嗚咽を漏らしながら呟くその姿を見て、俺は死んだ子猫の事を思い出していた。

この少女も放って置けばこのままここで朽ち果てるだろう。

その辺に転がる物言わぬ死体となって腐り落ちるのだ。

兄や友人を捜しているようだが、その仲間とも再会する事なく絶望に包まれながら死ぬのかもしれない。

「……誰かいるのか?」

気がついたら俺は少女の方へ足を踏み出していた。

それがただの気紛れだったのか本心だったのか、自分でもよくわからない。

ただ俺は確かにこの少女を見て"哀れ"だと思ったのだ。

子猫と同じように朽ちる運命にあるこの少女が。

少女は落ち着きを取り戻すと友人が理科室で襲われているから助けてくれと懇願した。

愚かな望みは捨てたはずだが、気がつくと俺は少女と共に理科室へと向かっていた。

別に本気でこの少女を助けようと思った訳じゃない。

ただ退屈を紛らわす為の玩具に過ぎない。

だから何も望んだりはしない、妙な期待を抱いたりはしない。

……歩きながらそう自分に言い聞かせていた。


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