Book of Shadows

「い、嫌。何なの?これってポルターガイスト?」

パニック状態になった霧崎は慌てて出口に駆け寄り扉を叩くが、その間にも人魂は大きくなって激しく揺れる。

俺は冷静に辺りを見回した後、ゆらゆらと揺れる首吊り死体に目を止めて一気に駆け出した。

ポケットに入れていたナイフを素早く取り出し死体の胸に突き刺す。

すると鼓膜を引き裂くような絶叫が響き渡り、人魂が闇に散った。

がたがたと揺れていた机や椅子もぴたりと動きを止め静寂が流れる。

あれほど力を込めても開かなかった扉が自然と開いた。

「……治まった?」

茫然と呟く霧崎を視界の端で確認して、俺は死体に突き刺したナイフを回収した。

絶命してからだいぶ時間が経っているようで血はほとんど飛ばなかったが、錆びていた刃先が少し欠けてしまったようだ。

引き抜いたナイフを見ていると、ふと背後から視線を感じた。

振り返ると霧崎が震えた目でじっとこちらを見つめていた。

「どうした?」

声を掛けるとひっという引きつった悲鳴が聞こえた。

霧崎は見るからに怯えていた。

たった今得体の知れないものに殺されかけたせいか、自分とあまり年の変わらない少女の死体を目にしたせいか。

懐中電灯を握り締めた手が震えて歯がかちかちと鳴っていた。

とにかくここから出た方が良さそうだ。

そう判断して一歩前に足を踏み出すと霧崎が怯えたように一歩後ずさった。

それで俺も一瞬立ち止まった。

……そうか。霧崎が怯えているのは死体ではなくこの俺か。

一体何がいけなかったのか、少し考えてみたがこれと言った答えは思い浮かばない。

あいつらと同じ"優等生"を演じていたはずだが、どこかおかしかったのだろうか。

いかなる状況でも冷静に対処し、常に他人に気を配り愛される存在でいる事。

それが"優等生"だろう?

霧崎は目の前に現れた人魂やポルターガイストに怯えていた。

だから彼女を助ける為に冷静に考えて対処した。

その結果ポルターガイストは治まって閉じられた扉は開いた。

他に何が必要なんだ?

「……卜部はここにいないみたいだ。他を捜そう」

俺はそう言って歩き出した。

だが霧崎は一層怯えた様子でがたがたと震え上がった。

「な、なんで……」

「?」

怯えた瞳の奥に訝しげな表情を浮かべた俺の顔が映っていた。

「どうしてあんな事……っ」

「何の事だ?」

酷く怯えているせいか、霧崎の言葉は震えていてよく聞き取れない。

だが俺が近づくと霧崎は大きな悲鳴を上げて後ずさりを始めた。

「おかしいよ!なんであんな事できるの?幾ら死んでるからってあんな……っ」

思い出したのか霧崎は真っ青な顔で口元に手を当てる。

「もう嫌だ。こんなの……もう嫌!」

緊張の糸が切れたのか、霧崎はまたパニックを起こしているようだった。

さっきのトラブルには俺もまだ困惑している。

この天神小学校に飛ばされた事もそうだが、ここでは常識では考えられない不可思議な事が起こるようだ。

だがこの状況下でパニックを起こせば自滅しかねない。

あの女子生徒のように……。

「とにかく一度ここを離れよう。落ち着いたら卜部を捜しに……」

「来ないで!!」

俺の言葉を遮って霧崎は俺を睨みつけた。

恐怖心と混乱で揺れているがその瞳には見覚えがある。

あいつらと同じ俺を拒絶し否定する冷たい瞳だ。

それでも俺はあいつらの望む"優等生"を演じ続けた。

そうする事でしか俺は存在を許されないからだ。

だが俺が何を言っても霧崎は全てを否定した。

耐え難い恐怖心に自分が何を言っているのかさえわかっていなかったのかもしれない。

途中からほとんど意味のない罵倒やあてつけへと変わっていた。

最初は適当に聞き流して霧崎を落ち着かせようとしたが、いい加減疲れて来た。

俺の行動を非難し俺の言葉を否定する癖に、単独行動を提案すれば見捨てられると思ったのか急に態度を変えてすがりついて来る。

所詮こいつも両親と同じ、都合の良い人形が欲しいだけなんだろう。

自分の言いなりになる、ただそれだけの存在を欲しているのだ。

急に"優等生"を演じている自分が馬鹿馬鹿しく思えて来た。

これじゃたとえ存在を許されたとしても、それは偽りの自分だ。

都合の良い人形だと認められるだけで、俺自身が望まれている訳ではない。

「……」

俺はポケットにしまったナイフに手を当てた。

どうせここから脱出する望みはないんだ。

この学校には幽霊もいるし怪奇現象だって起こる。

それなら"化け物"がいても異質な存在ではない。

俺はふっと笑みを浮かべると訳のわからない言葉をまくし立てる霧崎の頭の横にナイフを突き立てた。

途端にびくっと肩を震わせ怯えた目で霧崎が俺を見上げる。

「そんなに生きるのが怖いなら、今すぐ終わらせてやるよ」

死体になればその煩い口も少しはマシになるだろう。

少なくとももう俺を否定する事はない。

この地獄のような場所から解放されるのなら死さえも救いになるんじゃないか?

それなら俺は救世主だ。

あいつらの言う"優等生"らしい行動だろう?

「い、嫌……やめて……っなんで?裕也もおかしくなっちゃったの……?」

相変わらず煩い口だ。

その口からは俺を否定する言葉しか出て来ない。

「違う。こんなの違う!だ、だって裕也はいつも私を助けてくれて……格好良くて……島田みたいにチャラチャラしてなくて……っ」

幻想を夢見るのは勝手だが、その幻想を押し付けられた方は息苦しいだけだ。

それに俺はただあいつらの望む"優等生"を演じていただけで、誰に対しても特別な感情など抱いた事はない。

そもそも俺にそんな人間らしい感情があるのかどうかさえ疑問だ。

あいつらは俺を欠陥品だと言っていた。

人間らしい感情がない無機質な存在だと。

……"化け物"だとそう言っていた。

「ねえ違うよね?裕也は裕也だもん。優しくて頼りになる私のヒーローだもん。ね?そうだよね?ごめんね、私ってば酷い事言って。裕也だって怖かったんだよね?あんなの見ちゃったんだもん。当たり前だよ」

溢れ出す感情を自分でもコントロールできていないのか、霧崎は泣きながら笑っている妙な顔をしていた。

懇願するようにすがりついてくるその姿を俺は拒まなかった。

ほっとしたように霧崎が俺を見上げながら微笑む。

その瞬間、俺は枷が外れた獣のように思い切り霧崎を殴り飛ばしていた。

衝撃で床に転がった霧崎は何が起こったのか理解できていない様子だった。

だがすぐに襲い掛かって来た痛みに呻き声を漏らしながら小動物のように震え出した。

見ると倒れた椅子の近くに何か白い物が転がっていた。

拾い上げるとそれは人間の歯だった。

殴った衝撃で前歯がへし折れたようだ。

「あ……が……っ」

霧崎は床に座り込んだまま放心状態で痛みに呻いている。

殴られた頬は思った程腫れてはいないが、前歯が折れる程の衝撃ならきっとすぐに腫れ上がるだろう。

いつも見た目を気にして鏡を持ち歩いている女が腫れ上がった自分の顔を見たら一体どんな顔をするのだろう。

滑稽な自分の姿に笑い出すか?それともあまりの変わり様に声も出ないで放心するか?

だがきっとその時になっても俺に対する態度は変わらないのだろう。

泣き喚き俺を怨んで、そしてあいつらと同じように俺を"化け物"とそう呼ぶのだろう。

所詮幸福の中で生きている人間には俺の事など理解できないのだ。

もう"優等生"を演じて待つのは疲れた。

だから痛みに呻く女を見ても何の感情も湧かない。

哀れだとそう思う心が"化け物"の俺には無いからだ。

「ひいいいいっ!!」

俺が一歩足を踏み出すと、霧崎は引きつった悲鳴を上げながら死に物狂いで逃げて行った。

その後ろ姿はあまりにも滑稽で追いかける気にもならなかった。

俺が"異常"だと言うのなら、お前は"正常"なんだろう?

だったらそれを証明してみせろ。

あいつらの言う"優等生(にんげん)"ならば、有難い神様とやらが救ってくれるんだろう?

"化け物"からも地獄からも救われて幸福な一生を過ごすんだろう?

それを俺に証明してみせろ。


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