Book of Shadows
「刻命、遅かったじゃん。また女子に呼び出されてたのか?」
声を掛けられ振り返ると頭の後ろに腕を回してのん気に廊下を歩く黒崎健介の姿があった。
「この間裏庭でお前に告白してた子、結構男子に人気あったんだぞ?可愛いしスタイル抜群だし、学校のアイドルって感じでさ」
そう言って黒崎は茶化すように笑うが俺は適当に相槌を打ちながら生徒会と書かれたドアを開けた。
「あ、やっと来た!もう遅いわよ黒崎!時間厳守って言ったじゃない!」
生徒会書記を務める山本美月が顔をしかめながら文句を言うと、黒崎は苦笑を浮かべながら頭の後ろを掻いた。
「ごめん美月さん、来る途中"石頭"に捕まっちゃってさ」
「野球部顧問の岩崎先生の事か。そんな事言ってるとまた雷が落ちるぞ」
呆れたように言いながら生徒会長の袋井雅人が大量の書類を持って本棚へと向かう。
室内には他にも二人の女子生徒がいた。
一人は霧崎凍孤、もう一人は卜部恵美だ。
二人共美月の友人で生徒会の仕事もよく手伝っている。
「つーかなんで俺だけ怒られるんだよ。刻命だって今来たばっかじゃん」
「刻命君はいいのよ。ちゃんと理由があるんだから」
「えーそりゃないぜ美月さん」
相変わらず賑やかな面々を見ていると霧崎が生徒会室に常備してあるポットでお茶を淹れながら笑みを浮かべた。
「どうせまた女子に告白されてたんでしょ?聞いたよ。この前2組の大塚さんが裕也に告白して振られたって」
霧崎の話に黒崎がこれ幸いと話に割って入る。
「そうなんだよ。大塚さんって男だったら一度は付き合ってみたいと思う女の子なのにさー」
「裕也はあんたとは違うの!硬派だし、去年のバレンタインデーだって本命以外はいらないってちゃんと断ってたんだから」
「そうそう、どっかの誰かさんみたいに一個も貰えなかったって寂しい男連中でカラオケに直行するような奴じゃないんだから」
女子二人に責められて黒崎は慌てて袋井に助けを求めた。
「くっそー、言いたい放題言いやがって。どうせ俺は負け組だよこんちくしょー!よし、袋井、明後日の日曜もう一回ナンパしに行くぞ!」
「勘弁しろよ。だいたい俺は生徒会の仕事が溜まって……」
それはいつもと変わらない日常だった。
他愛もない日々のほんの一コマに過ぎない。
それでも空虚なこの心が満たされる事はない。
ここにいる俺はあいつらが望む"優等生"であって本当の俺じゃない。
偽りでできた世界なら、自分が偽りを演じていても気が楽だった。
でもそれで得られる物は何もない。
何を得たとしてもそれは全部偽りの自分に過ぎないからだ。
そうやってこの先もずっと偽りの人生が続くと思っていた。
今日、この時までは。
「裕也!!」
突然飛び込んで来た影に俺は少しよろめいて壁に手をついた。
脆い床が二人分の体重を受けて頼りない音を立てる。
気がつくとまたいつの間にか木造校舎の廊下にいた。
曲がり角から飛び出して来たのは生徒会室ではぐれたきり姿を見かけなかった霧崎凍孤だった。
死体だらけのこの場所にすっかり気圧された様子で半泣きになっている。
「よかった、裕也に会えて……!私、このままずっと独りだったらどうしようって不安で……っ」
「……卜部や山本は一緒じゃないのか?」
霧崎はしゃくり上げながら必死に首を振る。
「恵美は二階の廊下で見かけたけど、呼んでも聞こえてないみたいで……。廊下が崩れてて恵美がいた方には行けなかったの……。美月や黒崎達には会ってない。……裕也は?」
俺が首を振ると霧崎は俯いて黙り込んでしまった。
だが右手にはしっかりと懐中電灯を握り締めている。
「それは?」
俺が尋ねると霧崎は持っていた懐中電灯に気づいて片手で涙を拭った。
「さっきそこの教室で見つけたの。電池まだ残ってるみたいだし……。やっぱりここ天神小学校なの?」
「そうみたいだ。保健室に張り紙があった」
「どうしてこんな……訳わかんないよ。あんな怪談話なんかしなきゃよかった……っ」
卜部がどこからか仕入れて来た怪談話を生徒会室で始めたのをきっかけに、"幸せのサチコさん"というおまじないをやる事になったのだ。
そのおまじないは特に怖い話ではなかったが、占い好きの霧崎や山本が乗り気になり結局その場にいた6人でやる事になった。
人型に切り取った人形を全員でちぎり永遠を誓う。
いつもの日々にちょっとしたスパイスを加えただけ。
少なくともあの時はそう思っていた。
だがここはそんな生温いものじゃなさそうだ。
「卜部がいたのは西側か?」
「え?うん。2年生の教室が並んでる方」
「それなら一階を通れば西側に渡れるんじゃないか?」
「うん。私もそう思って階段を下りて来たの」
「行ってみよう」
「わかった」
霧崎は一つ深呼吸すると懐中電灯を握り直して足を進めた。
天神小はそれほど広い学校ではないが闇に包まれているせいか距離感が上手く掴めない。
この深い闇の中に囚われたらどこまでも落ちていきそうだ。
「たぶんこの辺りだと思うけど……恵美ー!どこなのー!」
階段を上がって西側へ回ると、霧崎が闇の中に向かって卜部の名前を呼んだ。
だが聞こえるのは雨音くらいで人の気配はない。
「一応教室も調べておこう」
「うん……」
俺達は懐中電灯の明かりを頼りに一つ一つ教室の中を調べていった。
するとその内の一つに鍵が掛かって入れない教室があった。
壁の隙間から中を覗き込むと、窓際に人が立っていた。
女子生徒のように見えるがここからでは卜部なのかどうかさえわからない。
霧崎が声を掛けてみたが返事はなかった。
「どうしよう。もし恵美だったら……。ねえ裕也、この壁壊せないかな?」
「確かに脆くはなってるが……これはさすがに無理だな」
「そっか……じゃあどこかで鍵を見つけないと。恵美って噂話とか好きだけど怖がりだから……もし中にいるなら早く合流しないと」
「職員室は記憶にないが、一階に用務員室と職員用のロッカールームがあったはずだ。そこなら鍵があるかもしれない」
「うん、行ってみよう」
俺達は一旦教室から離れると一階のロッカールームへ向かった。
その途中で昇降口も調べてみたが窓と同様、鍵は掛かっていないにも関わらず開く気配はなかった。
げた箱の近くには中学生と思われる男子生徒の遺体があり、遺体の左胸には深々とナイフが突き刺さっていた。
誰かに殺されたのは明らかだが、ここには殺人鬼でもいるのだろうか。
「やっぱり開かない……携帯も圏外だし、やっぱりここおかしいよ」
真新しい死体を見て気味が悪くなったのか霧崎は足早にその場を立ち去る。
その後に続こうとして、俺はふと足を止めた。
もしここに殺人鬼がいるのならば武器が必要だ。
「……」
俺は後ろを振り返り、死体の胸に突き刺さっているナイフを引き抜いた。
こびりついた血で多少錆びてはいるがまだ殺傷能力はありそうだ。
こんな物でも何も持っていないよりはマシだろう。
俺はナイフをハンカチに包んでポケットにしまうと霧崎の後を追った。
ロッカールームで見つけた鍵を使って1年B組の教室に入ると、窓際に女子生徒が茫然と立ち尽くしていた。
だがそう見えたのは最初だけで、中へ入ってすぐそれが勘違いである事に気づいた。
その女子生徒は卜部ではなかったが立っている訳でもなかった。
首に巻きついたロープが天井の穴から垂れ下がり、女子生徒の体が僅かに揺れている。
壁の穴から覗いた時は腰の部分しか見えなかったので首を吊っている事に気がつかなかったのだ。
「遺書か」
見ると近くの机の上に遺書らしき手紙が残されていた。
手紙には一緒にここへ来た友人に閉じ込められ、絶望の果てに自殺を決意した事が記されていた。
昇降口で死んでいた男子生徒も彼女の友人だったらしく、彼女を閉じ込めた人物が彼を殺害したと記されている。
「裕也、早く出よう……」
恐怖心からか、震えた声で霧崎が俺の服を引っ張る。
見た所ここには他に気になる物はなさそうだ。
勿論、卜部の姿もここにはない。
別の場所を捜した方がいいだろう。
そう思い出口へと向かうと、突然目の前の扉が手も触れていないのにしまった。
「な、なんで閉まるの?冗談止めてよ……」
扉に手を掛けるがどんなに力を込めてもビクともしない。
何か強い力で押さえつけられているかのようだ。
「ゆ、裕也!」
霧崎が指差した方を見ると、首吊り死体の近くに赤い人魂のようなものが浮いていた。
蝋燭の炎のように宙を漂い、少しずつ大きくなっていく。
それと同時に教室の中に重い空気が立ち込め、黒板や机ががたがたと揺れ始めた。
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