Book of Shadows

「おい!」

唐突に耳に飛び込んで来た声に俺は顔を上げた。

窓から差し込む明かりが眩しい。

「珍しいな、お前がこんな所でうたた寝なんて……ほら、眠気覚まし」

そう言って宍戸は俺の前にコーヒーを置いて向かい側の席に座った。

「……夢か」

何だか妙な夢を見たせいで体が重い。

コーヒーを飲んでもすっきりしないのはさっきまで見ていた夢が嫌にリアルだったせいか。

「生徒会長がこんな所で昼寝してたら他の奴に示しがつかねえだろ。しゃきっとしろよ」

「考え事をしてただけだ」

「あんだけ熟睡しといてよく言うぜ。まあ今の時間は人も少ないし誰も気づいてねえだろうけど、疲れてんなら保健室にでも行って寝ろよ」

地下にあるカフェテリアは校内でも人気の高い場所で、休み時間になるとたくさんの生徒達が集まる。

氷帝学園は中高一貫なので生徒数も多いのだ。

「しかしなんつーか2年連続で生徒会長になるとはな。そりゃ去年からお前らはかなり目立ってたけど、このまま来年も生徒会長になるつもりか?」

「アーン、当然だろ」

自慢の長い髪を揺らしながら宍戸は呆れたようにサンドイッチを掴む。

するとそこへ慌てた様子の向日が飛び込んで来た。

「あ、跡部!やっと見つけた!!」

「おい落ち着けよ岳人」

宍戸が口を挟むが向日はそれどころではないと焦った表情を浮かべる。

「こんな時に落ち着いてられるかよ!おい跡部、大変だ!ユキが倒れたんだ!」

「何?」

冷やりとした嫌な汗が頬を伝う。

「今は保健室で寝てるけど、さっき救急車を呼ぶって先生が……」

「おい跡部!」

向日の言葉を聞き終わらない内に俺は駆け出していた。

体の弱いユキが学校で倒れるのは今までにも何回かあった事だ。

だが今回は理由もなくただ嫌な予感がしていた。

このままあいつが俺様の手の届かない場所へ行ってしまうような、そんな漠然とした不安を感じていたのだ。

「ユキ!」

無我夢中で保健室に飛び込んだ俺は、ベッドに横たわる妹を見て一瞬だけ安堵した。

ユキはここにいる。

俺様の目の前に、手の届く範囲にいる。

だから大丈夫なのだと、必死に自分に言い聞かせていた。

その思いを打ち破ったのは校舎内に響き渡る女の悲鳴だった。

「いや……嫌あああああ!!」

すぐに妹の声だとわかった。

けれどあいつは俺様の目の前に……。

「ユキ?」

辺りを見回して俺は一瞬戸惑った。

そこはどう見ても氷帝学園の校舎内ではなく、見覚えはあるが妙に懐かしい木造校舎の廊下だった。

腐りかけた床はあちこち抜けて、割れたガラスの破片が散らばっている。

窓の外に広がっているのは鬱蒼とした森と雨の音だけ。

ここは、あの悪夢のような場所……天神小学校だ。

「ユキ、どこだ!!」

我に返ると同時に俺は駆け出していた。

正確な位置がわからないので勘で走るしかない。

だが声は上の階から聞こえたような気がする。

俺は階段を駆け上がり二階の廊下に足を踏み入れた。

すると床の上に点々と赤い道標が続いていた。

それを辿るように廊下を進むと、濃い血の臭いが充満してきた。

開いた扉から中を覗くとそこは理科室だった。

教室の後ろは死体の山となっていて、あちこちに血飛沫が飛んでいる。

「っ……」

見覚えのある光景だった。

ずっと忘れようと努力してきた悪夢の記憶。

血の臭いがそれを呼び覚ます。

教室の入り口には男が一人倒れていた。

わかるのはそれだけで、年齢も服装もよくわからない。

頭は完全に潰されていて上半身は血に塗れている。

履いているのは黒いズボンのようだが靴は片方脱げていて手には何も持っていない。

この死体にも見覚えがある。

切原達とここへ来た時に見た光景だ。

だが立ち去ろうとした時、ふと一瞬死体の腕が動いたような気がした。

鼠でも紛れ込んだのかと思ったがそんな様子もない。

ただの見間違いだと思うが、何故だか妙に気になって仕方がなかった。

「ん?何だ、これは……」

凄惨な光景に最初は気づかなかったが、よく見ると死体の側に何か四角い物が落ちていた。

免許証のようにも見えるが血の海に沈んでいてよくわからない。

おまけに半分、死体の下敷きになっていている。

もしこれが免許証ならばこの死体の身元がわかるかもしれないが、何故俺様がそんな事をする必要がある?

あの悪夢の日、俺は忍足や宍戸を巻き込んでこの天神小学校に来た。

立海大附属中の奴らが奇妙なおまじないを行って災難に巻き込まれたと聞いたからだ。

いつもなら面倒事はご免だと放って置くのだが、立海の部長、幸村には借りがあった。

俺のテニスを完成させる為のきっかけをあいつが作ったのだ。

借りを返すつもりで俺はここへ来たが、結果的に想像以上の面倒事に巻き込まれて散々な思いをした。

ここはまるで死体の宝庫だ。

ここでは生きている人間の方が異質な存在に思える。

幽霊と呼ばれる存在も初めて目にした。

良い思い出など一つもないこの場所に、俺は戻って来た。

あの日失った何かを求めて。

それが"妹"であると知ったのはここへ来てすぐの事。

あの"赤い服の少女"に出会った直後だった。

この学校のどこかにユキはいる。

だがこの理科室にはいないようだ。

悲鳴が聞こえたのはこの辺りだと思うが、凄惨な光景を目にして立ち去ったのかもしれない。

「……手掛かりでもあれば」

ここへ来て数時間、何の成果も無くほとんどヤケクソになっていたせいかもしれない。

俺は僅かな期待を求めて死体の下敷きになっているそれを無理やり引き抜いた。

持っていたハンカチで軽く血を抜き取ると、それが立海大附属中の生徒手帳である事がわかった。

だが手帳の中身はほとんど血に塗れていて何が書いてあるのかさっぱりわからない。

顔写真のある学生証の部分はフィルムで保護されているので中身は無事のようだが、肝心のフィルムに血がこびりついていて文字が読めない。

ハンカチでこすっても血の塊がぼろぼろと崩れ落ちるだけで綺麗にはならない。

水で洗い流せばもしかしたら落ちるかもしれないが。

そこまで考えて俺はふと以前訪れたプールの事を思い出した。

プール内の水は幸村が抜いたようだがあそこは屋外なので雨が降っている。

雨でハンカチを濡らせば血を拭き取れるかもしれない。

これが誰の生徒手帳なのかわからないが、立海大附属中の物なら確認する価値はあるだろう。

だが気になるのはこれを持っていたと思われるこの死体だ。

こいつが立海大附属中の生徒だとしたら、幸村達の他にもあのおまじないを行った人間がいたのだろうか?

まあいい。とにかく確認すればわかる事だ。

俺は一階の南西にあるプールへと向かった。

相変わらず学校の周囲は鬱蒼としているが雨だけはいつまでも止まずに降り注いでいる。

ハンカチを濡らして慎重に生徒手帳を拭うと、フィルムの汚れが取れて学生証の文字が読めるようになった。

そこには"中等部2年D組跡部ユキ"という文字と共に顔写真が載っていた。

見間違うはずのない妹の顔。

14年前に消失した俺様の妹、ユキの学生証だった。

だが俺はユキの存在も自分に妹がいたという事実でさえ忘れていた。

両親は勿論、使用人達もユキの事は一切話さなかった。

跡部財閥の御曹司、跡部家の一人息子というのが俺の肩書きだった。

ここに来るまでそれを疑問に思う事さえなかった。

ただずっと空虚な人生を送っていたのだ。

金はある、仕事も順調で、何不自由ない生活。

それでも決して満たされる事のない空っぽの心。

何が足りないのか、自分が何を欲しているのか……それさえわからなかった。

14年前のあの日、俺は何を失ったのか。

その答えを知りたかった。


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