零章 泡沫

俺はもう少し彼女につきあってみる事にした。

この広い学校で何の宛ても無く失くした髪飾りを見つけ出す事なんてできやしないだろう。

ただ確かめたかった。

自分という存在を。

俺は本当にあいつらの言うような"化け物"だったのか、それともただの"人間"だったのか。

それを知ったところで死んだ今となってはあまり関係のない事だが。

どうせ放って置いても消える身だ。

暇潰しには丁度良い。

「あの、ありがとうございます。本当はちょっと心細かったから、刻命さんがいてくれて助かりました」

バレッタを探しながら彼女が言った。

目的の物はまだ見つかっていないが、どことなく嬉しそうだ。

単純なのか、社交辞令なのか。

何の警戒心もなく俺の後について来る彼女を見ていると、その腹の内を探ろうとしている自分が馬鹿らしく思えて来る。

記憶がないので仕方がないのかもしれないが、ここで俺がもう一度殺すと脅したら彼女はどうするんだろうな。

……試すまでもないか。

きっとあの時と同じ反応をして、同じ事を言うに違いない。

震えるほど怯えながら、"俺"が必要だとそう言うのだろう。

そんな人間は初めてだった。

たいていの人間は必死に命乞いをするか、開き直って悪態をつくかのどちらかだ。

自分の命が危険に晒されているその状況で殺そうとしている相手の事を考える奴なんかいない。

いない、はずだった。

とことん俺の中の常識を覆す人間だ。

できればもう少し彼女を観察してみたかったが、時折薄れる自分の体を見る限り、もうあまり時間は残されていないようだ。

「ここ……確か向こうに裂け目があって……」

髪飾りを探しながら昇降口まで来た時、ふと彼女がそう言って駆け出した。

更衣室と書かれた扉の前に大きな裂け目ができている。

穴の中は暗くてよく見えないが、彼女はじっとその暗闇を見つめている。

「明かりを貸してくれるかい?」

受け取ったアルコールランプで照らしながら穴の中を覗くと、そこは白骨死体の山だった。

そう言えば生前彼女の足の怪我について尋ねた時、廊下の裂け目に落ちたと言っていたな。

なるほど、この骨山の上に落ちたからあれだけの怪我で済んだのか。

奥に何か見えるがさすがにここからじゃよくわからないな。

「……奥に何か光る物が見える」

「え?もしかしてバレッタがあったんですか?」

「ここからじゃよくわからない。下に下りてみるよ」

「でも危ないんじゃ……」

「大切な物なんだろう?」

「……はい」

遠慮がちに頷く彼女を見て、俺は使えそうな道具を探した。

教室の柱に焦げ目のついたロープが結びつけられている。

ここまで痛んでいては俺の体重を支え切れるとはとうてい思えないが、まあ最悪落ちた所で問題はない。

俺はもう死んでいるのだから。

「大丈夫ですか?無理しないで下さい」

「大丈夫だ。思った程、深い穴じゃない」

ロープを握って下り始めてから気づいた。

妙に体が軽い。

考えてみればそうだ。

今の俺は"霊体"と呼ばれる存在なのだから、肉体などない。

この天神小では霊体も視認できるようだが、肉体がないのだから体重だって存在しない。

案の定、途中でロープを離して骨山に飛び降りてもほとんど衝撃を感じなかった。

「どうですか?」

頭上から聞こえる彼女の不安げな声に、俺は暗闇に落ちていたそれを拾い上げて言った。

「これは……バレッタだ!でも……」

これが彼女の探していた物かどうかはわからないが、焦げてぼろぼろになっている。

焼却炉にでも放り込んだかのように煤で真っ黒になっているが、とにかく俺はそれを持って上に戻った。

「これ……!」

彼女が焦げたバレッタを見て目を見開く。

どうやら彼女の探し物はこれだったようだ。

じっとバレッタを見つめる彼女の瞳から涙が零れ落ちる。

「やっぱりショックだったかい?」

少し迷ってから俺は彼女の頭を優しく撫でてみた。

もう少し彼女が求める"優しい兄"でいるのも悪くはない。

彼女が落ち着きを取り戻してから校舎の外に出ると、昇降口の前に一人の女子生徒が倒れていた。

目の前に立つ少女と同じ姿をした、眠るように事切れた少女の死体だ。

薄々感じていたがやはり彼女も霊体だったのか。

結局ここから脱出する事は叶わなかったのか。

ふと後ろを振り返ると校舎が赤い炎に包まれていた。

窓から見えた夕日の正体はこれか。

外は雨が降っているにも関わらず、天神小学校だけが赤く燃えている。

「……」

彼女はただ静かに燃え盛る校舎を見つめていた。

自分の死に気づいても驚いた様子はない。

やはり"あの時"、死を覚悟していたのか。

「刻命さん?」

俺は焦げたバレッタを彼女の髪につけてそっと頬を撫でた。

生者に干渉する事はできないが、同じ死者であるなら触れる事ができるようだ。

「……"妹"の事は思い出せないけど、"君"が俺の妹ならいいとそう思う」

それが本心から出た言葉だったのか、"優しい兄"を演じる為の言葉だったのか、今となってはよくわからない。

だが彼女の"兄"でいるのは悪くない居心地だった。

俺は彼女から渡された自分の学生証を取り出すと中を開いて"切れ端"を確認した。

学生証も中に入っている切れ端も雨に濡れているが、おそらくこれが原因だったのだろう。

彼女が記憶を失った事も、俺が記憶を保持し続けた理由も、それで説明がつく。

だがこれはもう必要ないだろう。

俺が切れ端ごと学生証を燃え盛る校舎に投げ込むと、彼女が少し驚いたように俺を見上げた。

「いいんですか?」

「……ああ。もう必要ない」

「……」

彼女はそれ以上何も言わずに校舎を見つめる。

雨が彼女の肩をすり抜けて物言わぬ死体に降り注ぐ。

「ユキ」

俺は彼女の名前を呼んで手を差し伸べた。

困惑する表情を見る限り、やはり記憶は戻っていないようだ。

それでも彼女はすがるように俺の手を握り締めて微かに微笑んだ。

漂って来る線香の煙に紛れ込むように彼女の姿が薄れていく。

それを引き止めるように俺は強く彼女の手を握り締めた。

そんな事をしても、きっともうすぐ俺も消えるだろう。

だが今この時だけは俺は"化け物"でも"人間"でもない。

彼女の"兄"だ。

ただそれだけだ。

たとえそれが消える間際の泡沫の夢だとしても、悪くはない……。


END.

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