最終章 天上

「あいつら、あんなに薄情な奴らだとは思わなかったぜい。仲間を見捨てるなんて」

別館の応接室でブン太は不満そうに呟いた。

向かいのソファーに腰掛けた柳生は眼鏡を指で押し上げながら静かにため息をつく。

「やむを得ない判断なのですから一方的に責める事はできませんよ。だからと言って肯定する事もできませんが」

柳生のフォローに壁に寄り掛かっていた忍足も頷く。

「サチコの魂が解放されれば逆打ちをやらんでも帰れるかもしれへん。心配なんは田久地さんや。上手いこと先生と合流できればいいんやけど……」

「けどよ、残された奴は不安になるじゃねえか。自分だけこんな危ない所に置き去りにされて」

ブン太が怒っているのはついさっきまでここにいた黒崎達の事だった。

彼らはブン太達と一緒に唯一合流できていない刻命裕也をここで待っていたのだが、ハンマー男に殴られて負傷した袋井の容態が悪化した為、刻命を残して逆打ちを行い一足先にここから脱出したのだ。

逆打ちはおまじないに使った切れ端を使うが、"同じ人形"でなくては意味がない。

つまり一人取り残された時点でこの天神小学校からの脱出ルートは無いに等しい。

黒崎達と一緒にここへ来た凍孤と恵美については既に死亡が確認されているが、刻命の生死はわからないままだった。

その状態で逆打ちを行えば、残された者を見捨てる事になる。

彼らは刻命を見捨てたのだ。

刻命の行方はわからないが、この事実を彼が知れば絶望するに違いない。

それがブン太には許せないのだ。

「足音が聞こえますね」

「え?」

唐突な柳生の言葉にブン太と忍足は黙って耳を澄ませた。

すると確かに廊下を歩く足音が聞こえた。

足音の主が田久地や幸村達ならばいいが、もしハンマー男だった場合ここでは逃げ場がない。

忍足の指示で柳生とブン太が御守りと箒を手にして構える。

仲間を待つと決めた以上、何があろうと逃げる訳にはいかない。

「来るで」

「!」

開かれる扉に全員が息を呑んだ次の瞬間、男性の咳き込む声がしてブン太は目を見開いた。

そこにいたのは和服の男性に肩を貸しながら歩く田久地だった。

「田久地さん!」

「よかった。君達も無事で。悪いけどちょっと手を貸してくれるかい?」

近くにいた柳生が手を貸して男性をソファーに座らせる。

「横になった方が……」

「ごほっ……い、いや、この方がいい。ありがとう」

男性は柳生に礼を言って全員の顔を見回した。

「そうか。君達が彼の友人か。幸村君とはまだ会えていないのか……」

「え!幸村君に会ったのか!?」

驚くブン太に鬼碑忌と名乗った男性は用務員室で幸村に救われた事を伝えた。

「あれから俺達もはぐれた仲間達に会って、今、真田達が校長室に向かってる。あそこに地下への入り口があるらしいぜい」

「そうか。実は僕達も人を捜してるんだ。君達には話した事があるけど先生の弟子の七星ちゃんがここに来ているみたいなんだ。眼鏡を掛けた女子高生なんだけど、どこかで会わなかったかな?」

すると柳生が音楽室で会った女子高生の事を思い出して田久地達に伝えた。

「本当かい!先生、七星ちゃんを迎えに行って来ます!」

「待つんだ、田久地君。私も一緒に行こう」

「え!ダメっスよ!先生は怪我してるんですからここで待ってて下さい」

「そういう訳にはいかないよ。あの子がここに来てしまったのは元はと言えば私の責任なのだから……」

そう言って立ち上がる鬼碑忌を見て、柳生が手を挙げた。

「では私も一緒に行きましょう。音楽室の鍵は私が預かっていますし、あの時はやむを得なかったとは言え、彼女には失礼な真似をしてしまいましたから」

「そ、そうかい?それは助かるよ」

「忍足君、丸井君、ここは任せましたよ」

「ああ、任しとき」

「気をつけろよ」

忍足達に見送られて柳生は鬼碑忌達と一緒に一階の音楽室へと向かった。

音楽室の扉は何故か鍵が開いていたが、中に入ると椅子に座った七星がこちらを見て目を見開いた。

七星の後ろには七星と同じ制服を着た女子生徒が倒れている。

気を失っているようだが大きな怪我は見当たらない。

「先生……!」

「七星君、無事か?」

「よかったあ。心配したよ。怪我はないかい?」

身を案じてくれる二人に七星ははらはらと涙を零して俯いた。

「先生、ごめんなさい、私……さやかまで巻き込んでこんな……っ」

「いいんだ、もう自分を責めるのはよしなさい。君に黙ってここへ来てしまった事を私はずっと後悔していた。正直に話していればよかったと」

「先生……っ」

「さあ、一緒に帰ろう。私達にはやるべき事がある。これ以上犠牲者を増やさない為にも、君の力が必要なんだ」

「っ……」

七星は頷いて涙を拭い、鬼碑忌に一枚のお札を差し出した。

「これは?」

「さやかと協力して天神小のあちこちにこれと同じ物を置いて来ました。後は昇降口にこれを置いて火をつければ、呪符の力で天神小学校を消滅させる事ができるはずです」

「何だって!七星ちゃん、この天神小でそんな事をしてたのかい?」

驚く田久地に七星は自分がネットに上げたブログの事を告白して柳生に向かって謝罪した。

「ここを出たらあの記事は削除します。でもその前にこの天神小学校を解放しないと……。それが私にできる唯一の償いだから」

「……わかりました。皆さんにも伝えて置きましょう」

するとそこで鬼碑忌が七星から受け取ったお札を柳生に差し出して言った。

「すまないが、これを君達に託したい。本来なら私達がやらねばならない事だが、見ての通りこの状態ではかえって足手まといになってしまう。それに七星君がネットに公開した"幸せのサチコさん"を一刻も早く消去しなくてはならない。こうしている間にも犠牲者は増え続けるかもしれないのだ」

「……そうですね。それはあなた方に頼むしか方法がありませんし」

柳生は少し考えた後、お札を受け取って頷いた。

「わかりました。これはお預かりします」

「すまない。向こうで君達が無事に帰って来る事を祈っている」

「本当にごめんなさい」

「柳生君、丸井君達にお礼を言っといてくれないか。ここを出たらお詫びに何でもご馳走するから」

田久地の言葉に柳生は微かに笑みを浮かべて頷いた。

「ええ、きっと喜ぶでしょう。それでは失礼します」

柳生はお札を持って応接室に戻ると田久地の言葉と、七星の呪符の事を忍足達に伝えた。

「サチコの魂が解放されればこの学校の結界が消えて、呪符で消滅できるのか」

「はい。彼女はそう言っていました。そうすればこの学校を彷徨う全ての魂が解放されると」

「……ちょっと胡散臭いけど、可能性があるならやらない手はねえよな?」

「俺も賛成や。それなら跡部達がどこにおっても関係あらへん。今すぐ地下へ向かうべきや」

「ええ、そうですね。急ぎましょう」

ブン太達は念の為、応接室にメッセージを残して三階の校長室へと向かった。


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