第十三章 狂騒

「あなたの"妹"にはなれない。……でも"妹"じゃなくてもあなたを必要としてくれる人はいます」

目の前に立つかつての自分自身に言い聞かせるようにユキは言った。

今まで恐ろしくて堪らなかった刻命が、とても身近な存在に思えて放って置けなかった。

「捨てられるのが怖くて自分から壁を作って逃げてるだけ。でもそれじゃ何も変わらない。だって……他人を愛さなきゃ、他人に愛されるはずないもの」

「愛?愛とは何だ?あいつらも都合の良い言葉だけ並べて俺を縛ろうとした。それが"愛"ならそんなものいらない」

「違う!どうして理解しようとしないの?人の気持ちなんて簡単にわかるものじゃないけど、そんな風に全部を否定してたら何も変えられない!」

「煩い!」

首元にナイフを突きつけられてユキは一瞬びくりと震えた。

だが逃げようとはしなかった。

「死にたくないんだろう?だったら命乞いしてみろ。本心をさらけ出してみろ!」

「……」

自分でも驚く程、落ち着いていた。

刻命の言葉は幼い頃の自分の叫びを聞いているみたいだ。

私を見て、そばにいて、私を必要として。

言葉にできないだけで、ずっとそう心の中で叫び続けていた。

ここで逃げたら、過去の自分を見捨てる事になる。

助けてと叫び続けたちっぽけな自分を……。

「私はあなたが怖い。でも、あなたに生きていて欲しいと思ってる」

「何?」

「ここには私とあなたしかいない。あなたが死んでしまったら、私は独りぼっちになってしまう。そうしたら私はきっと生きていけないから。だから……あなたに生きていて欲しい。一緒にいて欲しい」

「!」

初めて刻命の瞳に動揺の色が浮かんだ。

ずっと欲しかった言葉。

求め続けて、いつからか諦めた願い。

手に入らないものなら、壊してしまいたかった。

もう二度と望みを抱かないように。

「……ど」

刻命は何か言おうと口を開いて、そのまま前のめりに倒れ込んだ。

「え……」

頬に飛び散った生暖かい液体。

ぶつかって倒れる椅子。

悲鳴を上げる間もなく刻命は背後から撲られて死体の海に突っ込んだ。

その後ろには歪んだ笑みを浮かべる男の姿があった。

血に塗れたハンマーを振り上げて歓喜の声を上げる男。

突然の出来事に頭が追いついていかない。

「!」

振り下ろされるハンマーにユキは反射的に目を閉じて俯いた。

だが呻き声を上げたのはユキではなく男の方だった。

目を開けると、ハンマー男の首にナイフが突き刺さっていた。

男はそのまま壁際に倒れ込む。

「刻命さん!」

「っ……」

刻命は一目で重傷とわかる程、頭に酷い傷を負っていた。

この出血では意識もはっきりとしていないに違いない。

それでも刻命は凍孤の遺体のそばに落ちているナイフを拾うとユキの両手を縛る包帯を切り始めた。

「どうして……」

一度は殺そうとした自分を何故助けるのか?

動揺に揺れるユキの拘束を解きながら刻命は呟くように言った。

「わからない……これが"人間らしい感情"なのかどうかも……」

「!」

拘束状態から解放されたユキは慌ててふらつく刻命の体を支えた。

「……私はあなたの妹にはなれませんけど、相談くらい乗りますから、だから一緒にここから脱出しましょう?それからでも遅くないと思います……」

「……それも……悪くない、かもしれない……な」

「きゃっ!」

突然突き飛ばされてユキは凍孤の遺体の横に倒れ込んだ。

振り返ると刻命の背後に男が立っていた。

首にナイフが刺さったまま男は歪な笑みを浮かべてハンマーを振り上げた。

鈍い音と共に刻命の体が血の海に沈む。

男は倒れた刻命の上に馬乗りになると無邪気な子供のように何度もハンマーを振り下ろした。

衝撃と共に刻命の体がびくんと痙攣する。

「やめて……もうやめてえええ!!」

泣き叫ぶユキには目もくれず、男は執拗に刻命の頭を撲り続ける。

固い金属が頭蓋骨を砕き、熟した果実のように脳を破壊していく。

「いや……嫌あああああ!!」

絶叫と共にユキはその場を逃げ出した。

走る度に付着した刻命の肉片や血が廊下に飛び散っていった……。


→To Be Continued.

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