第十三章 狂騒

「はあっ……」

同じ頃、本館の一階でユキは必死に廊下を走っていた。

ちらりと後ろを振り返ると、廊下の角から自分を追って来る人影が見えた。

「きゃっ!」

視線を前に戻そうとして足が滑り、ユキは一回転して階段の前に倒れ込んだ。

「痛っ……」

板で擦った膝と両腕がズキズキと痛むが、今はそんな事に構っている場合ではない。

ユキは素早く辺りを見回すと外れ掛けた床板に気づいて下を覗き込んだ。

どうやら床下にスペースがあるようだ。

「どこへ行ったあ?」

「!」

暗闇に響き渡る声にユキは慌てて床下に潜り込んだ。

この暗闇ならばじっとしていれば見つからないはず。

「っ……」

ユキは口に手を当てて見つからない事を祈った。

足音が徐々に近づいて来て階段の前で止まる。

「……」

暗闇の中で人影が動くのが気配でわかった。

ユキは息を殺しながら人影が通り過ぎてくれる事を祈ったが、その願いも虚しく人影に見つかって床下から引きずり出された。

「ユキ〜どうして震えるんだい?言っただろう。"お兄ちゃん"が守ってやるって」

「っ……離して下さい!」

ユキは刻命の腕を振り払うと慌ててその場から逃げ出した。

後ろから刻命の笑い声が聞こえる。

廊下を走りながらユキはただ混乱していた。

どうしてこうなったのか全くわからない。

気がついた時には何かが狂い始めていた。

そこから先はもう地獄だった。

突然自分の"妹"になれと強要され、それを断ったら今度は死に物狂いの鬼ごっこが始まった。

捕まれば命は無い。

「はあっ……誰か、助けて……!」

走りながら助けを求めるが所詮無駄な努力だった。

ここにいるのは自分と鬼の二人だけ。

散々校舎を歩き回ったが赤也達の姿はどこにもなかった。

刻命の言う通り、ここが幾つもの異なる次元によって存在する世界ならば、おそらく赤也達は別の次元にいるのだろう。

会いに行く方法は勿論、こちらの声も届かない。

どんなに叫んだ所で助けは来ないのだ。

「っ……ごほっ」

ユキは胸を押さえて咳き込んだ。

走り過ぎて息が苦しい。

やっと治りかけた足の傷も傷口が開いてしまったのか鋭い痛みが走る。

すぐに刻命に追いつかれてユキは廊下の隅に転がる白骨死体の前に連れて行かれた。

「ほら、見えるだろう?ここにある死体はどいつもこいつもみんな頭を砕かれて死んでいる。死ぬ直前まで痛みを感じながらもがき苦しむんだ……。そんな惨い死に方はしたくないだろう?」

そう言いながらも刻命はどこか嬉しそうな顔をしている。

言葉と感情が噛み合っていない。

食い違ったままの歯車を無理やり動かしているかの様。

怖い……。

「震えているのか?大丈夫。強い、強い"お兄ちゃん"が守ってあげるよ」

「っ……」

ユキはとっさに刻命を突き飛ばして逃げ出した。

もう気力も体力も限界を超えていたが、恐怖心には抗えなかった。

階段を駆け上がり目についた教室の中に飛び込む。

この状況でずっと鬼ごっこを続けていても、きっとすぐに力尽きて捕まってしまうだろう。

ここから逃げるにはどうにかして刻命を撒かないといけない。

「どこか隠れる場所は……っ」

ユキは近づいて来る足音に急かされるように教卓の下に滑り込んだ。

すぐに扉の開く音がして刻命が教室の中に入って来る。

「ユキ、良い子だから出ておいで〜」

まるで狩りを楽しんでいるのかように刻命は奥のロッカーへと向かう。

「っ……」

その隙をついてユキはこっそりと床を這いずって教室の外に出た。

だが立ち上がろうとした瞬間、凄まじい力で髪を引っ張られユキは教室の中に逆戻りした。

「ユキ、どうして"お兄ちゃん"の言う事が聞けないんだ?」

「やめて、離して!なんでこんな事するんですか!」

抜け落ちた髪の毛が目の前を通過して床に落ちる。

首と背骨が嫌な音を立てて軋み、ユキは痛みに呻いた。

だが命乞いをした所で今の刻命には無意味だろう。

自力で逃げるしか方法はない。

「!」

ユキは必死にもがいて刻命の腕から抜け出すとまた廊下を走り始めた。

「ユキ!殺す、殺してやる!ははははは!!」

「っ……うっ……お兄ちゃん、助けて……!」

後ろから追って来る怒声と笑い声に、ユキは泣きながら兄に助けを求めた。

やれるべき事は全てやった。

けれどもう何も手立てがない。

このままでは確実に死が待っている。

死にたくない。

こんな所で誰にも気づかれないまま、兄に一目会う事さえできないまま死にたくない。

「お兄ちゃん!!っ……助けて、お兄ちゃあん!!」

走りながらユキは必死に叫び続けた。


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