第十一章 死生

「……落ち着いたかい?」

刻命の言葉にユキは頷いてもう一度深呼吸をした。

保健室から脱出した後、二人は二階にある1年A組の教室に来たが、ここに逃げ込んですぐユキが発作を起こして一時パニックになったのだ。

幸い刻命が念の為にと保健室から鎮痛薬などの薬を持ち出していた為、足の怪我はだいぶ良くなった。

包帯は巻いてあるが添え木がなくても歩くのに不自由はない。

だが未だに赤也達とは合流できず、得体の知れないものに襲われ続けて気力も体力も限界に近づいている。

ここで力尽きれば、きっと永遠に元の世界には帰れないだろう。

どうしてこうなってしまったのだろうか。

用務員室で見つけたブン太のメモには"サチコ"が脱出への鍵を握っていると記されていたが……。

「あの刻命さんは"サチコ"について何かご存知ですか?」

「それは……あのおまじないの?」

ユキが事情を話すと刻命はしばし考えてから口を開いた。

「そう言えば、保健室に新聞記事の切れ端があった。昭和44年の新聞で連続児童誘拐殺人事件について書かれていた」

「殺人事件!?」

それを聞いてユキの頭に浮かんだのは、小学生くらいの子供の幽霊の事だった。

血塗れで佇んでいた少年と、ハンマー男から逃げる途中に襲い掛かって来た二人の少女。

「もしかしてあの子供達が事件の被害者なんじゃ……」

「記事が途中で切れていて詳しい事はわからなかったが、遺体は旧校舎の地下室で発見されたらしい」

「地下室?この学校にそんなものがあるんですか?」

ユキが尋ねると、刻命は気になる事があると言って一階の用務員室にユキを案内した。

用務員室の中は以前訪れた時と同じく荒れた様子もなく比較的綺麗なまま残っていた。

刻命は部屋の中心に立って辺りを見回すと、押入れの方に近づいて行った。

「何かありましたか?」

「この部屋には窓がないのに風を感じる。隙間風にしては少し不自然だ」

押入れを開けてマッチの火で中を調べると、床板の一部に不自然な切れ込みが入っていた。

持っていたバールで床板を外してみると、なんとそこには地下へ続く階段があった。

「これって……本当に地下室があるなんて……」

「行ってみよう」

少し不安だったがユキは頷いて刻命の後を追った。

階段を下りて狭い通路を歩いて行くと、つきあたりが土砂で埋もれていた。

奥から生温かい風が吹いているのでまだ空洞がありそうだがここを通るのは自殺行為に等しいだろう。

他に何かないかと辺りを調べると、ユキが大人一人分くらい空いた横穴を見つけた。

新しいマッチに火をつけて中へ入ってみると、奥は広い空洞になっていて木製の棚や工具などが詰まった木箱が置いてあった。

工具は全部錆びていて使い物にならなそうだが、それより気になったのはこの部屋の異様な空気だった。

特に何かある訳ではないが空気が重く、立っているだけで気分が悪くなってしまう。

「……ここすごく嫌な感じがする」

地下だから余計にそう感じるのか、何もないはずなのに不安で手が震える。

「……あれは?」

刻命が見つけたのは棚の横に置かれた紙袋だった。

中には古い写真が数枚入っている。

だがその写真を見た瞬間、ユキはうっと呻いて視線を逸らした。

それは、死体の写真だった。

目をえぐられた少女や人体模型のように内臓をかき回された少年。

スプラッターなホラー映画でも、これほど酷い死体は見た事がない。

背景を見る限り、ここで撮影された物のようだ。

「酷い……どうしてこんな事……っ」

「例の誘拐殺人事件の被害者の写真だろう。ここで撮られた物らしい」

「そんな……っ」

ユキはぞっとして両手を握り締めた。

何度目を閉じても虚ろな目で天井を見つめる少年の顔が頭から離れない。

不意に涙が零れ落ちた。

「……どうして泣くんだ?」

「だってこんなの酷過ぎる……どうしてこんな小さな子がこんな目に遭わなきゃいけないの……っ」

「……」

刻命は黙って写真を見つめた後、静かな声で言った。

「人はいつか死ぬ。遅いか早いかの違いしかない」

淡々とした低い声だった。

感情の見えない虚ろな言葉。

だがユキは気にする事なく言葉を続けた。

「たとえそうだとしても、人の未来を理不尽に奪っていい権利なんて誰にもない」

生まれた時から数年しか生きられないだろうと死の運命を背負わされ、明日を迎えられるかどうかさえわからなかった。

死はいつも自分の身近にあって、そのせいか生きるという事に対して積極的になれなかった。

とてつもなく苦い薬を飲んでも、歯を食いしばる程辛い治療に耐えても、病状は一向に良くならなかった。

その内、何をしても無意味に感じられて、早くこの鼓動が止まってしまえばいいと思うようになった。

その方が家族にも迷惑が掛からないし、毎日余計な心配をしなくて済む。

自分がいなくなった方がみんな幸せなんじゃないか……そう思うようになった。

「君は……」

ユキの話を聞いて刻命は驚いたように目を見開いた。

体が弱い事は既に承知していたが、そこまで重いものだとは思っていなかった。

「いっそのこと、この世から消えてしまいたい。初めから何の役にも立たない不必要な存在なら生まれて来なければよかったのにってずっとそう思ってました。……でも、私がそう言ったら、お兄ちゃんが泣いたんです」

それは生まれて初めて見た兄の涙だった。

病弱な自分の前ではいつも強気な姿しか見せなかったから。

「私がいなくなったら生きてたって死んでるのと変わらないって……。お兄ちゃんは私と違って元気で何でもできるのに、私が消えたら嫌だって……」

「……」

「だから約束したんです。どんなに辛くてもお兄ちゃんが側にいてくれるなら、お兄ちゃんの為に生きるって」

この世に生まれても意味がないと思っていた自分に、生きる意味を与えてくれた。

だから何があっても生きる事を諦めたくない。

こんな所で死にたくなんかない。

突然の事故や病気で亡くなってしまう人もいるけど、みんな必死に生きてるのだから。

それを……こんな風に奪うなんて、そんなのは絶対に間違っている。

「その写真の子達だってきっと帰りたかったはずです。……家で待ってるお母さん達の所に……」

「……」

刻命はしばらく黙り込んだ後、何か言おうと口を開いたが、その前にぐらりと地面が傾いた。

「きゃっ!」

「掴まれ!」

突然の地震にユキは慌てて刻命の腕に掴まった。

しばらくして地震は治まったが、地下にいるのは危険と判断し、ユキは用務員室へと戻った。

「……」

階段を上るユキの後ろ姿を、刻命はずっと見つめていた……。


→To Be Continued.

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