第八章 端倪

「幸村君!!仁王!ジャッカル!聞こえてたら返事して!!」

階段の下で仲間の名前を叫びながら、ユキは獣のようにじっと耳を澄ませた。

だが聞こえるのは微かな雨音と床の軋む音だけ。

「っ……ブンちゃん!柳生君!!」

廊下を走りながら必死に仲間を呼ぶ。

だが返って来るのは暗闇に反響する自分の声と足音だけだ。

「お願い、誰か……っ」

喉が詰まってユキは激しく咳き込んだ。

理科室を飛び出してもう何分くらい経っただろうか。

こうしている間にも赤也の身に危険が迫っているのだ。

早く助けを呼んで戻らなければ赤也は……。

「どうして誰もいないのっ……」

包帯の巻かれた左足がズキズキと痛む。

ずっと叫び続けたせいで喉も痛いし胸も苦しい。

常用している薬は鞄の中に置いて来てしまったので、ここで発作を起こしたら命に関わる。

けれど、そんな事よりも親友を救う術が見つからない自分の無力さに腹が立つ。

何か武器になりそうな物でもあれば、非力な自分でもあの女子生徒を怯ませる事くらいはできるかもしれない。

だがどんなに捜し回ってもそんな都合の良いアイテムなど見つかるはずもない。

「っ……お兄ちゃん、助けて……」

ついに堪え切れなくなった涙が床に落ちて消えた。

思い浮かぶのはいつも自分を心配して支えてくれた兄の顔。

教室で目覚めてからどれくらいの時間が経ったのかわからないが、きっと今頃心配しているだろう。

今は離れて暮らしているとは言え、夜に電話で兄と他愛ない話をするのがユキの日課なのだ。

連絡が取れないとわかったら、心配性の兄はきっと大騒ぎするに違いない。

夕飯の時間までには家に帰りたいが、ここがどこなのかも、どうやったら家に帰れるのかもわからない。

もしかしたら自分はもう二度とここから出られないのかもしれない。

力尽き朽ち果てた犠牲者達のように、自分の人生はここで終わるのかもしれない。

「お兄ちゃん……っ」

嗚咽混じりに呟いた時だった。

「誰かいるのか?」

闇の向こうで確かに声が聞こえた。

足音がして、廊下の角から一人の青年が姿を現す。

顔に見覚えはないが制服には見覚えがある。

理科室で会ったあの女子生徒と同じ、白檀高等学校の制服だ。

「あ……」

天の助けとも思える偶然に、上手く言葉が出て来ない。

「あ、あの……っ」

慌てるユキを見て、彼は静かに頷いて言った。

「落ち着いて、深呼吸して」

「っ……」

ユキは言われた通りに深く息を吸って吐いた。

胸の鼓動は鳴り止まないが、さっきより幾分楽になったようだ。

「あの、理科室で友達がナイフを持った女の子に襲われてるんです!女の子は何だか様子がおかしくて……あのままじゃきっと……」

「……わかった。助けに行こう」

「ありがとうございます!」

ユキはお礼を言って青年と共に二階の理科室へと向かった。

理科室の扉は内側からは何をしても開かなかったが、外側からは簡単に開いた。

部屋の中は相変わらず凄まじかったが、赤也の姿はどこにもない。

代わりに赤也を襲った女子生徒が、首にナイフが突き刺さった状態で息絶えていた。

「霧崎……」

「知り合い、なんですか?」

「ああ」

青年はそれ以上何も言わなかったが、ユキは霧崎という女子生徒に突き刺さったナイフの事が気掛かりだった。

このナイフは確かに彼女が持っていた物だが、状況からして自殺には見えない。

だとすると、これは赤也の仕業なのだろうか?

襲い掛かって来た彼女に抵抗した時に、誤ってナイフが彼女の首に刺さってしまったのだろうか。

「……赤也が……」

信じられない気持ちで呟いた時、不意に青年が口を開いた。

「そうとは限らない」

「え?」

「ここは異常な場所だ。精神が耐え切れなくなって正気を失う人間を何人も見て来た。彼らは何かに取り憑かれたように狂暴になって、最後は自殺か事故死のどっちかだ。いずれにしろ、霧崎が正気を失っていたなら正当防衛だ。君の友人に罪はない」

「……」

ユキは息絶えた女子生徒に目をやり、それから静かに理科室を後にした。

惨劇の部屋から離れた所で、ユキは改めて青年にお礼を言った。

「そう言えば、まだ名前を聞いてませんでした。私は立海大附属中2年の跡部ユキといいます」

「俺は白檀高校の刻命裕也(きざみゆうや)だ。君も"幸せのサチコさん"でここに?」

「はい……気がついたらここにいたんです。外にも出られなくて……」

「……さっき"兄"を呼んでた気がするけど、お兄さんもここにいるのか?」

「いえ、ここには学校の友達と来たんです。私、赤也を助けなきゃってパニっくになっちゃって……。幸村君達も見つからないし、心細くなってついお兄ちゃんの事を思い出して……」

「そうか……」

刻命はしばらく黙り込んだ後、肩に掛けていた制服のブレザーをユキに羽織らせた。

「その格好じゃ冷えるだろう。君には大き過ぎるかもしれないが……」

「ありがとうございます、刻命さん」

包み込むような温もりを感じて、ユキは安心したように微笑んだ。


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