第六章 転遷
二階の理科室で使えそうなアルコールランプとマッチを見つけたユキと赤也は、ロープを探して一階の北西にある体育館へ向かった。
体育館の扉は鍵が壊れて開かなくなっていたが、扉の上にある小窓は開いたので、ユキが中に入って倉庫の中から綱引きなどに使われる丈夫な縄を見つけて来た。
「赤也、落ちないように気をつけて」
「わかってるって」
マッチで火をつけたアルコールランプを片手に赤也が穴の中を覗き込む。
「どう?」
「思ったより深くねえな。それより何だよ、この臭い。すげえ嫌な臭いがすんだけど……」
「うん……。何だろう、地下にゴミ置き場でもあるのかな」
「お、何か奥に……」
ランプで照らしながら穴に身を乗り出した赤也は、悲鳴を上げて尻餅をついた。
「ちょっと赤也!大丈夫!?」
ユキは慌てて赤也が手放したアルコールランプをキャッチして駆け寄った。
だが赤也は尻餅をついたまま真っ青な顔で震えている。
「どうしたの?何か見つけたの?」
「っ……」
赤也の唇がわなわなと震える。
不思議に思ったユキが同じように穴の中を覗き込んだ瞬間、後ろから物凄い力で引っ張られた。
「きゃっ!」
「見るな!」
ユキはランプを手にしたまま後ろに倒れ込む。
「ちょっと赤也、何するの!危ないよ!」
「いいから見るなって!」
「一体何があったの?」
「……」
赤也は俯くだけで何も答えない。
仕方なくユキはスカートの埃をはたいて立ち上がった。
「それで、どうする?」
「見た感じ、そんなに深くねえよ。……いや、本当は深いのかもしんねえけど……」
「?」
首を傾げるユキに赤也は慌てて言葉を続けた。
「とにかく縄があれば渡れそうだ。落ちてもたぶん、大丈夫……」
「じゃあ試してみよう」
「あ、ああ……」
ユキが縄の端に輪っかを作り、それを赤也が階段の側の折れた柱に向かって投げた。
何度か試して輪が外れない事を確認してから反対側の縄の先を近くの教室に結びつけ、赤也はもう一本の縄を自分の体に巻きつけようとしたが、その前にユキが手を挙げた。
「待って、私が行くよ」
「はあ!お前、何言ってんだ!」
赤也は驚きの声を上げるが、ユキは小さなため息をついて言った。
「だって私じゃ……もし穴に落ちた時、赤也を引き上げられないじゃない」
「あ……」
縄を手にしたまま赤也は茫然と立ち尽くす。
確かに小柄で華奢なユキでは、縄一本で平均的な体格をした男子中学生を引き上げるには無理があるだろう。
となると必然的にユキが向こう側に渡る事になる。
「けど、大丈夫なのか?そりゃ落ちても死にはしねえけど……」
「確かにちょっと怖いけど他に選択肢がないんだから仕方ないじゃない。幸村君と合流したら、赤也も向こうに渡れると思うし……」
「でもよ……」
渋る赤也だったが結局他に手立ては見つからず、ユキが向こう側に渡る事になった。
「いいか?絶対に下を見るなよ。万が一落ちても俺が引き上げてやるから心配すんな」
「うん。ありがと、赤也」
微笑みを残してユキはぴんと張られた縄を掴んで僅かな足場を渡り始めた。
赤也がランプで照らしているおかげで反対側の廊下はよく見えるが、足場の下に広がる穴は闇に包まれ何も見えない。
落ちたら奈落の底に吸い込まれてしまいそうだ。
「もう少し……っ」
「焦んな!ゆっくりでいいから絶対に下を見るんじゃねえぞ!」
赤也の声に励まされながら反対側の廊下に辿り着いたユキはほっと胸を撫で下ろして後ろを振り返ったが、次の瞬間、廊下に立つ赤也の目が驚愕に見開かれた。
「ユキ!!」
切羽詰まった赤也の声に首を傾げた瞬間、思わず足が滑ってユキは短い悲鳴を上げた。
それと同時に後頭部に衝撃が走り意識が飛んだ。
「っ……」
縄を掴んだ赤也は足を踏ん張って衝撃に耐えるが、落下したユキをのんびり引き上げている暇はなかった。
何故なら穴の向こう側に大きなハンマーを手にした男が立っていたからだ。
生きた人間とは思えない青白い肌にぎょろりとした大きな目。
歪んだ笑みに変色した返り血がこびりついた服。
男は奇声を上げるとゆっくりと後ろに下がった。
「嘘だろ?まさか……っ」
嫌な予感がして、赤也はとっさに握っていた縄を近くの柱に結びつけた。
「!」
振り返ると同時に男がハンマーを持ったまま穴を飛び越えて気味の悪い笑みを浮かべる。
「くそ!」
赤也は仕方なく柱から離れて昇降口の方へ逃げた。
男は獲物を見つけて歓喜の叫び声を上げながら赤也を追う。
「っ……ユキ!待ってろ!!」
精一杯の声を張り上げて赤也は走った。
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