第五章 憂苦

病院の待合室で跡部は自分の愚かさを呪った。

発見が早かった事もありユキはどうにか一命を取り留める事ができたが、精神状態が不安定な為、しばらく入院する事になった。

だがそれでユキの精神が回復に向かうとはとても思えなかった。

「跡部……」

「……」

俯く跡部に掛ける言葉が見つからず、忍足も宍戸も黙り込む。

するとそこへ執事がやって来て忍足と宍戸に深く頭を下げた。

二人の協力があったからユキの命は救われたのだと。

「……田嶋」

跡部の声に執事は顔を上げて跡部を見やる。

「どういう事だ。どうしてユキが庭にいた?部屋は監視させていたはずだろう?」

「それが……ユキお嬢様が気分転換に中庭でティータイムをしたいと仰られて……」

「何だと?ユキがそう言ったのか?」

「はい。ですがお嬢様のお召し物に紅茶が……。メイドは外に使いにやっていたものですからすぐに戻るつもりでその場を離れたのです……」

「それで使いから戻ったメイドが"あの状態"のユキを見つけたという訳か……」

「申し訳御座いません……」

深々と頭を下げる執事の目尻には涙が浮かんでいる。

兄妹の成長を誰よりも近く見守って来たのは執事の田嶋だった。

忙しい両親に代わって幼い兄妹の面倒を看、時には厳しく育てて来た。

それだけに、田嶋にとっても跡部兄妹は自分の子供のように大切な存在なのだ。

「……お前だけの責任じゃねえ。俺も油断していた……」

「景吾坊ちゃま……」

「……」

跡部はしばらくの間黙り込むと、何かを決意したように真っ直ぐ田嶋を見上げて言った。

「田嶋、俺にはやる事がある。ユキに関する事だ。……しばらくここを離れるが心配するな。ユキを頼む」

「承知致しました」

田嶋は深く頭を下げる。

「行くぞ、忍足、宍戸」

そう言って二人を促し、跡部は病院を後にした。

病院を出た跡部が向かったのは跡部家が所有する別荘だった。

シーズン以外には使わない別荘なので定期的に手入れはされているものの、屋敷の中は少し埃っぽかった。

だがここなら誰かに話を聞かれる心配はない。

「こんな所まで来て一体何するつもりだ?」

訝しげな顔で宍戸が尋ねると、跡部はソファーに腰を下ろして鞄から青いファイルケースを取り出した。

「例の"天神小学校"について調べさせていた。時間が無かったから詳しい事までは調べ切れなかったが……」

「天神小ってまさかあの"おまじない"の?」

宍戸と忍足が向かいの席に座ると、跡部はファイルを開いて二人に見せた。

「天神小はだいぶ昔に取り壊されたが実在する学校だ。陰惨な事件が相次いで閉鎖されたらしいが、事件については古い新聞記事の切り抜きくらいしか見つからなかった」

「"連続児童誘拐殺人事件"……酷えな、これ」

「ほんまや。児童3人を虐殺して学校の地下室に遺体を隠したらしいで。発見されたのは半年後。犯人はわからずじまいや」

「当時の校長が疑われてたみたいだな。旧校舎の地下室は閉鎖されてて校長しか出入りできなかったって……」

「遺体発見時には病死しとって真相は闇ん中や。こりゃ相当怨み買っとるで、この校長」

「だが気になるのは事件そのものじゃねえ。例のまじないとの関係だ」

「確かに被害者の名前もおまじないの名前とは違てるな」

「これだけ陰惨な事件があった学校で、"幸せのサチコさん"なんて言うまじないが流行るとは思えねえ。だが冴之木七星のブログにもあったように、例のまじないの発祥地は確かにこの天神小学校だった」

「その学校に"サチコ"って名前の子供が通ってたとか?」

「可能性はあるが、これだけの情報じゃ調べようがねえ」

「どないするん?」

忍足が尋ねると、跡部は鞄から一冊のノートを取り出して二人に渡した。

「これは?」

「中嶋直美という人物の日記だ。真田の話と似たような事が書かれている」

「……確かに似てるな。クラスメートと"幸せのサチコさん"をやって天神小学校に飛ばされたって……」

「戻ったんは自分と委員長だけやって書かれとるな」

「最後のページは世以子を否定するこんな世界にいたくない……か。なあ跡部、これって……」

「ああ。ユキも同じ事を言っていた。……これを書いた人物は学校の屋上から飛び降りて、今もまだ意識が戻っていないらしい」

「ほんまか?……ここまで来ると単なる偶然とは思えへんな」

忍足と宍戸がノートに見入っていると、跡部が二枚の紙切れを取り出してテーブルの上に置いた。

「そのノートに書いてある"逆打ち"をやれば、異世界の天神小から戻る事ができる。だが"同じ人形の切れ端"でなければ効果がない。ユキと真田は"赤也達"とおまじないを行い、そして二人だけが生き残った。天神小で死んだ仲間の存在はこちらの世界では既に抹消されていて、誰もその事実に気づく事はない」

「もしそれが本当だったら、確かにユキは辛かっただろうな……」

「……話はここからだ」

そう言って跡部は少し身を乗り出して真剣な表情で言った。

「てめえらと別行動を取っていた間に、真田から天神小についての話を聞いてきた」

「何やて?」

「お、おい、それマジかよ。俺と忍足が行った時は、あいつとの面会はできねえって断られたぞ」

「"赤也"の話がしたいと言ったら、僅かな時間だが面会の許可が下りた。とにかく真田に会って例のまじないについて話を聞いたが、それには"続き"があったんだ」

「どういう事だ?」

「天神小から戻ったユキと真田の前に橘桔平が現れて"ある儀式"について話を持ち掛けたそうだ」

「橘?」

「そういやあいつ全国大会が終わってからさっぱり見かけねえな」

「まさか……橘もその"おまじない"をやったんとちゃうか?」

「そうだ」

「!」

二人は驚いて跡部の顔を見つめる。

「橘も天神小で仲間と妹を失い、全てを取り戻す為に儀式を行おうとした。だがその儀式は二人以上でなければできないものだった。それで同じ境遇に立たされたユキと真田に話を持ち掛けたみてえだな」

「それでユキちゃん達はその儀式をやったんか?」

「ああ。天神小学校に戻り"切れ端を集めて人形に戻す"という儀式をな」

「それでどうなったんだよ」

「結果を言えば、儀式は成功した。二人は過去に戻り、死の運命に囚われた"赤也達"を救おうとした。だが結局、生き残ったのはユキと真田だけだった」

「……未来を変える事はできなかったって事か?」

しばらくの沈黙が流れた。

空気が重く肩に圧し掛かる。

最初に口を開いたのは宍戸だった。

「そういや、さっきから気になってたんだけどよ。その"切れ端"は何なんだ?」

宍戸がテーブルの上に置かれた二枚の紙切れを指差すと、跡部はそれを手に取って告げた。

「ユキと真田の切れ端だ。これを持って天神小へ行けば、儀式を行えるはずだ」

「!」

二人は驚愕の表情を浮かべる。

「おい、本気か?」

「真田の話がほんまの事やったとしても、生きて帰れる保障はどこにもないで」

「そんな事はわかりきってる。だがこのままいけば、ユキは遅かれ早かれ命を落とす事になる。24時間監視していても、いつかは終わりが来る。何よりあいつの精神はもう限界に近づいている」

「……」

「てめえらが怖気づくなら、他の相手を探すまでだ。だがこの事は決して他言するな」

「探すって言っても、こんな話信じる奴なんてそうそう……」

「そんな事はたいした問題にはならねえ。黒魔術の手伝いだとでも言えば疑われる心配もねえだろ」

「おい!まさか無関係の奴を巻き込むつもりか?天神小ってのは危険な場所なんだろ?」

宍戸が非難するが跡部の目は真剣だった。

「俺様にとってユキ以上に重要視すべき事なんかねえ。あいつを救う為ならどんな事だってする」

「っ……」

「さすがシスコンキングやな……。まあ今更驚いたりはせえへんけど、この事、真田は知っとるんか?」

「いや。切れ端もあいつの部屋から勝手に持って来ただけだ」

「お前、盗んで来たのかよ」

「はあ……ほんまに困ったシスコンキングやな。まあええ。ここまで来たからには最後まで付き合うたるで」

忍足の言葉に宍戸は驚いた。

「お前、本気か?」

「しゃあないやろ。無関係な人間を騙して巻き込むよりマシや。氷帝のキングを犯罪者にする訳にはいかへん」

「……」

宍戸は深いため息をつくと頭を掻いて帽子を被った。

「あーくそ、わかった!俺も付き合ってやるよ!その代わり、あんま焦って勝手に無茶すんじゃねえぞ!」

跡部は宍戸の目を見ながら頷いた。

事前に用意してあった形代を取り出して三人で掴む。

「こうなりゃヤケだ。地獄でも何でも付き合ってやるぜ」

「相変わらず男前のお人好しやな、宍戸」

「うるせえ」

「黙れ!やるぞ!」

二人は頷いて目を閉じる。

この先に待ち受ける悪夢と惨劇に立ち向かう為。

繰り返される恐怖に終止符を打つ為に。


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