第四章 刻印
別館の探索を始めた仁王は鍵が掛かって入れない三階の校長室に違和感を感じていた。
ここへ来るのは初めてのはずなのにデジャブを感じる。
気のせいだと言い聞かせても何故か頭の隅に引っ掛かって消えない。
「……ふう、俺もヤキが回ったもんぜよ」
仁王はため息をつきながら階段を下りる。
二階にある図工室で鍵を開ける為の道具を探していると、古い木箱の中に針金があった。
セキュリティが良くなった現代の建物ならともかく、昔の鍵ならこれで十分開けられる。
「ん?」
針金をポケットに入れて廊下に戻ろうとした仁王は、ふと人の視線を感じて棚の方を振り返った。
するとそこに赤い服を着た小学生くらいの女の子が立っていた。
青白い肌に長い黒髪、靴は履いておらず、首には紐で絞められたような痕がついている。
「……」
少し距離を取りつつ様子を窺うが、少女はじっとこちらを見つめるだけで何も言わない。
「……お前さん、この学校の生徒かのう?」
仁王が尋ねると、少女はこくりと頷いた。
どうやら教室で見かけた他の児童とは違うようだ。
とても生きている人間には見えないが、彼女から悪意や殺意は感じない。
「俺に何か用があるんか?」
「……」
尋ねてみたが少女は何も答えない。
だが言いたい事はあるようで、金魚のように小さな口を開閉しながらじっとこちらを見つめている。
「お前さん……。ちょっと待ちんしゃい」
仁王はそう言うと棚の上から古い画用紙を取り、引き出しの中からまだ使えそうなクレヨンを見繕って少女に渡した。
「!」
少女は驚いた表情で仁王を見上げる。
仁王は何も言わなかったが気遣いは通じたようだ。
だが"舌"のない少女は画用紙を胸に抱いたまま何故か俯いてしまった。
「どうした?」
「……」
声を掛けても少女は迷うように視線を揺らすだけでクレヨンを手に取ろうとしない。
「子供が遠慮なんかするもんじゃないぜよ」
苦笑を浮かべながら仁王が少女の頭を撫でる。
顔を上げた少女はそれでも少し迷う素振りを見せたが、やがて画用紙に何かを書き始めた。
少女が書き終わったのを見計らって仁王が画用紙を取り上げると、そこには赤い文字で"わたしをみつけて"と書かれていた。
「見つける?」
仁王は画用紙を手にしたままもう一度少女に視線を移す。
手を伸ばせば触れられるが、先程触れた時の感覚と言い、やはりこの少女も教室で見かけた三人組の児童と同じように霊体なのだろう。
つまりどこかに"本体"があるはずだ。
少女はそれを見つけてもらいたがっているのか?
「さて困ったのう。一度戻るべきか……」
どうするか迷っていたその時、突然静寂を引き裂くような悲鳴が響き渡った。
廊下に飛び出して応接室の方へ向かうと、つきあたりの近くにユキが座り込んでいた。
そのすぐ側には教室で見かけたあの三人組の児童が立って壁を見つめている。
彼らの視線の先にあったのは、腹に包丁が突き刺さり壁に張りつけにされたブン太の姿だった。
三人の児童はまるで昆虫の標本でも見るかのように、興味深そうにブン太の腹を見ている。
十字に引き裂かれた下腹部から臓物が流れ出して床に広がり、足元に流れて来たそれを血塗れの少年が水溜りで遊ぶように靴で踏み潰している。
「っ……ユキ!!」
仁王はとっさにユキの腕を引いてその場から逃げ出した。
潰れた臓物が放つ異臭が二人を包み込んで精神を蝕んでいく。
図工室の前を通り過ぎて階段を駆け上がろうとした時、ユキが呻き声を上げてその場に崩れ落ちた。
見ると、顎から上がない少女が床に這いつくばったままユキの左足を掴んでいる。
「!」
仁王はとっさにユキの体を抱き上げて階段を駆け上がった。
少女の手が離れると同時に足首に巻かれていた包帯が外れて踊り場に落ちる。
「っ……仁王っ」
「今は何も考えるな!」
二人はそのまま校長室の前まで移動し、仁王はユキを下ろしてポケットから針金を取り出した。
「仁王、開けられるの!?」
「このくらいの鍵なら……っ」
針金を手に扉の前に跪いていた仁王は、突然誰かに肩を掴まれて後ろを振り返った。
「!」
「仁王、ユキ、無事だったか!」
そこにいたのは、王者立海の皇帝と呼ばれる真田だった。
ここまで走って来たのか息を切らし額には汗が浮かんでいる。
「真田君……!」
「仁王、校長室には鍵が掛かっている。このままでは……っ」
「少し黙っときんしゃい!集中できんぜよ!」
「今、仁王が鍵を開けようとして……」
言い掛けたユキの耳に聞き覚えのある声が響いた。
半分闇に包まれた階段の踊り場に、血に染まったガラス片を手にした幸村が立っている。
「やあ、ユキ。仁王も、ここにいたんだね。酷いなあ、真田。人を散々待たせておいてこんな所で遊んでるなんてさ」
「くっ……幸村、正気に戻れ!!自分が何をしているのかわかっているのか!!」
階段の上から真田が叫ぶが幸村は冷たい笑みを浮かべるだけで、こちらの声など全く聞こえていないようだった。
「皆、何をしてるんだい?まさか……逃げるつもりじゃないよね?そんな事はさせないよ。皆ずっとここにいるんだ……!」
狂笑を浮かべる幸村が階段を上って来る。
「仁王!」
「っ……開いたぜよ!」
手応えを感じて仁王が扉を開け放つ。
「急げ!!」
三人は校長室の中へ飛び込むと内側から鍵を掛けて閉じ籠った。
「どうしよう、扉が……っ」
「止むを得ん、このまま地下へ行くぞ!」
「地下?何の事じゃ」
「説明している時間は無い!」
言いながら真田が棚を動かし、ユキが隠し通路の扉を開いた。
ぽっかりと口を開けた通路を見て仁王が僅かに目を見開く。
「暗くて何も見えんぜよ」
「これを使え!」
真田から投げ渡されたライターを使いながら仁王が隠し通路に足を踏み入れる。
「奥に穴が見えるな」
「そこから地下へ下りられるの。縄梯子があるでしょ?」
「これか……」
三人は縄梯子を下りるとライターの明かりだけを頼りに地下道を進んだ。
「まさか校舎の下にこんな場所があったとは驚いたぜよ」
「油断するな、仁王。暗闇で襲われたら逃げ場はないぞ」
「……真田君、あの事仁王に伝えた方が……」
「ああ、そうだったな……」
「何じゃ?」
ユキと真田は顔を見合わせると、天神小学校について知る限りの事を仁王に伝えた。
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