Book of Shadows

惨劇の理科室で傷だらけの刻命がユキの両手を縛る包帯を解いている。

自由になったユキはふらつく刻命を支えようとするが、刻命はとっさにユキを突き飛ばして背後に迫る殺気から遠ざけた。

首にナイフが突き刺さったままの校長がゆらりと立ち上がってハンマーを振り上げる。

がつっという鈍い音と共に刻命が倒れ、その背に馬乗りになった校長が何度も執拗にハンマーを振り下ろす。

固いハンマーが肉をえぐり頭蓋骨を砕き、血と肉片が辺りに飛び散る。

その地獄のような光景をユキは震えながら見つめていた。

校長がハンマーを振り下ろす度に何度も止めてと泣き叫ぶ。

だが校長は歪んだ笑みを浮かべながらもう動かない刻命を何度も撲りつけた。

絶叫と共にユキが理科室を飛び出す。

もつれそうになる足を必死で動かして、泣きながら兄に助けを求める。

静寂に包まれた校舎内でユキの声だけが響き渡っていた。

「ふふふ……あはははは!」

気がつくと俺の背後でサチコが笑い声を上げていた。

古びた机に腰掛け両足を揺らしながら笑っている。

その姿は笑いながら殺戮を繰り返す校長によく似ていた。

「お前は……何の為に存在している?」

俺が尋ねると、サチコはにたりと笑って答えた。

他人に恐怖を与える為に存在していると。

自分は負の感情の塊で、生者への妬みや校長への憎しみで溢れているのだと。

「"サチコ"は私を不必要な存在として切り捨てた。そうしないと自分まで狂ってしまうから。そう言って私を暗い暗い場所に閉じ込めたの」

「……」

「天神小学校が消えて"サチコ"もお母さんの所へ行った。だけど私はずっと暗い場所に囚われたまま、誰にも助けてもらえない。誰にも私の声は届かない。……自分だけ願いを叶えて、私を置き去りにして、大好きなお母さんと幸せな場所にいるの。そんなのずるいでしょ?」

「お前にあるのは"サチコ"への怨みか?」

「……わかんない。だって私は私以外の全てが憎いんだもの。そういう風に生まれたんだもん。誰かを憎んで復讐をしろって、その為だけにお前は生まれたんだって……」

「……」

いつの間にかサチコの顔から笑みが消えていた。

無邪気で残酷な悪魔のような少女はもうそこにはいない。

人を怨み憎み傷つける事に疲れ果てているような、そんな顔をしている。

俺はふとユキが刻命に言っていた言葉を思い出した。

襲い掛かって来た刻命に怯えながら、それでも側にいて欲しいと懇願したユキ。

孤独がどれほど辛いものなのか知っているから、ユキは命の危険に晒されても同じ孤独を抱える刻命を拒まなかったのだろう。

もしかしたら刻命に幼い頃の自分の姿を重ねていたのかもしれない。

刻命を否定する事は、幼い頃の自分を否定する事だとそう思ったのかもしれない。

理科室で校長に襲われた時、ユキはすぐには逃げ出さなかった。

死を恐れていなかった。

昔から消極的でわがまま一つ言わなかったが、本当はずっと捨てられるのが怖くて必死に"良い子"を演じていたのだろう。

要らないと拒絶されるくらいなら、死さえも幸福に思えたのだろう。

そんな風にずっと苦しんでいたのだ。

だからユキは同じ苦しみを背負う刻命を"兄"と呼んだのかもしれない。

もう俺に"兄"でいる資格はないのかもしれない。

……それでもいい。

たとえ怨まれようとも、罪を償えるのなら……ユキを救えるのならそれでいい。

もう"お兄ちゃん"と呼ばれなくても、存在さえ忘れられても、もう一度あの笑顔が見られるのならそれでいい。

俺は決意を固めると真っ直ぐ中庭へと向かった。

ポケットの中には霧崎の切れ端が入っている。

後は逆打ちを行うだけだ。

今見ているこの光景がさっき見た悪夢の続きだとすれば、おそらくユキは中庭にいるはずだ。

今から行けば間に合う。

「!」

全速力で中庭へと向かうと、桜の木の下にユキが立っていた。

雨に濡れたままじっと空を見つめている。

俺は静かに歩み寄ると、ポケットから切れ端を取り出してユキに見せた。

ユキの持つ切れ端を使って逆打ちを行えばこの悪夢から逃れられると。

ユキは刻命の学生証から切れ端を取って見つめた。

ここから脱出しても、自分は独りきりだとそう言って俯く。

俺はユキを宥める為にもう一つ説明を付け加えた。

逆打ちをすれば一つだけ願いが叶う。

"死者の掟"に従った者には幸福が与えられると。

多少省略はしたが決して嘘ではない。

ユキは茫然と俺を見上げ、それから希望の光を見つけたように強く頷いた。

切れ端を合わせて逆打ちを行う。

目を閉じて静かな祈りを捧げるユキの姿を、俺はただずっと見つめていた。

これで俺の願いは叶った。

今日この時の為に俺は生きてきたのだとそう思えた。

たとえもう二度と会えなかったとしても、ユキの笑顔を守る事が俺の役目なのだから。

それこそが俺の願いなのだから、これでいいのだと自分に言い訳をしていた。

最後に触れた"妹"の頬はとてもあたたかった……。


19/21

prev / next
[ BackTOP ] 
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -