縁側に投げ出された足は不健康なまでの白。普段着物で隠されているのだから当たり前と言えばそうなのだがこの色はもはや病的な白さに近い。しかし、からん、と下駄が落ちた足首には鼻緒の形だけが浮かび上がるかのように白く、陽に当たる大半の甲は焦げたかのようにくすんだ色だった。
紺はそんなことを思いながら団子を挟んだ向こうに居る女に目をやる。
足首から裾の捲られた生足はそのように、一般的な女よりも線の薄い体は頼りなさをより印象させる。肩は見事なまでの撫で肩で品はあまり感じないこれも華奢な体と言っていいものか悩んだ。
うなじが隠れるほどの黒い髪は先日「自分で切った」らしい。髪先はお世話にも綺麗ではなかったがそれはそれで、と言った具合だ。しかし彼女のその短い髪はなぜだか違和感がある。いや、長い髪をした姿を見たことはないのだが。
俺たちが顔を合わせたのは数ヶ月、つまり彼女が自ら髪を切った後だからだ。



髪を切ったのはこの頃だ。
サカガミ神社へ夜行が襲撃を掛ける前、六合が牢屋へ閉じ込められる少し前の出来事。
「名字のことは忘れてない?!」
あいにく、目を見開く彼に上手い説明出来るほど状況が把握出来ていない。正確には…なんて言葉を繋ぐがそれが正しいことなのかも分からない。
「知識としては、だけど。ただ経歴は改ざんされてる。『先日髪を切った』名字名前と『髪を切る前、数ヶ月前』の名字名前が同じ姿であるっていう認識…の誤差っていうのかな?それが証拠だと思う」
名字名前との面識はほんの数ヶ月前。もちろん、サカガミ神社でだ。篠ノ女と同じく沙門さんからの紹介で私がそこで働くことになった、まぁこれは正しい。だから色々と世話役を買ってでてくれたというのが彼の知る出会い。
誤差とは、現在の紺は“ 名字名前 ”の髪の長かったときのことを知らず、「髪を切った」後の姿しか知らないということ。紺のなかに “ 名字名前 ”の名称は有るのに中身はいやに透明だ。
「リセット、されてる…。え、でもちょっと待って」
「…私は六合と違って戦力面では梵天から必要とされてないから彼から得る真実が極端に少ない。私の知る事実を妄想で補うことが間違いを招く入口でもそれしかない…だけど」
「ちょっと待ってってば!」
肩を掴まれて私もらしくなく焦っていたのだと気付く。あぁそうだ、まずはそこから正す必要があった。私より六合より篠ノ女を優先するから話が前後してしまった。
「名字は、あっちのこと…」
ごくり、という唾液を飲み込む音が聞こえそうだ。あっちのこと、という表現はぼやかしているのかはたまた、名前が付かないからなのか。「現実」「未来」そう一括りにするにはなるほど確かに私たちはこちらに慣れ過ぎていた。



通い慣れることが嬉しかった。
趣味だというガラクタ集め。加えて仕事で使用する沢山の機械類。その結果、溢れかえったこの空間に初めて招待されたとき私はやはり制服姿だった。
汚れちゃうよ、なんて軽い口振りで部屋の主は笑う。しかし今日でもう役目を終了した制服は汚れようと捨てようと用済みであった為、私は構わず足を進めた。中学校を卒業したその日の出来事だった。

「おもちゃ箱をひっくり返したようですね」
そう感想を述べた私のことを凝視した人の名前を覚えている。
「いやァ、君、面白いかも」
若桜のこと、覚えている。



覚えてるよ、そう笑うと六合は目をこれでもかと見開いて、歪めて、涙を浮かべて、最後は何かを疑うような顔をした。
「でも、それだと…おかしい」
「私も引っ掛かることがある」
今のままだと名字名前という名の人間は二人存在していることになる。
あちらから来た私と、最初からこちらの私。前者を知る私は六合や梵天がいい例であり後者の私を認識しているのは沙門さんや平八さん、今の篠ノ女が入る。
そして私の記憶では篠ノ女と六合のその間、およそ一年前にあちらからこちらへと迷い込んだ。梵天に拾われ空五倍子さんと露草に出会い、情報収集の為呉服屋で働いている頃、篠ノ女と再会。そして朽葉、沙門さんと出会い、沙門さんからの紹介でサカガミ神社で働いていた、というのが大まかなものである。
「梵天は名字は最初から帝天に見つかってるから俺みたいな力は無いって言ってた。そうだって聞かされたから疑いもしなかったけどそれって有り得るのかな…」
「篠ノ女が初代、六合も力がある、とするなら私も力があっても不思議じゃないけど…何しろ前提がめちゃくちゃだから。それに梵天が嘘を吐く必要もな、」
「そこだよ!」
「え?」
「帝天に見つかっている名字をわざわざ保護する必要は?最初、拾われたって簡単に言うけど梵天が拾うメリットは?そもそも偶然出会ったわけじゃないんだろ?」
そう、確かに拾われたというよりは拾いに来てくれた。
「そうじゃなきゃ、名字はどうしてあっちのことを覚えたままなんだ?だって篠ノ女は忘れて、無かったことにされてるのに」
「帝天は…私を組み込めなかった、?違う、組み込めてる。 だとしたら」
「理由があるんだ、何か。だから梵天は名字を自分の手の届く場所に置いてるんじゃ…」
六合と顔を見合わせる。自信は無かった。確かな情報がない妄想での補いは正確ではないかもしれない。だけど、全てを否定出来るだけの材料も有りはしない。



人間と翼の組み合わせを少なくとも私は有り得ないものだと思っていた。
目に付いたのはあの人と同じ口元と耳にある大量のピアスだった。
「君に多くは求めていないからおとなしく庇護されていればいいよ」
「…保護?」
「注目すべき点は他にもあるだろうに。まぁ保護にしてくれるならそれに越したことはないけどね」
長い金髪にかさばるほどのまつげ、個性的な服装の男は言った。怖いと感じた。今まで出会った誰より違う気がした。
後にそれは間違っていなかったと知る。

「梵天」
それは私がこちらに来て初めて手を伸ばした存在だった。



団子に手を伸ばすと同じく団子を求めた紺の手と重なった。
「…悪い」
「あ、うん」
「お前も…知り合いだったんだな」
「六合?まぁ、同郷が一緒だから。あんまり話した機会はなかったんだけど、お互い今は同郷が他に居ないから」
「へェ」
「…ん」
気になるようすは無いらしい。
篠ノ女も同郷なんだけど、そういう思いを込めた言葉だった。反応が有ることに期待はしてなかったがそれでも堪えるものはあった。
「で、あっちとも、関わりあるのはどういうことなんだ?」
あっち、とは梵天たちのことだと分かった。神社で働く人間が妖と密な関係にある。
実際は違うのだけど紺にとっては事実。例え少しの間であれ自分が世話をしてきた人間がそれと反する行動をしていたというのは裏切りに感じるのかもしれない。
「怒ってる?」
「そうじゃねー…ってのは嘘だが別段怒っちゃいねえよ。ただ、色々と引っ掛かるつーか、一応世話役みてえなもんだから」
「…そっか」
歯切れ悪く紡ぐ言動を篠ノ女はしなかった。もちろんそんなことは無かっただろうが、まるで知らないことなどないような振る舞い。こちらで再会しても変わることの無かったそれが、今になってブレを見せる。
「紺は心配してくれたんだ」
からかうように目を細めれば紺は「調子乗んな」とそっぽを向いた。
私の知る篠ノ女と今、目の前に居る紺は同じなのか、違うのか。私の知る篠ノ女はもう居ないのか、目の前に居る紺はいつか消えてしまうのか。
「あ?…どうかしたか?」
「なんでもないよ」
「………」
分からないことが何乗にもなっていく。それに構わず進んでゆく人たちに私は引っ張られるままだ。
泣いてしまいそうだった。紺の手は、当たり前だけど、篠ノ女の手だったから。


たぶん世界は壊れた


「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -