巡り廻る想い

燐の心の、一番深い奥の奥に“奥村雪男”はいる。あまりにも深まった場所だから、きっと燐も気付いていないだろう。
邪魔だな、と雪男は思った。それは雪男自身なのだが、雪男は燐の中にいる奥村雪男がもはや自分ではない、別人のように感じた。

「出てこねぇな」

つまらなさそうにぼやく燐に、雪男は笑い掛けた。“雪男の笑顔”はこんな感じだろうかと思いながら。

「しょうがないよ。今までもうまく隠れていたらしいから、そう簡単にはいかないよ」

思い出したら、今の自分はどうなるのかと雪男の脳裏によぎる。燐の望む雪男が戻ったあと、今の自分は消えてしまうのだろうか。
複雑だ。燐が喜ぶなら、記憶を取り戻したい。でも燐の傍にいられないなら、記憶なんて永遠に失われたままでいい。
相反する二つの感情は、まるで雪男が二人いる証拠のように思えてならなかった。

「焦ってもしょうがねぇ、ってか」
「……燐」
「何だ?」

雪男が呼べば、燐は応える。きょとんとした表情が愛しくて堪らない。
そうして雪男は気付いてしまった。気付くのは恐らく必然で、当たり前だ。だって雪男は、初めて見たその瞬間から、燐のことを愛しく思っていたのだから。

「燐の知ってる僕、ってどんな感じ?」
「俺の知ってる雪男?」

そう、と雪男が頷くと、燐は何かを思い浮かべるように気を見上げた。
聞いてみたいと雪男は思った。燐の大切に思っている奥村雪男が、一体どんなだったのか。

「口煩くて母親みたいなやつだな」
「は?」
「開けたドアはちゃんと閉めろだとか、着替えはまとめておけだとか、何かと口うるせぇの。弟だってのに俺のことバカにするし」

そんなふうに言いながら、燐は何だか穏やかな表情だ。聞いておきながら、雪男は悔しかった。だって今の雪男には、燐にそんな表情をさせられない。おそらく、共に過ごした時間があるからこそ、燐は雪男を思って笑うのだろう。
悶々とする想いを抱きながら、雪男は燐の向こうに人影を見た。

「燐!」

雪男が燐を呼ぶのと、その人影が揺らいで消えるのはほぼ同時だった。おそらく、あれが雪男の記憶を奪っただろう悪魔なのかもしれない。
燐がびっくりして目を丸くしているのを見ると、雪男は小さく笑った。

「いや、何でもない」

悪魔を捕まえれば、記憶は戻るのだろうか。雪男には分からない。
不意に目の前が暗くなり、雪男は表情をゆがめる燐を見たのが最後に、意識を失った。




*****




「まって!まってよ、――!」

小さな頃の雪男が、誰かの背中を追って呼び掛けている。その後ろ姿はぼんやりとかすんでいて、見えない。呼び掛けているだろう声も、聞こえない。
追い付けないことが悲しくて、悔しくて、雪男は泣き出してしまいそうだった。
これは、雪男の記憶の欠片なのだろう。ぼんやりと、雪男は思う。

「はやくこいよ!ほら!」
「まって……まってったら!」

立ち止まるその人物は、振り向いて雪男に笑いかけた。顔は見えなかったけれど、きっとそうなのだろう。ほっとして、雪男の目から涙がこぼれる。

「なんだ、ないてんのか?ばかだな、ゆきお。おれがおまえをおいてくわけないだろ!」
「だって、――がさきにいっちゃうから……」

しょんぼりと俯いた雪男の頭を、その誰かが撫でた。乱暴で、決して優しい手つきではなかったけれど、何よりも優しく感じる。暖かくて、力をくれる手だった。
そこまで感じて、雪男はぼんやりながら目の前にいる人物の顔が見えた。

「おいてかないっつってんだろ?」
「やくそくだよ、にいさん」
「やくそく!」

燐だ。燐は無邪気に微笑んで、泣いてしまった雪男の目元を拭う。ちょっと力が強すぎて痛いけれど、雪男はそんな燐の手が好きだ。

「ずっといっしょにいてね、にいさん」
「おう!」

嬉しそうに笑う燐と雪男の姿に、雪男は小さく笑った。これが、雪男と燐の絆であり、二人を繋げている大切な記憶なのだろう。
そこに、今の雪男が入る余地はない。




*****




「おい!雪男!このバカ!テメェ!何勝手に倒れてんだ!!」
「に、いさん……?」

泣き出しそうに表情をゆがめた燐が、雪男の胸倉を掴んで揺する。少し痛む頭を押さえ、雪男は燐を呼んだ。兄さん、と。
口にして見るとあまりにも自然な呼び方で、雪男は以前の自分がこうやって燐を呼んでいたのだと分かった。記憶が戻ったわけではないけれど、二人の記憶の断片を覗いたことで、“雪男”のことがわかったような気がする。

「お、まえ……記憶、戻ったのか!?」
「ちょっと違う、かな。小さな頃の夢を見たよ。僕は燐のことを兄さんと呼んでたんだね」
「え?あ、ああ……双子だけど、俺が兄さんだからな」

雪男が兄さんでなく、燐、と呼んだときに見せた燐の表情は、きっと無意識なのだろう。無意識だからこそ、雪男の心に深く後を残した。
悲しそうな、淋しそうな、そんな燐の表情が、雪男の脳裏に焼き付いて離れなくなる。この先、ずっと。


つづく


過去話は捏造です。
でもきっとちび奥村兄弟はこんな感じだったんじゃないかなぁ、と思っていたりします。


11.06.05


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