嵐の予感

また勝手についてきて、と呆れながらも結局のところ、許してしまう。燐はそんな雪男に、へへっと笑いかけた。
無事に候補生となれた燐は、雪男が任務を受けるたび、こっそりとついていく。突然の任務だって珍しくなく、今日だって本当は二人で買い物にいくはずだった。

「買い物が行けなくなったのは悪いと思ってるけど、そう何度もついてこられたら困る」
「別に買い物はまた来週でもいいぞ」
「そうじゃなくて!」

雪男の言い分も分かる。あくまで、燐はまだ候補生だ。祓魔師じゃない。もし何かあったら、と心配しているのだろう。
雪男の気持ちは嬉しいが、燐だって心配なのだ。目の届かないどこかで、雪男が怪我をしてやしないか。

「ここまで来ちゃったら仕方ないけど。勝手にうろうろしないように。あと、僕から離れないで」
「おう!」

今回の任務は、未確認悪魔の生体調査で、相手がどんな能力か全く分からない。直ちに危害を及ぼさないのであれば、深追いするな、との指示が出ている。
もっとも、悪魔の目撃情報が報告されているだけで、まだ被害は出ていない。基本はチームで動くのが本来の在り方だが、今回はそんなわけで雪男は燐のお守りを兼ね、単独で任務にあたることとなった。

「正体不明の悪魔ってまだいるんだな」
「そうだよ。すべてが網羅されているわけじゃない。何の眷族かさえ分かっていないんだ」
「悪いやつじゃねぇ可能性もあるってことか?」
「そういう場合の判断は、難しいよ」

雪男は幼い頃から悪魔を見てきた。魍魎のような小さなものから、恐怖を与えるものまで。
ただ、害がない場合の対処は、どうするのが一番いいのか雪男にはまだ見つかっていない。獅郎のように、退治しなくても解決できるような技量が、今の雪男にはなかった。

「雪男?」
「いや、何でもない」

そう言って笑うと、雪男は未確認悪魔が出るという雑木林に足を踏み入れた。

『あったかい』
「え?」

不意に声が聞こえ、燐は辺りを見回す。小さな子どもの声だ。どこから聞こえたのか分からないにも拘わらず、はっきりと聞こえた。
燐が立ち止まって探していると、前を歩いていた雪男が振り返る。その向こうに、小さな女の子の姿が見えた。
まだ小学校にも上がっていないだろう。そんな小さな子がたった一人でこんな場所にいるだなんて。燐は首を傾げた。

「雪男、この森って俺ら以外も誰かいんのか?」
「今は立ち入り禁止にしてるから、誰もいないはずだよ」
「じゃああの子は?」

燐が言うと、雪男は振り返った。その目が少女の目と合う。

『ちょうだい』
「は?」
『あったかい。きれい。ほしい』

燐にしか聞こえていない。ただ、雪男はその少女が人間ではないだろうと感じていた。見つめていると、燐が駆け出した。少女の手が、雪男に向けて伸ばされていたからだ。
危険だ、と燐の頭のどこかで警鐘がなる。雪男が危ない、狙われている。そう思い当たったら、体が勝手に動いていた。

『じゃま、しないで!』
「兄さん!」

何か分からない。白い光が燐に向かってくる。避けきれない、と燐が思ったとき、目の前に雪男の背中が見えた。
光が消え、少女の姿も消えている。燐が見たのは、倒れた雪男だった。

「雪男?おい!雪男!」

呼び掛けても返事をしない。燐はさっと血の気が引いた。
庇われた。守られた。また。
雪男までも失ってしまうのかと、恐ろしくなる。どうしたらいいのか、ただ燐は雪男を呼ぶことしかできなかった。

「雪男、おい!返事しろ!雪男!雪男!!」
「う、ん……」
「雪男!」

ぴくりと雪男の瞼が動く。その目が燐の姿を移した瞬間、燐はほっとして雪男にぎゅっと抱き着いた。
失えない。失いたくない。燐にはもう、雪男のいない生活なんて考えられないのだから。

「あの……」
「わ、悪い……俺のせいだよな。俺が――」
「すみません。任務の最中だったと思うんですが」

気を失っていたせいで混乱が起きているのかもしれない。燐はほっとしてへにゃりと表情を緩める。
よかった。本当に。雪男が無事で。もしも雪男に何かあれば、燐は平気ではいられないかもしれない。

「え?あ、ああ。なんか白い光がな」
「この雑木林は危険です。外まで送ります」
「ちょ、ちょっと待てよ!雪男!お前何言って――」
「あの、申し訳ありません。どこかでお会いしたことがあるんでしょうか」
「え……?」

悪魔が奪っていったのは、たった一人の大切な“記憶”だった。


つづく


雪男が燐のことだけを忘れてしまう、そんな記憶喪失のお話です。


11.05.27


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