果てない想いを
情けないなぁ、と雪男は一人歩きながらため息を吐く。
決して心配させたいわけではない。けれども、それ以上に燐が心配なのだ。
性格なのだろうか。燐はどこか、自己犠牲精神が過ぎる。おそらく、雪男のためなら簡単に身を投げ出すだろう。もっとも、それは雪男も同じなのだろうけれど。
「何だろうね、これ……」
心配で、やめてほしい。そう思う気持ちは本物だ。けれども、心のどこかでそんな燐を嬉しいと感じている雪男がいる。
まったくもって、実に不謹慎極まりない。何よりも大切で、誰よりも好きな人が自分のために犠牲になるなんて、考えるだけで恐ろしいというのに。
「悩み事ですか、奥村先生」
「フェレス卿……」
さっきまで気配はなかったというのに、いつの間にか目の前にメフィストが立っている。雪男の顔が“奥村雪男”から祓魔師のものへと変化する。
それを見てか、メフィストは口元を緩め、彼らしくない柔らかな笑みを浮かべる。
「例の悪魔ですが、おそらく、今夜中に決着がつくでしょう」
「もう捕らえているんですか?」
「ええ。あとは貴方の魔障について調べてみるだけのようです。おめでとうございます、奥村先生。これで記憶が戻るかもしれませんね」
「……そうですね」
記憶が戻れば燐は喜ぶだろう。雪男だって、燐のことを思い出せるなら嬉しい。
けれども、記憶が戻ったら、今の自分はどうなるのだろうか。
雪男には明確な答えがない。きっと誰にも分からないことだろう。
「不安、ですか?」
「はい?」
「いえ、そんな顔をしていたもので」
いつもの人を食ったような笑みでメフィストが言う。雪男は内心舌打ちをした。
獅郎とは旧知の仲であるというメフィストだが、雪男にはどうも得体のしれない存在だ。
「奥村君のためですか?いやぁ、麗しい兄弟愛ですね」
「そんなんじゃありませんよ。肉体的なものはともかく、精神的な魔障は今後、どのような影響を及ぼすか分かりませんし。めずらしい症例であるのなら、今後のために協力できると思いますから」
「なるほど、祓魔師としては模範回答ですね」
複雑そうに笑うメフィストを見て、雪男は表情を消した。
「何がおっしゃりたいんですか?」
メフィスト相手に敵対すべきではないと頭では分かっている。けれども、どうにも攻撃的な言い方になってしまうのは、雪男自身に余裕がないからだろう。
そんな雪男を見ても、メフィストはにこりと笑ったままだ。雪男は押し黙り、メフィストの出方を見守る。
「もう少し、ご自身に素直になられた方がいいですよ。奥村雪男君」
それだけ言うと、メフィストは鍵を使ってドアを開く。促されるまま、雪男はそのドアをくぐった。
ドアの先で雪男を待っていたのは、見知った顔の祓魔師たちだった。
どうやら彼らは雪男を待っていたらしく、雪男が頭を下げると皆それぞれ挨拶をしてくれる。おそらく、雪男の精神に影響を及ぼす魔障について、対処をするのは彼らなのだろう。
「奥村君、こちらへ」
「はい」
促されるまま、雪男は椅子に座る。異例中の異例なのだろう。どこか緊張した雰囲気が漂ったままだ。
不意に右手に触れた感触に雪男は目を閉じる。流れ込んでくるのは、見知った燐の、見知らぬ頃の笑顔だった。
「うまくいきそうですか?」
「奥村君次第でしょうか」
「そうですか」
そんな会話を聞きながら、雪男の意識は次第に薄れていく。笑って差し出された燐の手に、触れたようなそんな気がした。
*****
目を開けるように指示がされると、雪男はそっと目を開く。処置のために特別な部屋に通されたようだ。
白い天井と白い壁に囲まれたその部屋は、無機質なものだった。
『ごめんなさい』
落ち込んだようなしょぼくれたような声がして目を向けると、そこにいたのは、燐ではなくあの日の悪魔だった。
彼女はちら、と雪男を上目遣いで見遣る。
「どうしてあんなことをしたの?」
なるべく怖がらせないよう、雪男は勤めて優しく声を出した。小さな子ども相手に、いきなり銃を突きつけることなんてできないだろう。
メフィストが何を考えているか分からないが、雪男とこの少女を二人きりにしたのには、何かわけがあるのだろう。
『うらやましかったの。あたたくて。きれいで』
「それは、僕じゃなくて燐だよね。僕はそんなふうに言ってもらえるほど、暖かくない」
『ちがうよ。きれいなの。“りん”をおもうきもちが、うらやましかったの』
ふわふわと少女は笑う。雪男は優しく微笑んだ。
「僕は雪男。奥村雪男って言うんだ。君は?」
『わからないの』
少女の言葉に、雪男は眉を顰める。
この少女は所謂幽霊でなく、悪魔だ。分かっている。
けれども、どうしても悲しそうに俯くその顔を見ていると、ただそれだけではないように思えた。
『“ゆきお”は“りん”のところにかえるの?』
「できれば、そうしたいね」
『きえるの?わたし』
「君は悪魔だから、そうするのが僕の役目だよ」
『そう』
微笑む少女と目を合わせると、雪男は唇をかみしめる。
全ての悪魔から燐を守るために、雪男は祓魔師になった。だから、この少女がいかに人間のように振る舞ったとしても、それを討つのが雪男のなすべきことだ。
雪男は静かに銃を取り出す。
『ありがとう、“ゆきお”。あたたかくて、きもちよかった』
ドン、と部屋に音が響く。雪男の発した弾が少女に当たり、嬉しそうに微笑んだ少女は消え去った。
「礼を言われることなんて、僕は……」
これは雪男が選んだ道だ。けれども、どうしようもない気持ちになる。
分かっている。彼女は悪魔だ。人間ではない。
全てを思い出して、雪男は悪魔である燐の笑顔を頭に思い浮かべた。
「……こうやって悪魔を殺す僕が、兄さんの傍にいる権利なんてあるのかな」
ぽつりと呟いたその言葉は、誰にも聞かれることはない。ただ、雪男の中で消化されることなく渦を巻いた。
つづく
雪男にぐるぐる悩ませるのが好きです。はい。
11.08.14
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