この手に持てるだけの愛を

記憶があってもなくても、やっぱり雪男は雪男だ。
燐がそう思うのは、ふとした瞬間に雪男が馴染んだことを言ったりしたりするときだ。常日頃、まるで母親のような小言も、言い回しは多少違えど、今の雪男も言う。

「燐、脱いだ服は洗濯するならまとめておいてよ」
「あ?後で片付けるからいいんだよ」
「そう言って、昨日脱いだ服をほっぽらかしたままじゃないか。料理は燐にしてもらってるんだし、洗濯は僕がするから」

懐かしいな、と思うのは、記憶をなくしてからの雪男がやたらめったら燐に対して甘いからだ。兄弟だという記憶が抜けている分、やたらと恋人として扱う。それが燐としては照れ臭い。反面、嬉しくもあるのだけれど。
その中に前と同じような小言が挟まると、なんだか懐かしい気分になる。

「……お前って、なんか母親みたいだよな」
「ああ、なんかそれ、前にも言われたような気がするよ」
「言ったからな」

くす、と柔らかな笑みを浮かべて雪男が言えば、燐は頬を少し染め、顔を背けた。
どうしてこうも、雪男は空気を変えるのがうまいのだろうか。いっそ喧嘩にでも発展してしまうそうな話の流れだったというのに、優しい笑みで壊してしまう。
パシパシ、と燐の尻尾が椅子を叩く。先程から手をつけ始めた課題は、まだ一向に進む気配はない。
沈黙する燐の後ろで、雪男が小さく笑ったような気がした。笑うな、と燐が振り向こうとした瞬間、タイミング悪く雪男の携帯が鳴った。

「はい、奥村」

3コールと待たずに電話に出る雪男は、もうさっきまでの雰囲気はない。祓魔師の気配が漂う。
器用なやつ、と舌打ちをすると、電話する雪男の顔を見つめた。

「……雪男、だな」

思わず、声がこぼれる。なぜだか理由は分からない。毎日一緒にいて、行動を共にする時間だって多い。
なのに、雪男が祓魔師として行動をするときは、どこか遠く感じてしまう。生まれる前から一緒だった弟なのに、変な話ではあるのだけれど。
通話を終えたらしい雪男が、視線を燐に向ける。顔を見ていた割には、通話内容なんてまったく聞いていなかった燐は、こてりと首を傾げた。

「任務か?」
「いや、例の悪魔が見つかったらしい」
「本当か!?」

例の悪魔、とは雪男の記憶を奪ったあの少女だ。正体不明、消息不明。謎だらけのあの少女は、これまで雪男と燐の前にしか姿を見せなかった。

「まだ正体はよく分からないらしいんだけど、霊の一種みたいだね」
「霊?幽霊ってことか?」

今まで燐の出会った悪魔とは違う。首を傾げて燐が尋ねると、雪男は困ったように笑った。

「正式な言い方をすれば、人や動物の死体から揮発した物質に憑依する悪魔だよ」
「き、きはつ……?」
「……もう塾でやってるはずなんだけど」

雪男は講師のとき同様の、どこか威圧的な笑みを浮かべる。そんな授業もあったっけ、と燐がとぼけてみせると、ため息で返ってきた。
呆れを含むそれも、最近では久しぶりだった。前はよく聞いていたけれど。

「僕はこれからまたあの雑木林に行ってくる。魔障のことも調べたいみたいだからね」
「お、俺も行――」
「燐は駄目」

行く、と言う前に遮られ、燐は不満そうに雪男を睨む。この前は連れていっただろう、と目で訴えても、雪男は首を振るだけで頷かない。
また雪男が危険な目に遭うかもしれないというのに、待っているだけだなんて燐は嫌だった。行ったところで何ができるか分からないけれど、それでも少しは力になりたいと思っている。

「何でだよ!」
「すぐに無茶するからだよ。燐に何かあったら、僕は記憶が戻っても嬉しくない」

きっぱりと言い放たれてしまえば、燐は言葉に詰まる他なかった。そもそも、最初の原因が燐の無茶にあるのだから、反論の余地は端からない。
むぅ、と黙り込んだ燐を見て、雪男はまた、困ったように笑った。

「死体の生前の感情に引き摺られるから、あの悪魔も何かしらあるんだろうね」

なくした記憶について、何らかの関わりがあるのだろう、と雪男は考えているらしい。しかし、燐にはそこまで思い当たらない。意味ありげなその言葉に、燐は目を丸くした。
そんな燐を見て、雪男はまた表情を緩める。

「記憶が戻るかもしれないから。でもこれは任務だから、僕が行かなきゃいけない。燐は待ってて」

拒絶の言葉でもあるように燐は思った。ここで見送れば、もしかしたら帰ってくるときには記憶が戻っているかもしれない。けれども、そうでないかもしれない。
バカだな、と燐は思う。雪男はいつも燐よりも先を見つめていて、燐よりも多くの結果を予想している。そんなもの、たった一つの現実に打ち消されてしまうのに。

「お前の好きなもん、作って待ってる」
「うん、いってきます」

そう微笑んだ雪男が、心なしか淋しそうに見えて。でも燐には、呼びとめる言葉が見つからなかった。


つづく


普通の兄弟っぽい、そんな雪燐も大好きです。


11.06.21


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