訪れ――1

ピィン、とどこかで弦を弾いたときと似た音色が聞こえる。
遠く、遠い、どこかから。風が連れてきたその音色は、どこか儚げで、ひどく美しかった。思わず、燐は足を止めた。
ここは学校の廊下だ。風鈴なんてどこにも見えない。
雪男の足音だけが聞こえていた中、微かではあってもはっきりした音色には、どこか心を引かれる。
前を歩く雪男に目をやる。儚くて美しい音色は、雪男の耳には届いていないらしい。

「兄さん?」

燐がついてきていないことに気付いたのか、足を止めて振り向いた雪男は、燐を見るなり訝しげに眉を顰める。
そんな雪男を、燐はボーっと見つめた。なぜか分からないけれど、目の前にいる雪男が随分と遠く見える。

――これは、何?

頭の中で誰かが問う。燐には分からない。これは、何という感情なんだろう。
雪男に聞けば分かるのだろうか。
怪訝な顔をしていた雪男は、気付けば心配そうに眉を下げていた。

「どうしたの、兄さん」
「いや……なんか……」

心配をかけたいわけではなかったけれど、言葉が見つからない。
この感情は。この気持ちは。この想いは。この心は。
一体何と言う名前がつくのだろう。どう説明すればいいのだろう。分からない。
燐が困ったような顔で見つめ返せば、雪男は数歩先から燐の元へ歩いてくる。
ゆっくりした足取りだが、しっかりした足取りだった。

「顔色がよくないけど、調子でも悪いの?」

雪男の口調は修道院に居た頃のものと同じ。優しくて、暖かい。
燐は雪男のコートに手を伸ばした。

「音が、聞こえないか?」
「音?聞こえないけど。どんな音?」
「なんつーか、ワイヤー弾く音みたいなの」
「ワイヤーを弾く音?」

燐の手がコートに触れるより早く、雪男の手が燐の手を掴む。暖かかった。
手が触れ合った瞬間、雪男は驚いたように目を丸くして燐を見つめる。

「きっと体調がよくないのかもしれないね。一旦寮に戻ろう」
「でもお前、忙しいんだろ?」
「部屋でもできるから大丈夫だよ」

体調管理がなっていない、と言った小言を受けると思ったが、予想外に雪男は燐を心配しているらしかった。
変なの、と思う。前はこんなふうに、まるで甘やかすように雪男は燐を諭すことがあったけれど、燐が覚醒してからはそれがなかった。
前と同じだ。燐が何も知らなかった頃と。

「ゆ、きお……」

燐が小さく名前を呼ぶと、掴まれた手に力が込められた。

「大丈夫だよ、兄さん」

一体何が?燐がそう尋ねるよりも早く、雪男は燐の手を引いて歩き出す。
頭に響く音が、また聞こえた。


つづく


11.05.09〜05.24拍手ログ


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