迷走そして逃避

どんな顔をしたらいいだろう。それが分からなくて、燐に触れ、感情を吐露したあの日から、雪男は極力自分の感情を押し殺して過ごした。燐が何かを言おうとしているのが分かって、気付かないふりをしている。
もうすぐ塾生から候補生への昇格試験がある。雪男はその準備に追われる。都合がよかった。
これは逃避だ。燐のことを監視しつつ、自然に兄弟として振る舞い、逃げていた。

「雪ちゃん!」
「はい?」

授業が終わり、雪男が合宿の準備のために早々に教室から切り上げると、廊下でしえみに呼び止められた。めずらしいな、と思って振り向くと、眉を下げて不安げな顔をするしえみがいた。

「どうしました?」
「最近、燐と雪ちゃん何かあったの?」
「……なぜ、そう思うんです?」

雪男は一瞬、どきりとした。何かあったなんてものじゃない。ただ、それをしえみには言えなかった。
雪男は普通に振る舞っているが、燐は違う。きっとしえみは、そんな燐を心配しているのだろう。雪男はそう思うと、にこりと笑った。

「燐がなんか変だから。ずっと考える顔してると思ったら、急に顔を赤くするし。あとね、ずっと雪ちゃんを目で追ってるのに、雪ちゃんは全然目線合わせないから」

喧嘩したの?、と尋ねてくるしえみの言葉に、雪男は困ったように微笑んだ。
喧嘩ならよかった。それならまだ、兄弟としては普通だ。なら今の状態は何なのだろう。雪男はそう考え、自嘲気味に笑う。
しえみの言葉通り、最近の雪男は意図的に燐から視線を外していた。燐が自分の姿を追うことも、気付いている。思い悩んでは赤面していることだって、知っている。
ただ、雪男にもどうすればいいのか分からなかった。

「喧嘩、とはちょっと違いますが」

燐の意識が自分に向いていて嬉しい。そう思う雪男もいて、同時に逃げ続ける自分を恥じる雪男もいる。
喧嘩ならよかった。ごめん、と謝ることができる。今回のこともごめんと理由をつけて謝れば、丸く収まるのかもしれない。しかし雪男は、謝りたくなかった。

「早く仲直りできるといいね」
「……はい」

優しく笑うしえみに頭を下げ、雪男は歩き出す。仲直りなんて、できるのだろうかと考えながら。


***


量に戻ると、めずらしく燐が机に向かっていた。候補生への昇格試験があるということで、少しはやる気が出たのだろう。
思わず雪男はじっとその背中を見つめた。ああ、兄さんだ、と思うと妙な安心感が生まれる。

「おかえり。早かったな」
「……ただいま」

燐が振り向いた。久しぶりに目が合う。思わず雪男は、息を詰めた。
何をどうしたって、燐が好きだという気持ちは変わらない。けれども同時に、燐を兄として慕う気持ちだってなくなったわけじゃない。
雪男は息を飲み、燐を見つめた。

「お前さ……この前のあれ、何だったんだ?」

燐の目はまっすぐ雪男に向けられている。強い力を持つ目だ。まっすぐで綺麗で。
何だったんだ、ってなんだよ、と言いそうになった口を一旦抑え、雪男は小さく息を吐いた。

「そのことに関しては、謝りたくないけど謝るよ。ごめん」

燐を失いたくなくて、雪男はごめんと言葉にした。謝りたくはないけれど、燐の気持ちを蔑ろにしたのは確かだ。
そんな雪男に、燐は眉をつり上げた。

「謝りたくねぇのに謝んな、バカ。意味ねぇだろ、それじゃ!俺は謝ってほしいわけじゃねぇ」
「兄さんの気持ちを無視してキスしたことは、悪かったと思ってる」
「何だったのか聞いてんだよ、俺は!」

じろっ、と睨み付けてくる燐に、雪男は困ったように笑う。好きだと言ったのに、まだ理由が必要なのか、と。
ただ、どこまでも燐は優しい。無理矢理キスしたことについてのお咎めはなく、雪男に何かあったのかと心配しているらしい。
雪男は不思議と気持ちが落ち着いていた。久しぶりにちゃんと燐の目を見つめたからだろうか。
こうなったらもう、開き直って話した方が早い。

「この前も言ったけど、好きなんだ、兄さんが」

愛しく思う感情は、雪男にも制御できない。もう、抑えることはできなかった。

「兄さんのことが好きだ。愛してる」
「お、まえ……」

燐の目が見開かれる。雪男の言葉の意味を少しも考えていなかったのだろう。キスまでしたのにひどいな、と雪男は苦笑した。

「僕の初恋は兄さんだよ。今もそれを継続中。この前のあれは、自分を抑えきれなかったんだ」
「兄弟、だろ?」
「兄さんを兄弟だと思えないわけじゃないよ。ただ、家族だと思うのと同じくらい、好きだと想ってる。もしかしたら、家族愛よりも強いかもしれない」

燐が聞いてくれるから、雪男は落ち着いていられた。

「聞いてくれてありがとう。多分、もう大丈夫だから」
「大丈夫ってなんだよ……」
「兄さんを失いたくないんだ」

雪男は笑う。作り物でない顔で。

「おい、雪男――」
「傍にいられなくなるくらいなら、元通り弟として好きだと言えるように努力するよ。忘れてくれ」

きっと、多分、雪男の燐を愛する気持ちはなくならない。それでも、燐を失いたくないから、雪男は嘘を吐いた。心が悲鳴をあげてしまいそうだ。

「ごめんね、兄さん」


つづく


失うくらいなら、気持ちを押し殺しそうな気がしてなりません。


11.05.21


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