自覚、そして決壊

昔と変わらない仕草を見るとき、何だかひどく安堵する。昔と違う仕草を見るとき、心臓がせわしなく動き、落ち着かなくなる。
そんなとき、ああ、好きだな、とふと燐は思う。

「どうしましたか、奥村君」
「へっ?」

兄さんでなく、祓魔塾での呼び方で呼ばれた。はっとして燐が瞬きすると、雪男から呆れたようなため息がこぼれる。授業中であることをすっかり失念していた。
慌てて教科書を開いても、授業を聞いていなかったことは明白だ。雪男から、絶対零度の冷たい空気が流れてくる。

「目を開けて寝るだなんて器用なことができるなら、授業にも集中してくださいね」
「へーい……」
「では続けます」

なんてことなく授業に戻る雪男に、燐は内心、なんだよ、と悪態をついた。人の気も知らないで、なんて理不尽な思いが込み上げてくる。

「どうかしたの?」

隣でしえみが心配そうにしている。何でもないと笑ってみせると、燐はまた雪男へと視線を向けた。
広い背中だ、と思う。あの頃の、守ってやらなきゃいけない雪男は、もういない。それが淋しいようで、嬉しいようで、なぜかどこか苦しい。
雪男はもう、燐がいなくても立派にやっていけるのだと思うと、淋しさが強くなった。


***


授業がすべて終わり、燐は帰り支度をしながらぼんやり考えていた。
この感情は、何だろう。兄弟愛、では違和感が生じ始めていた。雪男に向かう想いが、昔とは形が変わり始めていることを感じる。

「燐、今日はずっとぼーっとしてたけど大丈夫?」
「あー……なんか、考え事してただけだ。心配すんな」

しえみの心配そうな顔に笑いかける。燐自身、うまく笑えたか自信がなかったが、しえみの表情が和らいだことから、ちゃんと笑えたのだろう。安堵した。
じゃあまた明日、と帰るしえみを見送って、燐は小さく息を吐き、教室をあとにした。


鍵を使えば、寮に帰るのは容易い。しかし燐は、寮への帰り道をぶらぶらと歩いていた。夕食の支度があるだとか、課題や宿題があるだとか。今はそんなことを考えていられない。
雪男が好きだ。多分。燐は。兄弟なんかじゃなくて、きっと恋をしている。
考えても考えても、答えはすべてそこに至る。つまり、そういうことなんだろう。

「マジかよ……俺……」

初恋をした覚えがないから、きっとこれが初恋だろう。生まれてからずっと一緒だったのに、今更恋をするなんて。自嘲するように燐は笑う。
ただ、雪男はこんな燐の想いを知ったらどんな顔をするだろうか。そう考えると、少し怖くなる。

「にーいさん」
「うひゃっ!」

足を止め、俯いたところに声を掛けられたせいで、変な声が出てしまった。振り向いて軽く睨むと、雪男は普段あまり見せない、楽しそうな顔で笑っていた。締め付けられるみたいで、燐は胸が苦しくなる。

「元気ないね。どうしたの?」

授業中と違う。学校とも違う。燐が覚醒する以前の、修道院で暮らしていた頃のようだ。雪男は優しく笑い、それでも目が燐を心配していた。
燐は顔を逸らす。しかし、逃れられなかった。雪男の手が燐の頬を抑える。

「変だよ、今日の兄さんは。何かあった?」

目と目が合う。こんなに近くで見つめられ、燐は顔が熱くなった。

「何もねぇよ!離せ!」
「何もないってことはないだろ。他の授業も上の空だったらしいじゃないか」
「考え事してたんだよ」

そう言って、雪男の手を振り払う。思ったよりも簡単に離れた手が、一瞬淋しく感じる。
全部雪男のせいだ。雪男が悪い。
すっかり強くなって、背も高ければ運動神経もいい上に、勉強までできる。顔だって特別いいわけじゃないけれど、整っている。かっこいいだなんて、思わせる雪男が悪い。
頭の中で感情がパンクして、一気に口から溢れ出した。

「全部お前のせいだぞ!」
「は?」
「お前が、勉強なんかできるから!運動神経もよくなっちまうし、頼りがいなんてあるから!」

何が言いたいのか、燐にもさっぱり分からない。けれども、溢れる言葉が止められなかった。

「兄さん、ちょっと落ち着いて」
「落ち着けるか!お前が、雪男が!好きだ、バカ!」
「え……?」

言ってしまった。気付いたばかりで、まだ抑制の効かない想いを。
言葉にしたらあっさりと馴染んで、燐の中でそれが正解なのだと染み渡る。口にしたらどうなるかだなんて、もう考えられなかった。

「好きだっつってんだ!お前が!弟だけど、でも……好きなんだ……」

泣いてしまうかと思った。兄であり、悪魔である。そんな燐の気持ちを、雪男はどう思うだろうか。あり得ない、と否定して、それは違うと諭すだろうか。
雪男の顔を見るのが怖くなり、燐は俯いた。

「……それ、本当?」

たっぷり時間を空けて、雪男の口から出るのは確認する言葉。燐はもう何も言えなくて、黙って小さく頷いた。

「冗談とかじゃなくて?」

燐はまた頷く。顔はまだ、上げられない。

「兄弟として、じゃないんだよね?」

燐はもう一度頷く。

「嘘じゃなくて?」
「だから、好きだって言ってんだろ!」

しつこい。ムッとなって燐が顔を上げると、嬉しそうに笑う雪男がそこにいた。こんな笑顔は、もう随分と見ていなかった。

「兄さん、僕も兄さんが好きだよ。ずっと前から好きなんだ」
「は……え?」
「バカだなぁ、兄さん。もう離してあげないよ」

雪男の手が燐の腕を掴む。そうして、少し強引に引き寄せられた。

「やっと捕まえた」

嬉しそうな雪男の顔。久しく感じていなかった懐かしい体温。知らなかった抱き締められるときの腕の力。
少し安心して、ひどく落ち着かない。燐はそっと、雪男の背に手を回して抱き締めた。


おわり


燐は雪男が好きだと気付いたら混乱しそうだなぁ、と思ってみたり。


11.05.16


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