初夏の陽気に誘われて

「夏といえば水遊びだろ」
「はい?」

今日も今日とて課題を途中で放り投げ、太陽の陽射しにやられたのかと疑いたくなるような陽気なことを、燐が突然言い出した。正確に言えば、まだ夏ではない。
そもそも、燐には少なくない課題が出ているはずだ。先程から雪男は横目で見遣っているが、どうにも進んでいるようには見えない。
課題があるにも関わらず、水遊びだなんて言い出す暢気な兄を見て、雪男はため息を吐いた。
どこから調達したのか分からないが、燐の手には水鉄砲が。嬉しそうに水を入れるその姿は、まるで幼い子だ。
クロが暑さに負けてぐったりと燐のベッドで寝ているせいで、雪男は必然的に引っ張り出された。
もっとも、雪男自身もこの蒸す暑さにはまいっていたため、息抜きを兼ねて付き合うことにした。

「兄さん、帽子くらいかぶったら?」
「いらねぇよ。あ、もう少しで勝呂たちも来るってよ!」
「まったく……」

他の面々も呼んだらしい。大方、勝呂や志摩、子猫丸だろう。彼らの場合、燐とは違って課題を終わらせてから来るのだろうけれど。
雪男が額に手をやってため息を吐くと、ほい、と水鉄砲が差し出された。兄の手にも水鉄砲が一丁。
なるほど、水遊びとはそういう意味か、と雪男はため息を吐いた。

「兄さん、僕にこの手の道具で勝てるとでも?」
「先手必勝!」

ビシャ、と雪男の顔に水が掛かる。発射元は燐の持つ水鉄砲だ。
不意打ちで顔面めがけて打ち出された水は、駄菓子屋で売っているような水鉄砲ではさほど威力はない。けれども、眼鏡までしっかりと濡らされては、堪らない。
ぽたりと頬を伝って水が落ちる。

「……良い度胸だな、おい」
「お!やる気になったな!こい!」

ブシュッ、と2発目が燐の水鉄砲から放たれる。それを後ろに引いて避けると、体勢も整う前に雪男は燐に向かって水を放つ。それも、1発ではなく、2発、3発と続けて。

「ぶぉわっ!」
「これでおあいこだね、兄さん」

見事、燐の顔にヒットする。3発全て顔面で受け止めてしまった燐は、まるで子犬のようにプルプルと首を振った。
左手で前髪をかきあげる仕草に、雪男は堪らずに笑い出した。

「甘いよ、兄さん」
「お前な!ちっとは容赦しろよな!」
「元はと言えば、兄さんが吹っ掛けてきたんじゃないか」

ぶちぶちと文句を言う燐の前髪には、まだ水滴が残っている。雪男は手を伸ばして燐の前髪に残る水を払った。
眼鏡を外し、ハンカチで水を拭うとまた水鉄砲を燐に向ける。
たまにはこんな時間もいいかもしれない。
幼い頃、雪男は泣き虫で燐と喧嘩したことなんてほとんどない。候補生時代には、もう喧嘩をすることはおろか、こんなふうに子どもっぽい遊びをすることもなかった。

「腕っ節なら俺のが強い!」
「さあ、それはどうだろうね。兄さんは無駄な動きが多すぎるんだよ」
「んだと!」
「あとはね、感情が表に出やすいから、攻撃のタイミングが読みやすい」

子どもの頃から誰かのために、燐は喧嘩を繰り返してきた。そんな兄を困ったものだと思う反面、雪男は憧れていたのだ。
怪我をして帰ってくる燐を介抱しながら、雪男はいつも心配していた。燐が魔人の落胤で、喧嘩を切っ掛けに覚醒してしまうからではない。たった一人の兄が、いつかひどい傷を負わされるのではないか、と。
ただ、今となっては兄の戦い方を冷静に分析できるようになってきた。ひどい怪我をする前に、自分が守ればいいと思えるようになってきたせいもあるのだろう。

「雪男、何も訓練しようってんじゃねぇんだぞ」
「分かってるよ。ただ、兄さんは咄嗟の場面に弱い。あ、勝呂君たちだ」
「え?マジで、っていねぇじゃぶっ……」
「ほらね」

雪男の言葉に騙され、燐が視線を背後に向けた瞬間、後頭部めがけて水鉄砲を撃つ。まんまと引っ掛かった燐は、前髪だけでなく、頭全体を濡らす羽目になった。
思わず雪男はくすくすと笑う。馬鹿馬鹿しいけれど、どうしようもなく楽しかった。

「バカだなぁ、兄さん」
「バカって言うな!バカって言う方がバカなんだぞ!」
「それ、どんな理論だよ」
「うっせ!バーカバーカ!」
「兄さんにバカ呼ばわりされる覚えはないね」
「くらえ!この陰険眼鏡!」

ビッ、と至近距離から放たれた水を避けきれず、雪男の眼鏡に直撃した。

「はっはっは!ざまぁみやがれ!」
「はぁ……まったく、風邪でも引いたらどうするのさ」
「そしたら介抱してやるよ」
「あー、タオル持ってくるべきだった」

まだ夏と言うほどには暑くない。初夏は気温の上がり下がりが激しいため、風邪をひきやすい時期でもある。
手で水を払いながら、雪男は無邪気に笑う燐を見て、思わず口元が緩む。
燐の背後に勝呂たちの姿が見え、雪男は燐に微笑むと、後ろを見るように促した。

「おーい!奥村君に奥村先生!」
「お、来たな!食らえ!」

賑やかな輪の中に飛び込んでいく燐を見て、雪男はどこか、ほっとした気持ちになる。
独り占めしておきたかったような気持ちはもちろんあるけれど、あんなふうに友人と戯れる兄を見るのは初めてだった。

「ちょっと、奥村君!俺ら着替え持ってきてないんやで!」
「わっ、やめてぇや!」
「へっへっへ!夏はやっぱ水遊びだろ!」
「一人でやっとき!こっちに水鉄砲向けんなや!」

楽しそうに笑う燐を見て、雪男は誰にも見つからないように笑みを浮かべると、燐の背中に水鉄砲を放つ。

「兄さん、いい加減にしなよ!」
「てっめ!さっきから不意打ちばっか卑怯だぞ!」
「兄さんには言われたくないね!」

振り向き様に放たれた水を避けながら、雪男はに、と笑って置きっぱなしになっていた残りの一丁を手に取ると、いつものように二丁で間髪置かずに水を浴びせた。
水浸しになる燐を見て、雪男は心から楽しんでいた。見れば、燐もムキになりながらも楽しそうで。
もしかしたら、こんなふうにやり合うのは、初めてかもしれなかった。

「二丁持たせたら奥村先生の圧勝やん」
「そらそうや。奥村じゃ手も足も出ぇへんやろ」
「何勝手なこと言ってんだ、こら!」
「だから着替え持ってきてないんやって!」
「俺らの分の水鉄砲はないん?」
「俺らから奪えばいいだろ!三丁しか用意してねぇかんな!」
「アホか、お前!奥村先生に敵うわけないやろ!」

まるで普通の高校生活のようで。楽しいと思わずにはいられなかった。

「最初から全員分用意してない兄さんが悪いよ」
「んな金はねぇよ!」
「二千円しかないのに無駄使いを……」
「お前だって楽しんでんだろ」

否定はしない。怒り顔の勝呂も、困り顔の子猫丸も、からかうような顔の志摩も。自信満々の顔をした燐も。みんなどこか楽しそうで、雪男は滅多に見せない作り物ではない笑みを浮かべて頷いた。


おわり


普通に高校生っぽく遊ぶ雪男が書きたかっただけとか、そんな感じです。
燐と雪男って高校入るまで兄弟喧嘩らしいのしたことなさそう、とか妄想しております。


11.05.09


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