始まりを告げる鐘が鳴る
「奥村君のことが好きなの」
昼休み、偶然通りかかった中庭で燐は聞いてしまった。可愛らしい女子生徒の、いじらしい愛の告白を。
声の主は誰だか分からないが、相手が雪男であることはすぐに分かった。思わず、燐は木の陰に隠れた。
雪男はモテる。トップで入学し、物腰柔らかなところや長身なところも相まって。
「ごめん」
間髪入れずに雪男の返した答えは、断るものだった。燐の口から無意識に安堵の息が漏れる。ほっと息を吐いてから、燐は自分でなぜ、と自身に問う。
告白を断っているところに遭遇し、安心するなんて。女子生徒のことは知らないが、失礼だろう。
「好きな人がいるんだ。その人以外は考えられないから、ごめん」
「そっか……聞いてくれてありがとう。それじゃあ……」
逃げるように駆けていく姿を見送ると、雪男はため息を吐いていた。それでも燐は動けなくて、頭では雪男の言葉がぐるぐると回る。
好きな人がいる、と雪男は言った。燐はそんな話を聞いたことがない。
誰だろう、と考えて浮かんだのは、しえみとシュラだ。雪男の様子からして、しえみかもしれない。
燐の胸に、チクリと何かが刺さった。
「兄さん!?」
「お、おう……」
戻ろうとしただろう雪男に見つかり、燐は少し気まずかった。モテモテだな、と囃し立てることができず、雪男の顔を直視できない。
どうしてだろう。燐には自分でも理由が分からなかった。
「聞いてたの?」
「悪い。通りかかったら聞こえちまった」
「……そう」
なんとなく、気まずい空気が流れる。雪男が黙り込むから、燐もどう話すか考えてしまった。
なんだってこんな気持ちになるのか、燐はもやもやした気持ちになる。雪男がモテることくらい、知っていたはずなのに。どうしてこんなにも、むかむかするのだろう。
「……好きなやつ、いるんだってな」
「え?ああ……うん、いるよ」
「ふーん……」
雪男の口で、面と向かって言われ、燐はなんと返せばいいか分からなかった。自分で話を振っておきながら、おもしろくない。
互いに黙ってしまえば気まずいだけで、燐は内心舌打ちすると、くるりと踵を返した。
「じゃあまたあとでな」
そう言って立ち去ろうとした燐だが、雪男に腕を引かれ、足を止めた。
「雪男?」
「……何でもない」
すぐに手が離れる。燐が訝しげに顔を見ると、雪男は苦笑していた。
意味が分からない。どうしてこんなふうに雪男は、苦しそうな顔で笑うのだろう。
「どうかした?眉間にしわ寄ってるよ」
「お前のがどうかしただろ」
ムスッとした顔で燐が言うと、雪男は困ったように笑う。そんな雪男の顔を見ると、燐はいつも置いて行かれたような気になる。
燐を置いて、雪男だけが一人で大人になってしまったような。それが淋しいようで、悔しいようで。複雑な気持ちになる。
「兄さん?」
「お前、好きなやついるんだよな?」
「え?うん」
「俺の知ってるやつか?」
聞きたいような、聞きたくないような。気になるけれど、知りたくない。複雑な気持ちのまま、燐は雪男を見つめる。目が合うと、雪男は優しく笑った。
「それはまた今度ね」
「はぁ?」
「今度、ちゃんと言うから。まだ早いよ」
「おい、どういう意味だよ?」
内緒、と耳元で悪戯っぽく言って笑うと、雪男は燐の肩にぽん、と手を置いて、そのまま横をすり抜けて戻っていった。
残された燐は、意味が変わらなくて。ただその背中を見送った。
離れていく雪男の背は、妙に大きく見えて、触れられた肩が熱くなるのを感じる。
「な、なんなんだよ、あいつ……」
授業の開始を告げるチャイムが聞こえても、燐は動けなかった。
おわり
むしろ燐が聞いていることまで全部計画通り、な雪男が描きたかったんですが…。
11.05.26
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