ぞわり、肌が粟立つ感覚を覚えて思わず振り返る。背後には誰もいない。こんなにも明確に、視線を感じるのに。立ち止まって辺りを見渡していると、近くから声が降ってきた。

「おかえり、ノエル」
「…エ、レン」
「どうした? 顔色が悪いけど」

自宅があるマンション。自宅のある棟の2階。その階段の踊り場から、見慣れた顔が覗く。エレンだ。エレンは大学時代の友人で、同じゼミに所属していた「友達」だ。大学を卒業してから疎遠になっていたが、最近このあたりに越してきたらしい。エレンの自宅は知っている。確かに近いが、凄く近いというわけでもない。だから、気づいたのだ。この半年間、感じていた妙な違和感の正体に。

「エレンこそ、どうしたの。こんな時間に。もう遅いよ」
「お前の帰りが遅かったから心配して待ってたんだよ。いつもより2時間くらい遅かったな?」
「…残業してたんだよ。エレンはどうしてそこにいるの?」
「だから、お前を待ってたんだよ」
「どうして待ってるの?」
「待ってたら悪いのか?」
「わたしを待って、エレンは何するの? 何か用事があったなら電話してくれればいいのに」
「…いいから上がって来いよ。中で話せばいいだろ。ここじゃ近所迷惑だ」

近所迷惑と言われると食い下がれない。事実、エレンという「友達」がわたし自身に何か大きな危害を加えたことはない。家を出てから会社に着くまでの間中妙な視線を感じたり、帰宅したら室内の物の配置が若干変わっていたり、カーテンレールの数がつけてもつけても減っていたり、帰宅してからも視線を感じたり、なぜかエレンの香水の匂いがしたり、出会い頭に雑貨屋に行ったと楽しそうに話しかけてきては「この間買ってた雑貨と合う」だなんて、私しか知りえないはずの情報と整合性の合った話をしてきたり、そういったことは枚挙に暇がないけども、実害は無いのだ。
私は大人しく階段を上がり、踊り場で微笑むエレンの元へと辿り着く。当然のような顔をして玄関の前までついてくるので、後ろを振り返って私は尋ねた。

「…何か話があるならさ、今日疲れてるから、電話とかにしてくれると有難いんだけど…日を改めるとか」
「んー、俺は顔見て話したいなあ。別に俺はノエルが風呂入ってても構わないんだし。俺明日休みだし」
「私が構うんだけど…」
「いいから早く入れよ」

エレンは鍵を持ったままの私の右手を取ると慣れた手つきで鍵を回した。手があたたかい。学生時代、ゼミの飲み会で私が酔い潰れて、手を引いてタクシーを捕まえてくれたあの日を思い出す。エレンの手はこんなに暖かいのに、私の背中はこんなにも冷たい。ガチャリ、金属が擦れる音がして鍵が開く。エレンはそのままドアを引いて私を部屋へと押し込むと、自分も中へと入った。妙な焦燥感に駆られ、背中を押すエレンを振り返った瞬間、彼の左手が私の顔を掴むようにして口を覆った。ガチャリ、先刻と同じ摩擦音と共に、鍵が閉まる音がする。

「まったく…あんまり心配させんなよ、ノエル」

左手を剥がそうと両手で掴むが、あの華奢な身体のどこにこんな力があったのか、悲しき哉男女の力の差は歴然でぴくりともしない。抵抗など意にも介さず、エレンは私を引きずるようにして部屋へと入り、そのままベッドに押し倒して覆いかぶさった。口を覆っていた左手が剥がれる。

「な、んなの、ちょっと、エレン、!」
「残業とかさー、みえみえの嘘つくなよ、傷つくだろ」
「嘘なんかじゃ、」
「嘘だろ。俺聞いてたんだぞ、」

明かりもつけない部屋の中で、目の前には覆いかぶさるエレン。金色に光るエレンの目がなぜかこの暗闇で爛々と輝いて見えて、恐怖に身が竦んだ。

「聞いてたって、なにが、」
「上司と飯行ってたんだろ。何が残業だよ。誰だっけ。リヴァイ、さん? だっけ? 上司の名前」
「なんで、どこで聞いて、」
「どこでって…あ、そうか。お前の携帯、最近ちょっと動作重かっただろ。あれ、ごめんな」
「なに、いって」
「俺がソフト入れたんだよ。お前の携帯の中身、見られるようにさ」

俺の携帯からアクセスできるんだ。お前の携帯に。だから誰と何話してるか、電話の内容は俺にも聞こえてるし、携帯の傍で何話してるかも聞こえるんだ。端末のカメラを通してお前のことだって見えるし、何かあったらシャッターも切れるし。メールの中身とかネットの履歴だって見れるしさ。ストーカーについて調べてたんだろ? 怖いよな、ストーカー。でも大丈夫だ、俺がいるからさ。俺がノエルのこと守ってやるから。あんな上司より、俺のほうがずっとずっとお前のことわかってるからさ。大丈夫だ。

そう言って、エレンは目を細めて笑った。いつからそんなソフトが仕込まれていたのかわからない。わからないが、この男は、今確実に私より優位にいるのだ。「ストーカーから守る」という建前を作り上げたのだ。そのストーカーが自分であることを理解しているのかいないのか、最早どこからが確信犯なのかわからない。

「お前のことを守るんだ。お前が危ない目にあったらどうするんだよ。俺がずっと、お前の傍にいてやるよ。な、もう怖くないだろ。あー、幸せだなあ」



リヴァイさん、すいません。
今日相談してたストーカーの件、もう手遅れでした。





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