カラン、人気の少なくなった地下通路に軽い金属音が反響する。
地下街にも、地上でいう路地裏のようなものが存在する。俺は壁に背を預け、ずるずると座り込んだ。手から滑り落ちた鉄パイプは緩やかに転がり続け、倒れている男の腰あたりに当たって止まった。身体中が痛い。多勢に無勢。殴られたところは普通に痛むし、殴り返した拳だって痛い。鉄パイプを握ったてのひらは血豆が潰れたのか軽く流血していた。口の中に広がる鉄味に舌打ち。
死んではいないだろうが、しばらくは起きないだろう。そう推測して、しばしぼうとして痛覚神経の働きを見守った。

しばらくした頃だった。静かに、だが確実にこちらに迫る足音が聞こえる。こんな、地下街の中でも人気の少ないところにわざわざ足を運ぶ人間などそうはいない。眼前に倒れる多数の男たちを見やる。仲間がまだいたのかと、そう考えて少なからず憂鬱な気持ちになった。預けっぱなしの背中を壁から引き剥がし、転がったままの鉄パイプを掴む。悲鳴をあげる身体をなんとか起こして、通路の角へとこわごわ近づく。静かな足音が徐々に近づく。10メートル…5メートル…2メートル、床を蹴って角を飛び出す。飛び出すと同時に鉄パイプを振りかぶった。

「…っ、!?」

息を呑んだのは果たしてどちらか。金属同士がぶつかる甲高い音が地下通路に木霊する。ぶつかったと同時に、リヴァイも相手も後ろへと飛び退る。
飛び退るリヴァイの目に映ったのは、軍服を着込んだ女の姿だった。自分とあまりかわらないくらいか、少し年上のように見える。女の手には見慣れない刃が握られていて、自分の一振りがそれによって弾かれたことを悟った。

「おっ、と…危なかった…! ちょっと、不意打ちは卑怯だと思うなわたし!」
「なんだ、てめえ」

軍服ということは兵士ということだ。あまり興味がないのでわからないが、とうとう俺のような地下街の害虫を駆除しにきたのだと、そう考えるのが妥当だった。隠す必要のない敵意を女に向ければ、女は困ったように笑って、握った刃を腰に納めた。

「それだけ動けりゃ十分だよ。もっとズタボロかと思って心配してたんだ」


***


転がる10人弱の男たちを見て心底おぞましそうな顔をしていたその女は、俺の怪我の手当てをしていた。頬や手に当てられた消毒液が染みるし、消毒液臭くて噎せそうになった。

「見回りしてたら通報を受けてね。複数で暴行してるのを見かけたって聞いて慌てて来たのに誰もいないの。探したんだからね」
「…喧嘩なんて日常茶飯事だろ、あほくせえ」
「そりゃそうなんだけど…集団リンチって聞いたらそりゃ…いくら地下街とはいえ、死体が転がってると困るわけだよ、うちの組織的には」

うちの組織、そう言う女の着ているジャケットには、一角獣を思わせるシンボルの刺繍が入れられていた。この仰々しいシンボルには見覚えがある。無駄に高圧的な態度で接してくるいけ好かない奴が多い気がする、思わず殴ったことも一度や二度ではない。あいつらとこの女が同じ組織の人間というのはどうも不思議な気持ちだった。もっとも、この女の口調もどこか軽いもので、凡そ兵士だとは考えにくかったのだが。

「ほら、出来たよ。これからはあんまり無茶しないこと。いいね」
「どうだかな」
「…ま、君の場合は無茶するなって方が難しいか。ね、リヴァイくん」
「…俺のこと知ってるのか」

名乗っていないはずの自分の名を呼ばれ、思わず噛み付いたような態度を取った俺に驚いたのか、女は両手を軽く上に上げて笑った。

「喧嘩、強いんでしょ。結構名前聞くよ」
「女に手上げる趣味はねえ、さっさと帰って寝ろ」
「やだな、別に君をパクろうと思ってるわけじゃないよ。集団リンチの被害者が君だったってだけ。なんもしないって」

パクるつもりでいたらご丁寧に手当てとかしてないって、そう言った女の言葉ももっともだった。俺は腰掛けていた姿勢そのままに、膝を台に頬杖をつく。

「ま、これもいい縁だったんじゃない。私はノエル、よろしく」
「…名乗る必要はないな」
「はは、そうだね」


これを切欠に、時折顔を合わせては適当に世間話をして解散するようになった。ノエルの所属する憲兵団とやらはだいぶ頭の緩い組織らしく、別のナントカ兵団に異動したいのだと何度か言っていた。なぜそのナントカ兵団がいいのかと聞けば、少し照れたように笑って、内緒だと答えた。そのときの笑顔があまりに柔らかかったものだから、大事な人がいるのだろうなと、すぐわかった。そのナントカ兵団というのが調査兵団だということに気づいてからは、俺は調査兵団がどんな組織なのか、気が向いたときに探りを入れることにしていた。ここ、ウォール・シーナをはじめとした3枚の壁の外に存在する「巨人」とやらを駆除し、人類が解放されるそのときまで戦い続けるという、組織。
正直、それはそれは税金を無駄にする組織だなという第一印象だった。憲兵団のように腐った組織でも、表向きは真っ当に仕事をして結果を出しているからだ。結果も出さずに損害ばかり出すという点と、将来性を感じない投資という点の2点において、調査兵団は憲兵団よりも劣っているように見えた。だけど、そんな調査兵団に、彼女は入りたがったのだ。大事な人とやらが誇っているその組織を、誇りに感じていたのだろう。

ノエルと随分打ち解けた頃になって、彼女と遭遇する回数が極端に減っていることに気づいた。地上に出て町をうろうろしてみても、あのいけ好かない刺繍を纏った彼女とは会えずにしばらく経った。異動したのかとも思ったが、異動が決まったという話は聞いていなかったので可能性は低かった。もっとも、突如決まって突如異動したという可能性も無いわけではなかったのだが。とにかく、ノエルの顔を見ずに過ごしているうち、彼女との世間話は意外と俺の生活の中で大きなウエイトを占めていたことに気が付いた。他のゴロツキどもの中には「憲兵団の女には愛想尽かされたんすか?」とか言い出す奴もいて、そもそも俺の女ではないと言うのも釈然としなくて、面倒になって殴って黙らせた。


ある雨の日、地下の異様な湿気に耐え切れず地上に出て雨宿りをしようと表に出ようとしたとき、傘をさしてこちらに向かって歩いてくるその女の姿を見て、俺は思わずそいつに駆け寄った。駆け寄って、近づいて、彼女の顔を見て、動揺した。あの一角獣の刺繍ではなく、私服を纏った、いくらか痩せたような体躯に、色濃く残る隈と、努力が伺える作り笑顔。薄っぺらい笑顔を浮かべたまま、彼女は自分の傘に俺を入れてくれた。

「やあ、リヴァイ…久しぶり」
「久しぶりじゃねえよ、なんだ? そのツラは」
「何言ってんの、元々こんなツラだよ」
「…そうじゃ、ねえよ」

軍服はどうした、今日は休みかと問えば、彼女はわかりやすく顔を強張らせて、顔を反らすようにして俯く。震えた声で小さく、辞めたんだと、雨の音でかき消されそうな声がそう言った。こんなに弱った彼女を見るのは初めてで、狭い傘の中で、俺たちは2人きりで。どうしたらいいかわからなくて俺はノエルのあいている手を握った。弱弱しく握り替えす手がやわらかくて、目の前にいるのは兵士なのではなく、女なのだと不意に思った。

「壁外、調査に行った、人がね…大事な……大好きな人だった、んだけど、…死んだんだって。腕の一本もね、残らなくて、…それ、聞いたらさ、こわく、て」
「…そうか」
「ばかだよね、調査兵団、異動したいとかいってさ、こわくて、」
「わかったから、もう喋らなくていい」
「わたし、兵士でも、なくなっ、かおむけ、できなっ、」
「もういい!」

涙混じりの声はいつしか嗚咽になっていて、大切な色々をなくしてしまった彼女の顔がどうしても視界に入って、見てはならないと思うのに見ていてやらなきゃならないと思って、俺はノエルを抱き寄せた。抱き寄せて、自分の肩口に顔を押し付けてやった。
自分より身長は高いくせに、身体はやわらかくて、線が細くて、華奢な肩と腰と、震えるそれらを抱き込んでやった。傘がノエルの手を離れて地面に転がる。

「わたし、見たかった、んだ、あの人と、壁の外の、せかい、」
「…ああ」

それきり泣きじゃくったままのノエルを抱き締めたまま、空を煽いだ。色のない空を眺めて、彼女が見たかった景色はこんなものではなかったのだと、こんな壁の中から見える空ではなかったのだと考えたら、俺も悲しくなった。目標の喪失。アイデンティティの崩壊。つがいの片割れでもなく、兵士でもなくなった彼女。

「…なあ、俺がつれてってやるよ」
「、なにが、」
「壁の外」
「…何いってんの」

わずかに顔を上げたノエルの泣き腫らした目元に動揺が見える。無理もなかった。雨に濡れて額に張り付いた前髪を払ってやる。

「調査兵団に入って、巨人をぶっ潰す。俺がお前を壁の外に連れてく。お前はここで待ってりゃいい」
「なにいっ、ふ、ふざけんな! リヴァイまでもし、死んだら、」
「死なねえよ。お前一人残して死ぬように見えるか」
「そういう問題じゃないんだ、やだ、だめだ、だめなんだよリヴァイ、」
「俺は死なん、だからもう黙れ」


***


その後程無くして、何の因果か俺はエルヴィンと出会った。それからは特に変わったこともない。


「久しぶりだねーリヴァイ! ちょうど手紙書こうと思ってたとこだったんだよ。今は旧本部にいるんだって?」
「ああ、妙なクソガキのお守りでな」
「…は!? 子供!? えっ!? えっ、なに、」
「動揺してんじゃねえよ。新兵のガキだ」
「あっ、なんだ…びっくりした」

久しぶりの休日、内地に赴いてこうしてノエルとする世間話はやはり悪くない。

「ガキこさえるのは…まあ、まだ先だな。まだ忙しい」
「へえー、リヴァイも子供欲しいんだ? なんか意外だな」
「……てめえ寝惚けてんのか?」
「は?」

きょとんと首を傾げる女に軽く頭痛がした。自分の立場は理解している。今何を最優先にすべきかもわかっている。だからこそずっと今まで言わないで来たし、この女もそれをわかって黙って待ってるもんだと思ってたが、もしかしたら素で寝惚けているのかもしれない。あんまりすっとぼけてると孕ますぞ、喉まで出かかった言葉と共にコーヒーを嚥下した。





「#学園」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -