「サイケ」


「サイケってば」


「おーい。生きてる?」
「生きてるよ。うるさいな」
「最近なかなか出てこないね。お疲れ?」
「うるさい。放っておいて」

ディスプレイの向こうから声をかけてくる主人に適当に返事をして、俺はまた内側に篭った。昔はあんなに綺麗に見えていたのに。向こうの世界の何が魅力だったのかわからなくなって、いつしか興味も示さずにこうしている。
物音がする。ドアのチャイム。おそらく来客だ。新羅が来るとかなんとか午前中に言っていたからそれだろう。特に顔も見たいとも思わないし、また新羅の好奇心の的になるのもうんざりでに奥へ奥へと潜り込んだ。ふわり、電脳空間に浮かぶ。ひざを抱えて。やや間抜けな格好で浮遊する俺の姿。音のない世界。この世界は俺だ。俺の支配する空間だ。音がない世界にしようと思って、遮音モードに切り替えている。だから俺の鼓動なんてものが聞こえるはずもなく、ただプログラムが静かに俺と世界を動かしていた。

かつて世界は広かった。
主人は明るく綺麗な人で、自分はいつまでも主人の傍にいるものだと思っていた。
世界は広くて、綺麗で、美しかった。ディスプレイから抜け出た世界は明るかった。移動できる範囲はけして広くなかったが、主人の友人にも会えた。俺をつくったくそ野郎にも会った。それらを含めて、素晴らしい世界だと思っていた。しかし唯一、唯一美しくなくて不愉快だったものがある。俺がこんなに、世界に向けて生命力を伸ばしていたとしても、主人にとって世界は世界のまま変わらなかったことだ。変わらない唯一のものだったのだ。俺の思う世界とは違って。



「サイケのことだから、ああいうふうに反抗的になったのも何か理由があると思うのよね。まあ私も原因の一端なんだろうけど」
「それについて、君はどう思うのさ」
「私? そうだなあ。ああなった原因だとは思うけど…うーん。わかんないな」

そう言うと新羅は俯いてくつくつと笑った。こういうときの新羅は大抵人のことを馬鹿にしている。馬鹿にしているといっても嘲笑しているわけではない。呆れたとでも言いたげな笑い方。どこぞの新宿野郎と違って愛を感じる。勿論感じ方に個人差はあると思う。

「そりゃ嘘だね」
「嘘?」
「今、サイケがああなった理由について…何かあるって言ったね。その理由に自分も関係していると」
「なにか大きな理由があって…その延長で私にまで反抗するようになったんじゃないかな」
「違うね。君自身がね、その仮定を嘘だと思いながら主張しているように聞こえる。本当は自分でわかってるんじゃないの?」
「もう少しわかりやすく言ってよ。今の新羅、ちょっと嫌味っぽい」

新羅は脚を組みかえると、軽く溜息をつくとおどけた口調で困ったねえと呟いた。こういうところ、少し臨也に似ている。もっとも、臨也が新羅に似せたのかもしれないが。

「自分が原因な自覚あるくせに、自分が直接の原因じゃないって確信してる。でも本当はそれも違うってことに気づいてるよね? 自分が原因ではないという仮説を否定する、もうひとつの仮説がある。君はそれを支持してる」
「全然わかりやすくなーい。理由はともかく、サイケがこの世界を嫌いっていうなら。その世界の一端である私のことも嫌いなんだと思う。私はそういうことを言いたいんだけど」
「俺は違うと思う。君を好きになったから世界が嫌いになったんだと思う。君だって本当はそう思ってるでしょ」

言葉に詰まったのが情けない。




「おーい、サイケー」
「………」
「新羅帰ったよー。なにか食べる?」
「いらない」
「ねえサイケ」

主人がディスプレイを覗き込んでいる気配がした。振り返ると、遠くに見えるディスプレイに主人の顔が映っていた。この空間と世界をつなぐ唯一の扉。あの枠から世界が見えるし、俺はあそこから世界に行ける。主人からはこの空間は見えない。俺がどこにいるかなんてのもわからない。

「世界ってさ、サイケが思ってるほど悪くないよ」
「…は?」

主人は自分のディスプレイに手をかけたらしい。枠から見える景色が傾いだ。

「新しいOS、いっぱい出てるけどさ、私がなんで入れ替えないのか知ってる?」
「金がないんじゃないの」
「いやそれもあるけど…そういうわけじゃないんだ」

「私はサイケが一緒にいてくれればいいんだよ」


そろそろ出てきなよ、ホットケーキ焼いたよ。それぎり主人は枠に映らなくなった。席を外しているらしい。
ぷかり、浮いて浮上して、枠の前に立つ。俺からは世界への扉、主人からはただのディスプレイにしか見えないその枠に俺は飛びこんだ。ぐにゃりと歪んだような感覚にとらわれる。どくりと身体が鳴る音がする。世界に出た音。世界の音。俺の音。主人の音だって鳴ってる。世界は音に満ちている。

あったかいうちにホットケーキを食べなきゃならない。俺は急いでリビングへと飛び出した。







ステトスコープにさよなら






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -