パラドックスのDホイールの後ろに跨がりながら、時空の隙間をすり抜けていく。彼に同行するようになってだいぶ経つが、最近だんだんと険しい顔つきになっているような気がしていた。
「パラドックス」
「なんだ」
「ここ、皺寄ってるよ」
振り向いたパラドックスの前で、自分の眉間をとんとんと叩いて見せる。パラドックスは一瞬きょとんとしたあと、また元の仏頂面に戻って前を向いた。前方不注意はよくないね。ごめんね。
疲れた、そう言って彼は突然着地用意を始めた。
ワームホールのような風景が一箇所からクレープ生地のように破け始め、そこから青いものが侵食してくる。海のように思われたそれは、破けた箇所の拡大に伴って姿を表していく。大きな湖だった。湖の近くには樹木が茂って、太陽は高く輝いて、まるでオアシスを再現したかのような風景が私とパラドックスを迎えてくれた。ふわり、着地したDホイールから降りて感嘆の溜息。
「なあ、この実験に終わりはあると思うか」
「あんたがあると思うならあるよ」
「…不毛だ」
パラドックスを見ればやはり険しい顔をして湖を眺めていた。私は湖に近づいて水面を覗き込んだ。思っていたより深そうだ。
「何が不毛だと思うの?」
「私の実験がだ。こうして時空をまわっていると、故郷のことを忘れることがある」
仲間が待っているはずなのにな、そう言って閉眼するパラドックスの眉間を眺めていると、彼も私を追うかのように水際へと近づいた。
「実験の過程でお前を見つけたと言ったな」
「あらゆる時空でわたしが不幸になってたって話か?」
「お前を連れて、故郷に戻ることも考えている。だが、このまま実験のことなど忘れてどこかに行ってもいいんじゃないかとさえ思う」
本末転倒だ、苦々しげにパラドックスは呟いた。
「時空って、時空どうしが密接に関わってるんだっけ」
「そうだ。…私一人がそれを修正するのは、途方もないことだ」
「いろんな時空に同じ人がいるの?」
「大体の場合は」
「じゃあパラドックスだって沢山いるかもしれない」
パラドックスがこちらを見た。何を言ってるのかとでも言いたげだ。
「他の時空の私が、この私と同じことをしているとは限らない」
「でも魂は同じ、なんだろ。私だってこの瞬間に他の時空の私が死んでるかもしれない。同じだよ。形がどうであれ、何かしらしてると思うけど」
長い溜息をついてパラドックスは腰を下ろした。長いコートが皺になった。
「…考えるのも阿呆らしい。今の話はなかったことにしてくれ」
「先は長いんだし、まだ考えよう」
「そうだな」
正直驚いていた。目的のためにストイックに生きていたと思っていたパラドックスが、逡巡していたことに。パラドックスが何を考えているか未だにわからないが、今や私と彼は一蓮托生のようなものだ。彼が行くところに私も行こう。どこにでも行こう。どこでも生きよう。
「…休憩しすぎた。行くぞ」
「うん」
跨ったDホイールのエンジンが唸る。
早く掴まれ、そう言ったパラドックスのてのひらがいつもより暖かかったのは気づかないことにしてやろう。