「急で悪いんだけど、ちょっと地下の収容所を見てきてくれないかな。私は今から会議に出なきゃならないんだ」
「いいわよ。私もアニの顔…見ておきたいしね。ありがとう、ハンジ」


会議に行かなくてはならないというのに、ハンジは手厚く治療をしてくれた。ハンジはどこか疲れた顔で、生きるのって怖いね、と呟いた。
またあとでね、そう言って手を振るハンジを背に、わたしは地下へと向かった。



「…リヴァイ」
「ノエル」

地下の収容所には水晶体に入ったアニと、リヴァイがいた。リヴァイはわたしの姿を見るなり片方の眉をぴくりと動かした。

「なんだその腕は」
「ちょっとしくじっただけだから」
「…だから殺してやろうかって言ったじゃねえかよ」
「まだ生きてるわ」

アニをじっと見つめる。綺麗な金髪。長い睫毛。堅く結ばれた唇。まるで寝ているようかのようだった。演習の休憩中に目を閉じて休んでいた彼女と同じ顔をしていた。この子が人間を殺し、兵を殺し、リヴァイの班の、仲間を殺したのだ。そしてエレンを危機に陥れたのだ。

「この子、泣いてるように見えるわ」
「何寝ぼけてんだ。頭も一緒に打ったのか」
「泣きたいのはこっちよ」

溜息をついて、壁にもたれる。わたしの教え子。口数は多くないしたまに口を開けばきついことを言うし、褒めてやってもこれくらい当然みたいな顔をしていたし、いつもつまらなそうな顔をして、世の中馬鹿みたいだとでも言いたげで、可愛げがない、所謂かわいくない生徒だったのだ。大人ぶっていたのだ。でも彼女はきっとわたしなんかよりよっぽど大人だったのだ。
いつかこうなることを彼女は予期していたのだろうか。いつか仲間に刃を向けられ、殺意を与えられ、殺意を返し、刃を返すことを予期していたのだろうか。わたしは彼女の先生だ。仲がよかったわけではない。だけど彼女の心中を勝手に察して勝手に感傷的になる程度の人間性は持ち合わせていた。
思わず自分の身体を抱きしめた。重力に負けてずるずると擦れる身体。指先には力が入って、ハンジが巻いてくれた包帯の下で傷が痛んだ。

「…おい、少し休憩だ。全員でここにいてもしょうがねえから。少し席外せ」

リヴァイの一声で、収容所からは兵士が出て行く。収容所にはわたしとリヴァイの2人だけになった。こつこつとリヴァイの革靴の足音が近づいて、わたしの前に膝をついた。

「泣いてんのか」
「泣いてないよ」

そっと伸びてきた腕に包まれた。リヴァイの腕の中はクローゼットのにおいがした。そういえば今日のリヴァイは正装だったから絶対汚しちゃならないと思っているのに、わたしの意思に反してリヴァイはわたしのことを強く抱きしめて、顔を胸に押し付けて離してくれなかった。
やがてリヴァイは肩口に爪を立てていたわたしの腕をゆっくり引き剥がして、わたしの目元をぺろりと舐めた。

「……包帯、少し血が滲んでる。あとで巻き直してやるから」
「うん」

目元から耳、頬、と、リヴァイの指先が移動する。くすぐったくて目を閉じた。閉じた目蓋にリヴァイが唇を落として、びっくりして目を開けた。
泣きそうな顔をしたリヴァイが目の前にいて、長いこと一緒にいるはずなのに見たことがない顔で、わたしはもう何も言えなくなってしまった。

「ノエルよ」
「うん」
「よく還ったな」
「………うん、」

ゆっくり近づくリヴァイの唇を拒否する理由なんてなくて、わたしはそれを受け入れた。わたしの涙を舐め取ったリヴァイの舌が少し塩辛くて、それが申し訳なくて、悲しくて、また涙がこぼれた。
アニがこうなってしまってもまだ、リヴァイが生きていてよかったと、壁の外から帰ってきてくれてよかったと、改めて思っていたのだった。









「ウォール・ローゼが突破された!?」
「どういうことだ」
「どうもこうもないよ! ミケから早馬が来たんだ、どこかは分からないが…事実上、巨人は壁の中にいる」
「それで、お前らはどうするつもりなんだ、ハンジ」
「とりあえずエルミハ区までに行くよ。早く行かないとならない。エレンも連れてく」

リヴァイも同行してくれ、というハンジの頼みをリヴァイは二つ返事で受けた。

「ノエルにも来て欲しいんだ。本当に人手が足りてないんだ」
「待て。今のこいつに何が出来る」
「それはリヴァイだって一緒だと思うんだけど。戦えない人は少し黙って」

ぐ、とリヴァイが押し黙る。一瞬にして殺気立つリヴァイを薄笑いで制するハンジもいつものおどけた感じを見せてはいるが、どこか焦っているような面持ちをしていた。ウォール・ローゼが突破されたとなると、さすがのハンジも笑っている場合ではないらしい。もっとも、最たる理由は他にあるが。

「…ウォール・シーナの中に巨人がいるらしいってことは言ったよね。あれについてだけどね、ウォール教の司祭を連れて行こうと思ってる。君達2人には司祭と一緒にエルミハ区で待機しててほしい」
「監視か」
「まあね」
「それこそノエルはいらねえだろ。俺一人で十分だ」
「よく知らないくそめんどくさい宗教の司教と、しかも全然住み慣れない街で2人きりだよ? リヴァイ平気なの? ノエルを同行させるのは私なりの気遣いなんだけど」

ハンジの言いたいことはよくわかった。兵団の仲間とですら共同生活に支障が出るのに、他人の気配がひしめくような場所で他人と一緒にいろというのはリヴァイには少々酷なことである。

「ねえ、ノエルもわかるよね?」
「ええ。おそらくエルミハ区は避難する人でごった返してるし…それじゃなくてもケガしてるんだから」
「それだよそれ! さすがノエルは話が早いし可愛いし、ほんともう戻っておいでよ! 非戦闘要員とかで私の班にくればいいのに!」
「馬鹿言ってんじゃねえぞハンジ」


用意らしい用意など無いが、軽く身支度だけしてわたしは馬車に乗り込んだ。訓練兵団の方にも気づけば伝わっていたらしい。途中キース教官と会ったが、彼はわたしの頭を軽く叩くと必ず戻れと言ってくれた。
乗り込む前にリヴァイがまたぶつぶつと文句を言うのを制した。馬車にはエレンやミカサも乗っていて、わたしを見て嬉しそうに笑うアルミンの髪を撫でてやった。
非常事態なのにどこか嬉しい。皆と一緒に行けることが嬉しいと思った。否、単純にリヴァイと一緒に行けることが嬉しいのだとも思った。旅立つ背中を見送るだけの生活はもう懲り懲りだ。
突破された壁の対策について話している声を聞きながら、進行方向のほうをぼうっと眺めた。夜明けはまだ遠い。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -