なんでこんなことになってるんだ。動揺と困惑が脳内を埋め、思うのはただそれだけのこと。自分はさっきまでレッドに散々文句を言われて、口論にまでなって、泣きそうになって。

「れっ…ど?」
「俺がどうのこうのとかさ、どうでもいいからさあ、…自分のこと、大事にしろよ…!」

息が詰まるような感覚に陥って、無意識に呼吸を止める。今何か喋ったら、声が震えているのがばれると思った。徐々に込められていくレッドの腕の力によって、点滴や全身に広がる心電図のコードと部品が身体に食い込んで痛い。ただその痛みだけに集中して、どうにかこのどうしようもないほどの動揺を悟られないようにしようと思ったものの、規則的に鳴っていた機械音が無情にもそのスピードを上げて、その鼓動の速さを嫌というほど部屋中に響かせた。

「なんで、だよ」

控えめに紡がれた、レッドの言葉の真意は。

「なんで、」
「…だって、あいつらみたいなのがいるから、レッドが人を…信じられない、んだと、思っ、て」

首筋にレッドの髪が触れる。くすぐったくて身を捩ろうかとも思ったが、今それをやるのは無粋な気がして、ユーリはそれきり閉口した。

「…俺さ、お前のこと嫌いだった」

やがてレッドがぽつりぽつりと、言葉を落とし始める。その声音はやはりいつも通りに淡々としたもので、さっき張り上げてみせた声とは別の人のもののようだった。

「また人のこと、信じそうで。…裏切られるの、もう嫌だったから」
「…うん」
「グリーンしか信じられる奴もいなくて」

ふと、強く抱きしめられていた腕の力が緩む。急に支えを失ってふらつくユーリの身体を一瞬で捉えて、肩を掴んで、目を合わせる。間近で見た瞳はいつもの濁ったような色じゃなくて、どこか光を映して。それが彼自身のものだったのか、彼の瞳に映ったユーリのものだったのか。

「でも、やっぱり、…お前のことは、信じたいんだ」

「お前が、俺には必要なんだよ、ユーリ」

だから、傍にいろよ。
そう呟いたレッドの声も震えていて、どうしようもなく愛しい気がして。静かに頷いたユーリを、レッドはまた、静かに抱きしめた。




「ありがと、ボーマンダ」

週に一度の長旅も、しばらく続けば慣れるもので。まだまだいけるぜ、と言うように羽を動かしてみせるボーマンダを、ユーリはボールに戻した。

「それにしても、元気そうでよかったなあ…」

思い浮かべるのは「自分の」青いボスゴドラ。グリーンとユズキが話をつけてくれた結果、なんでもホウエンのチャンピオンが大企業の跡取り息子だと言うことで、急遽磁場の解析装置を作らせ、研究所のスペースを割くように手配してくれたらしい。研究とまではいかないが解析や分析は続けられており、その結果として自我を取り戻し、人間と意思疎通が可能になったボスゴドラの身柄の保護やリハビリも兼ねてその施設に預けてきている。最近は自分の主であるユーリも認識出来るようになったのか、行く度に嬉しそうにしていた。色々とあったが、手放したりしなくてよかったと、心の底からユーリは思っていた。彼が正式にパーティの仲間入りを果たすのも、さほど遠くない未来にある。

グリーンとユズキはホウエンのチャンピオンの件以外にも、レッドの件であちこちに話をしたらしい。何をしたのかまだ本人たちから聞いてはいないが、本部リーグのチャンピオンであるワタルとそのセキエイリーグが総出で何かしているらしく、テレビやラジオなどのメディアでレッドのことが好意的に取り上げられているところを最近見る気がする。レッドの悪評があった当時から時間も経っていたし、その時間の中でレッドも見直されていたらしいから、あまり評判の回復に苦労はなかったような印象がある。存命の内は非難を浴びていた偉人が、死後脚光を浴びるのと同じような原理なのだろうか。…それは少し違うか、と考えてユーリは歩を進める。それでも対策が遅すぎるって意味で文句があるから、今度ワタルにでも会いに行ってみようかと思っている。…というのは建前で、自分の件で迷惑をかけたお詫びとがしたいのと、ボーマンダのコンディションを見て欲しいのが本音だった。

「あ、おーい! レッドー!」

レッドも前ほど山に篭もっていることがなくなった。こうして街中を歩いていることも多い。ただ、「レッド」という人物を話でしか聞いたことがないような子供やミーハーな連中が声をかけてきてうっとおしいとの理由で、ふらっと突然行方を眩ますことも多いので最近はポケギアを持たせている。

「…ユーリか」
「あ、ユーリねーちゃん!」
「ん、おう、ショウタ。何やってんだよ、2人で」

街の外れ、もうすぐトキワの森の関所につくかと思われる2番道路の真ん中でレッドを見つけてみれば、顔馴染みの少年に捕まっているようだった。

「なんだあ、ショウタがまたレッドに迷惑でもかけてるのか? だめだぞ」
「ええー! 違うよー、迷惑なんてかけてないよー!」

ばたばたと両手を振り回している少年の目線に合わせて屈みこみ、頭を撫でてやっていればそれまでじっとしていたレッドが口を開いた。

「…知り合いなのか?」
「ん? ああ、この辺はよく来るからさ。な、ショウタ」

振り返りもせずにそれだけ言うユーリを見つめて、レッドは目を細める。

「知り合いなんかじゃねーぞ! ねーちゃんはオレと結婚するんだからな!」
「えーそうだっけ」
「そうだよ! 約束しただろ!」
「んー…、ああそうだね、そうかもしれない!」
「…へえ、」

刹那、背後から聞こえた低い声にユーリは得体の知れない恐怖を感じる。ギギギ、と音がしそうなほどゆっくりと、そしてぎこちない動きで振り向き、またゆっくりと立ち上がった。帽子のつばのせいで目元にかかっている影がこれほどまでに恐ろしいと感じたことは他に無いかもしれない。

「え、ええと、…あの、レッド…さん?」

じり、とつい一歩後ろに下がればずい、と一歩踏み出される。
次の瞬間、レッドが動いた。

「…っ!!?」

俊敏な動きでユーリの腕を掴み、顔を近づける。驚いたユーリに構うことなく、レッドはユーリの唇を奪って、そして一連の動きが嘘のように緩慢な態度で離れていった。そのまま唖然としているショウタをちらりと見て一言、

「…そういうことだから」

足音も無く、トキワシティの方向に歩いていくレッドの背中からは何も感情が読み取れない。

「…」

なんだどうした、何が起きた。わけもわからず熱を持ち始める顔と、かたく握り締められる掌。腰のボールを1つ手に取り、最近レッドの協力を得て習得させた技名を思い浮かべて、思い切りボールを投げて、叫んだ。

「っ、レントラーッ! ボルテッカーだあああ!!」





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