静かな部屋に、コンコンとドアをノックする音が響く。グリーンは手元に広げていた書類を揃え直し、紙袋に入れ直した。ユーリにとって、あまり触れられたくない話題であることは間違いなかった。

『グリーン? 僕だけど』
「おう、入れ」

部屋に入ってきたユーリは不思議そうな顔をしていた。どうして呼ばれたのか、なんの話なのか見当もついていないという風な顔をしていた。用意していた椅子に座るように言えば、素直に座る。

「で、なんだよ」
「ああ、うん」
「…? なんだよ、早く」

話す内容も、聞きたいことも固まっている。なのに、いざ本人を目の前にすると切り出しづらい。ふー、と細く息を吐いて、覚悟を決める。

「お前さ、今持ってるボール。全部出してみろ」
「はあ? 別にいーけど」

腰のベルトにつけられたボールをひとつずつ順番に取り外し、手近なテーブルの上に置く。全部で4個。エーフィとボーマンダ、レントラーにウインディ。グリーンも何度か顔を合わせたことのあるポケモンに、ホウエン以降の旅で出会ったのであろうポケモンたちがいる。しかし、ひとつ足りない。手元の資料では確かに、ここにいない、グリーンの知らないもう1匹のポケモンがいるのだ。

「ユーリ」
「ん」

目の前の女の顔をじっと見つめる。よく見知った顔。これで全部だ、と言っている顔だ。そのくらい自然で、足りないはずのボールなど虚構だったのではないかと思いそうになる。いつの間に、そんな顔が出来るようになったんだろうか。この感覚はよく知っている。問題なさそうな顔をして、自分を気遣って遠くへ追いやって、結局心を閉ざしてしまったレッドだった。もっとも、ユーリは非常に馬鹿で単純で、意外と何も考えてない。レッドのようにすべて計算したうえで誤魔化しているのとは少し違うのかもしれない。長い付き合いと自負していても、未だに、いや、大きくなってしまったからこそ、わからない部分も増えてしまったのかもしれない。アットホームなくせして非情なまでにドライだったり、慈愛に満ちているかと思えば冷酷な顔をしたり、ふざけているようで真面目だったり。悪く言えばマイペースで、よく言えば自分の意思が確固としているがゆえの行動だとも思う。どうして嘘をついているのかなんて、そんなことは後から聞けばいい。今はその嘘を暴いてみせることが先だ。

「まだひとつ、あるだろ。嘘つかなくていい。腹の探りあいがしたいわけじゃない」
「…なんで、知ってるの」

きょとんとした顔のままだった。だけど、押し殺したような声だった。少しの沈黙のあと、スッと目を細めてユーリはため息をつく。

「最初に話題を振ったのはお前だけどな」
「そうだっけ」
「シロガネ行く少し前だよ。青いボスゴドラを知ってるかってお前が聞いたんだろ」
「あー、あれかー!」


忘れてたと表情を一変させながら、椅子の背もたれにどっと寄りかかる。そのまま右手を、ベルトの一番奥のフックへと伸ばした。そのまま青いボールを掴むと、グリーンの目の先に差し出す。

「これでしょ? グリーンが見たいの。どこまで知ってるのか、知らないけどさ」

ボールを受け取り、入れ替わりに先ほどの紙袋を手渡す。

「これが俺の知ってる全部。あとはこれもか?」

紙面の切抜きのを数枚投げつける。それらにはすべて、ユーリのモノクロ写真が印刷されていた。

「うっわあ、何これ。この切抜き」
「そっちの社会で流れてるっぽい会報? かなんかの、お前の写真」
「冗談じゃないよ…これでも一応カタギだって僕」
「向こうはそうは思ってくれてないみたいだけどな」

切抜きをテーブルの上において、紙袋の中身に目を通す。例のムロでの一件についての文書と文献と、国際警察への報告書。どんな風に取り上げられてどんな風にでっち上げられてるのかと心配したが、事実しか書かれていないようでユーリは安心した。

「まともな文書じゃん。どこから持ってきたの?」
「ユズキからだから。リーグ本部事務員の本気ってことだろうな」
「恐れ入るね…これなんかほら、国際警察宛の書類じゃん」
「なんだよ、不満か?」
「不満だよ! 誰だよ持って行ったのー! これのせいで凄い大変だったんだから!」
「大変だった?」

オウム返しに聞けば、頷きだけで返事を返される。あとで順番にね、とユーリが言ったあと、しばし沈黙が訪れた。やがて一通り文書に目を通したのか、ユーリがグリーンに向き直る。

「何が聞きたい?」
「これは事実なのか?」

間髪いれずに尋ね返してくる。あまりにも今更な質問に、ユーリは再び笑った。

「今更それは無いだろ…事実だよ、全部。ホウエンに行って、ムロに寄って、石の洞窟に行ってみた。そしたらこのザマだよ」

手をひらひらと振って、苦笑しながら言う。

「石の洞窟行った。マグマ団とアクア団がもめてた。そのうち大暴れ」
「それとボスゴドラになんの関係があるんだ?」
「よくはわかんないんだけど、大体この文献通りなんじゃないかな」

グリーン自身も何度も読み返したあの文献をひらひらと空中で弄ぶ。文書では確か特殊磁場が個体から発生していて、その磁場が人間の負の感情を感知、キャッチし、増幅させるのではないかという推測が書かれていた。

「バトルに…洞窟にいた野生のポケモンたちが巻き込まれててね」
「キレたお前が乱入したわけだ?」
「ピーンポーン。…でも」

目を閉じて、あの場所で起きていたことを思い出す。

「グリーンだって、あれ見たら冷静じゃいられないと思うよ」

まわりを飛び交うズバットを捕まえては邪魔だと言わんばかりに羽を破き、足元にマクノシタがいれば容赦なく蹴り飛ばし、踏み潰す。地獄絵図だ。蘇ったあの情景をどうにか追い出したくて、軽く頭を振る。

「それで、マグマ団とアクア団の負の感情と…そこにいたお前の怒りとで」

グリーンは自分の手の中に収まったままの青いボールを見た。

「あとは文献通りだよ。この子の特殊磁場で怒りは増幅されて…それを察してこの子は起こされた」
「無限ループ、か」
「元々マグマとアクアが馬鹿やってたから、僕がいてもいなくても起きてたかもね」

ボスゴドラ覚醒後、ムロシティ方面へと逃げた両団を追ったそのボスゴドラもムロシティへと侵入した。とっさに戦闘体制に入ったユーリによって捕獲されたという流れをもう一度本人から聞いて、グリーンは息をつく。

「正直この子を捕まえたときのことはよく覚えてないんだ」
「…? なんでだよ」
「うーん…この子の磁場の影響を受けてるときは、どうも記憶が曖昧なんだ」

それなりに怪我もしてたしね、というユーリの言葉にふと思い出す。――彼女は戦闘の中で重症を負ったが、一命を取りとめた。

「そうだ、お前重症だったんだって!?」
「ああ…うん。破壊光線直撃で」
「直撃!?」
「落ち着いてよ、今はピンピンしてるじゃん」

それにこの子だってわざとじゃないよきっと、そう言ってグリーンの手中のボールを掠め取る。

「僕が倒れたあと、手に持ってたボールをエーフィが飛ばして捕まえてくれたみたい。エーフィがいてくれなかったら…確かに生きてなかったかもね」

カチカチ、と球体中央のスイッチを何度も押す。反応はない。

「出せないのか?」

驚いたようにグリーンが言う。

「この子から出てる磁気のせいで、ボールの機能に欠陥が起きてる。今は本当に、ただのいれものなんだよ」

僕が怒ったときにだけ呼応して出てくるんだ、と人事のようにいうユーリには、確かに裏社会で名を通すだけのことをしてきた事実がある。組織を潰し歩き、死神と恐れられた女。ユーリのもともとの性格を差し引いても、そこまでのことが出来るとはグリーンにも信じ難かった。それだけ、個体の特殊磁場が及ぼす影響は強いということ。

「あ! そんでさ、言ったじゃん? 国際警察が云々」
「あ…ああ。あれはなんだったんだ?」
「やっぱさー、特殊磁場って言うからには凄い個体らしくて。学者さんとか怪しい研究所の人とか、追い払うの大変だったんだ」

「ムロの人たちにもさ…この子捕まえてからは、酷いこと言われちゃって。僕のことは知らなくても、青いボスゴドラってのだけは民間にも伝わったらしくて。表は堂々と歩けなくなっちゃった。だから、こんな会報に乗るのかな」

テーブルの上に放った会報の切り抜きを息で吹き飛ばしながら、ユーリは淡々と口にした。

「グリーンに青いボスゴドラのことを聞いたのはね、カントーにはどのくらい伝わってるのかなって、調べたかったんだ」

ユーリが個体を連れて表の世界から姿を消したため、報道機関や関係機関は調査も出来ず、対策も出来ず。個体の存在だけを公にしたところで、生まれるのはホウエンへの不安感だけと推測し、結局広く伝わることは無かった。それでもポケモンリーグや世界でもトップクラスの研究施設にどの程度情報が行き渡っているのか、ユーリには確認が出来ない。

「リーグ本部直轄の、しかも最難関とも言われるジムのジムリーダーで、オーキド博士の孫であるグリーンが知らないようだったら大丈夫かなって」
「基準を俺にしたってことか…そうだな、じーさんの研究のこと全部把握してるわけじゃないけど、少なくともユーリのことは大丈夫だと思う」
「あ、そういや個人的に学者さん当たってみたりはしたんだよ」
「へえ?」
「ポケモンの個体は専門外って人ばっかり当たったから、結局何もわかんなかったけどさ。でもギンガ団幹部のプルートってジジイが一番それっぽいこと言ってた」
「プルート…ああ、アイツ。なんて?」
「磁場の発生は本人の意思によってコントロール出来る可能性がある、とかなんとか。この子が自我を保てるようになればいいってことだろうけど」
「自我ねえ」
「どっちにしろ、今のままじゃ何も変わらないんだよね」

口元に手をやり、グリーンは考え出す。

「つまるとこ、今は破壊衝動とか、その手のものだけでしか動いてないってことか?」
「そういうことなんじゃない?」

僕だって素面でこの子と顔合わせたこと無いんだもん、とユーリは呟く。

「さっきも言ったとおり、僕がその場に居合わせなくても、マグマとアクアがあのまま馬鹿やってたらこの子は覚醒したかもしれない。…でも、僕があそこで乱入したから覚醒したってことだけは事実なんだよ。あのとき覚醒したことがこの子にとってプラスかどうかも怪しい。僕はこうしてこの子といるけど、いい迷惑かもしれない」
「そんなのわからないだろ」
「わからないさ。わからないからこそ…なんていうか、ごめん、不謹慎だし自分勝手な考えなんだけど」

「あの場に僕がいたからこの子を止められて…今こうして一緒にいられるのかもしれないと思うと、もしこの子が今も僕に怒っていたとしても、」

「これから先、全部解決して…和解して。幸せにいられる可能性があるなら、それでもいいかなって思っちゃうんだ」

先ほどユーリが言ったとおり、非常に貴重な個体であるこのボスゴドラを研究者たちが放っておくはずがなかった。その気になれば引き渡すことも出来たのだ。引き渡していればきっと、ユーリはホウエンのジムバッジもシンオウのジムバッジも手に入れて、平和に過ごせていたのかもしれない。そんな可能性を捨ててまで、こうして手元に大事に置いている。裏の道を歩くことになり、死神と呼ばれ、身の安全が保障されなくても。きっとユーリにはユーリなりの覚悟があるのだろう。どんな個体でも、自分のポケモンとして、トレーナーである自分が捕獲した。責任は貫き通すのだという意志の表れでもある気がした。どんな理由をでっち上げたのかは知らないが、連れて行こうとする人間を跳ね除けてでも傍に置いておきたいのだという確かなユーリの意思だけは確かで、それが彼女の覚悟なのかもしれない。

(…どっちにしても)

グリーンは頬杖をついてユーリを見た。

「何ニヤニヤしてんの? 気持ち悪」
「…つくづく失礼な奴だなお前は」

不謹慎だろうが自分勝手だろうが今のこいつには関係ない。こんなに優しい顔をしてボールを握り締めてるユーリに文句をつける奴がいるものなら、俺が全力で相手してやろうと思う。

「お前のポケモンって、ホント。幸せ者だよな」
「…なんだよ、急に」

お前らが仲良く、みんなでいられる未来が早く来ないかなって思っただけだよ。
そう言おうとして、恥ずかしくなってやめた。






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