「いいいいざあああああやああああああ!!!」
「ほーんとシズちゃんったらそればっかり。ボキャ貧だね?」
「るっせえ! 今日こそ殺す!」

池袋の自動喧嘩人形と新宿の情報屋が街中を駆け巡っているという意味では、今日もこの街は平和なのかもしれなかった。少なくとも、今この瞬間は。

「あいつらも飽きないなあ…」

そんな2人を遠くのビルのバルコニーから眺める女がいた。バルコニーの柵に、外側に脚を投げ出すようにして腰かけるその女、リオは宙に舞う自販機とその間を抜けるように飛ぶ黒い人影を呆れたように眺めている。出会った頃こそ2人の喧嘩を仲裁したり、静雄と一緒になって臨也を追いかけ回したりもしたが、その時期を通過してしまえばあとは傍観者を騙る方がよっぽど利口だと気づいてしまったのだ。

「…あれ」

ノミ蟲と形容されるにふさわしい体捌きを見せながら段々と自分のいる方に近づいてくる臨也に気づき、リオはわずかに狼狽する。こちらに気づいているわけではないだろうが、今の2人には片方とすら関わりたくない。眼下の障害物を確認して、リオはそっと柵の上から降りた。地上数メートル、点在するビルの装飾へ体重を転々と残しながら、ゆっくり地面へと着地する。しかし、その光景は偶然か必然か、しっかりと臨也の目に映っていたことを彼女は知らない。地面に着地し、とりあえず臨也から離れようと踵を返す。数歩歩いた所で轟音が聞こえることに気づいて脚を止めた。まさかと思うより早く、近くの路地裏から目の前に飛び出してきたのは標識だった。

「おああ!?」

紙一重というところで避け、標識の先端がコンクリートにぶつかってひしゃげるのを横目で見る。まじか。

「臨也あああ!!」
「うわあああ!?」

続いて飛び出してきた恐怖そのものに驚いて、標識を避けた体勢のままバランスを崩している体を捩ってコンクリートを転がる。一定距離をとって確認した静雄の顔は何度見ても怖かった。

「っストップ! ストップ静雄! 私だから! 危ないから!」
「…あぁ? なんだ、リオじゃねーか」

いくらか表情は和らいだもの、こめかみに浮かぶ青筋は到底引きそうにない。出くわしたのが静雄でまだよかったと喜んでいる場合ではなかった。きっと攻撃をしかけてくるであろう臨也が来る前に離れなければ。

「おや? なんだか見慣れない顔がいるね」

遅かった。

「久しぶりじゃないか、リオ。まあここで言う久しぶりっていうのは、シズちゃんとの喧嘩中に君がいるっていう意味だけどね」
「…そうだね」

臨也と静雄の距離、10メートル。その中点にいる自分がどんな酷い位置にいるか、きっとわかるのは体験したことのある奴だけだろう。道幅の狭いこの路地で、逃げるのは臨也か静雄か、どちらかの方向しかない。ゆっくり立ち上がって両方向を見る。嫌な薄ら笑顔を浮かべる臨也とこめかみに青筋を浮かべる静雄。どう頑張っても絶望しか見えない。そんなときに響く澄んだ声が鶴の一声であるかどうかなんて、響いてみないとわからないのだった。鶴の一声は、臨也だった。

「そうだリオ、今日一緒に食事でもどう?」
「…はっ?」
「俺と食べようよ。好きなもの。何でもいいよ」
「いや、なんで」
「きっと俺がこのまま帰ったら君とシズちゃんは一緒に夕飯にでも行くんだろ? シズちゃんと行けるところなんてたかが知れてるんだし、俺と行った方がお得だよ」

とっさに静雄を見るが、ストップと言ったことを律儀に守っているようで、掌をかたく握りしめたまま耐えていた。鶴の一声なんてなかった。悪魔だ。悪魔の声だ。

「いやー、それでも私は臨也なんかよりたまにしか会わない静雄とご飯が食べたいな」
「ふーん? それにしてはシズちゃんの顔色を伺ってるようだけど」

お前が静雄を煽るからだよ! 言いかけた言葉をどうにか飲み込んで、じりじりと後退する。勿論静雄の方に進むことになる。 それを見てにやりと笑った臨也も、同じ距離だけ前進した。

「じゃあこうしようか、シズちゃん。俺と君、勝った方がリオと今日の夕飯を食べられる。どう?」
「いやどう? じゃないんだけど。景品にしないでほしいんだけど」
「……あぁいいぜえ、黙って聞いてりゃ好き放題言ってくれやがってよぉ、…覚悟は出来てんだろうなぁ!?」
「じゃあそれで決定〜」

臨也の言葉の言い終わりと共に、リオの顔のすぐ横を何かが猛スピードで飛んでいく。一拍遅れて、頬を血が伝った。

「…チッ」
「今舌打ちしただろ! 何すんだよ臨也!」
「リオこそ、避けないでよね。せっかく地面に縫ってあげようと思ったのに」
「…!?」

どこからか取り出した2本目のナイフをきらめかせ、無駄に妖艶に臨也が笑う。その笑顔に背筋が凍るのも慣れっこな自分が恨めしい。とにもかくにも、リオが今日現在、2人の喧嘩に巻き込まれているのは事実だった。軽く目眩を起こしつつ、後退するしかない自分を不憫だと思わざるを得ない。静雄のちょうど隣まで後退したとき、静雄の右手が突然にリオの腕を掴んだ。

「っひ、」
「…逃げんぞ」
「は、え?」

言うが早いか、静雄はリオの腕を引いて横抱きにし、その場から逃げ出した。突然、と言うよりは予想外と言う方が近いその行動に、さすがの臨也も目を丸くした。

「ちょっとシズちゃん、!」
「結局、こいつを連れて逃げた方が勝ちってことだろーが!」

こころなしか焦ったように聞こえる臨也の声と、勝ち誇ったような静雄の声。抱かれた肩を引き寄せられながら、後から来るであろう臨也の報復(という名の八つ当たり)が怖いなと思いつつリオは静雄の胸板に静かに体重を預けた。


今日は静雄の勝ちでいいかな。




私的平和の独占価値は




「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -