窒息しそうなほどの人ごみの中、私は目の前の背中を必死に追いかけていた。背中の主はその高い身長と比例した長い脚でずんずんと前に進んでいく。こうしている今も、見えるのは文字通りに突き抜けている青い頭1つだけである。1歩が大きいのはなかなかにいただけないが、長身だからこそ見失ってもわりとすぐに見つけることが出来るのだと、彼が高身長であることを心の底から感謝した。

「それにしても」

本当みんな、Dホイールが好きなのね。
皮肉を込めた呟きは誰の耳にも届かずに霧散する。人を押しのけるようにしてどうにか辿りついたのは、今の今まで探し回った尋ね人の背中だった。

「もう、ブル…、ブルーノ! もう少しゆっくり歩いてくれないかしら!」
「えっ…あ、カノン。どこに行ってたの?」
「どこに行ってたの、じゃないわ!」

あなたがどんどん先に行くから追いつくのが大変だったのよ、と文句をこぼせばキョトンとした顔で謝られて少し気落ちする。小さく溜息をつけばやはりブルーノには聞こえないようで、こちらにはお構いなしにいつもよりいくらか速い口調で喋り始めた。

「そうだ、カノンはあっちにあったシルバーのDホイール見た? 今のジャックのホイールオブフォーチュンよりもいい色しててさ、あの色も買おうかなって思ってるんだよね! あとあっちの…」

Dホイールのことを話しているときのブルーノはいつもよりテンションが高い。そして自分たちがいるここは、1年に一度開かれる新型Dホイールの発表会会場だった。多分、いや間違いなく、ブルーノのテンションは今年で一番高いに違いない。
ブルーノの指すシルバーのモデルはカノンも見た。確かに発色や光の反射具合、ひいては光沢、そして気品のある濃いシルバーカラーには心を動かされたし、今のホイールオブフォーチュンのそれとは格段によかった。もしあの色で塗り直したなら一段と美しいボディになるに違いないという確信がある。しかしやはり良いものには相応の値段がついているもので、クロウから持たされた予算では買えるかどうかもギリギリだった。

「でもあの塗料は少し高かったわ。先に必要なものを買っておかないと。もしものときにクロウにどやされるのは私なのよ?」
「ああ…うん、そうだね。…先にパーツを買おうか」

明らかに落胆した様子のブルーノを横で見ながら、クロウが書いてくれたメモを取り出して眺める。カノンにはわからないパーツも多少あったが、ブルーノならなんの問題もなく買い物が出来るだろう。メモをブルーノに渡そうとした、そのときだった。

「おら! どいてな嬢ちゃん!」
「…ッ!?」

柄の悪い連中が集団で押しのけてくるのが視界の隅に見えたが、気づいてからではもう遅い。男たちに不意を突かれて押されれば、いくらサテライト育ちで多少筋力のあるカノンでも力の差で押し切られてしまう。傾いだ身体は地面へと向かって急降下、するはずだった。


「危ない!」


ブルーノの慌てた声と、傾いだ身体を受け止める腕。背中に触れている腕からゆっくりと伝わる熱を感じて、抱きとめられていると気がつくのに対して時間はかからなかった。柄にもなく焦って、慌てて離れる。遊星たちと同じシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐった。

「…ありがとう、ごめんなさい。私ぼうっとしてたみたいで」
「ああいうのは危ないよね。みんながみんな気をつけてくれてるわけじゃないんだ。…大丈夫?」
「ええ…重かったでしょう、私?」
「え? 全然そんなことなかったけど」
「それなら……いいんだけど。私はもう平気だから、早く行きましょう」
「うん。…あ、待って!」

いつまでも立ち止まっていては人の流れの妨げになる。方向を向き直って歩き出そうとすれば呼び止めようとするブルーノの声と、指の先にあたたかいものが触れた。

「さっきみたいにはぐれたり、人にぶつかられたら大変だからね。やっぱりこの会場には男性が多いし。…カノン?」
「え、あ…う、うん」
「カノンは女の子だから、人一倍気をつけないと。ごめん、気がつくのが遅くて。ほら、僕の手、握ってて」

握っててと言いながらも、ブルーノはカノンの小さな手を少し強引に包んで歩き出す。そのまま引いて行かれればもうそのまま歩くしかなくて、その手のひらの大きさとか引く腕の強さとか、男女の差を改めて実感して。不覚にも色づいた顔を冷まそうとして会場の無機質な屋根を仰いだ。振り向いたブルーノが何ともなしに微笑んでみせて、その笑顔にまた赤面しそうな気がして慌てて視線を逸らした。それでも人一倍鈍感な彼は、その意味に気づかないのだろうけど。



無自覚なんてたちが悪い






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