「もー、なんでそうなるかな! 馬鹿! 死ね!」
「それはこっちのセリフだよ、君の顔なんて見たくない。帰れよ」
「言われなくても帰るっつの!」

新宿の某高級マンション。そのうちの一室では男女の罵りあう声が響いていた。乱暴に閉められた玄関のドアが、余韻を震わせて臨也の耳にまで悲鳴を届ける。臨也はそれを振り払うように大きくため息をついた。

「何が死ねだよ。俺がいなくなったら困るくせに」

珍しく機嫌悪そうにデスクトップパソコンに向かう上司を波江は呆れながら見る。

「馬鹿なこと言ってないで、なんとかなさい」
「君はいつもそうだね、悠理が悪い場合だってあるよ」
「どっちが悪いかなんて興味ないわ。あの子がいないと、どっかの誰かさんが鬱陶しくて仕事にならないのよ」

そう言いながらも平然とファイルの整理を続けるのは、彼女も臨也同様に仕事が終わらないからだろう。どうにも最近は立て込んでいて、波江の帰宅時間も延び気味だった。そんな状況にも軽く苛つきながら、臨也は卓上に肘をつき、指を組む。事の経緯はこうだ。最近仕事が忙しいと零したところ、、悠理が泊まり込みで家事やら何やらしてくれるというのでお言葉に甘えた。ここまでは問題ない。問題だったのはここからで、休憩でも行けばと外出させたらなんと池袋まで行ったらしく、途中で静雄に会ったらしく、ついでにお茶もしてきたらしく、煙草の匂いをつけて帰ってきたのだった。悠理曰く、一度家の掃除がしたかったから池袋に帰ったらしいのだが、静雄と一緒にケーキをつついて油を売っていたのでは全く意味がない。そんな言い訳が臨也の前で何の意味も持たないことは明らかだった。
そして、今に至る。

「俺が必死に仕事してるってのにいいご身分だよ」
「休憩って言って外に出したのはあなたよ。それに」
「それに?」
「家事だけなら悠理を家に閉じ込めておく理由なんて無いと、私は思うのだけど」

眼光鋭く臨也をねめつけて、波江が鼻を鳴らす。

「家事だけなら自分でこなすなり、いつもみたいに私に押し付ければいいのよ」
「押し付けるなって文句言うのは波江さんでしょ」
「上司命令ならやるわよ、家事くらい。でも貴方はあの子を呼んだ。しかも泊まり込み」
「何が言いたいんだ?」
「別に?」

素直じゃないと本当によく思う。正直、忙しい仕事の合間に顔が見たくて呼んでるようにしか見えない。実際はことあるごとに呼びつけるので合間なんて可愛らしいものではない。それこそ四六時中だ。一人暮らしの男の家事なんて微々たるものであるし、精々朝の洗濯と3回の食事くらいやれば十分だ。その程度ならいくら忙しくても波江にだって出来る。しかも今回は泊まり込みだ。臨也の執着心には悪寒すら感じる。本人はそれを認めないのだから尚更だ。要するに、臨也はただ自分の何かしらの欲求のためだけに悠理を傍に置いていることになる。理由など考えたくもない。

「ほら、早く連れ帰ってきなさいよ。悠理がいないと私も困るわ」
「…へえ? 波江が? 困る?」
「コーヒーに毒でも盛られたいのかしらね」

悠理がセットしたコーヒーメーカーは既に空だ。コーヒーを飲むなら自分か波江が淹れるしかない。回りくどい皮肉のボールを投げてきたときの彼女が厄介なのも、臨也はよく知っていた。些か乱暴に席を立ち、いつものコートを羽織る。臨也は波江を一瞥すると家を出た。

「本当にめんどくさいわね、あの二人」

そう誰に言うともなく呟いて、自分の弟への愛の実直さを波江は一人で絶賛した。


携帯を開いて、GPSのアプリを起動する。知りたい情報はすぐに出た。新宿の某公園。ここからあまり遠くない。とは言っても、彼女が出ていってから自分が波江から追い出されるまでそうはかからなかったので、時間を考えれば当然とも言えた。

「ほんと、忙しいのにどうしてくれんのかなあ、あいつ」

目指すは、悠理のもとへ。




♂♀



平日の夕方だからか、人影はまばらだ。写真撮影に勤しむカメラマン崩れがちらほら見られる中、ざっと芝生を見渡して悠理の姿がないことを確認した。そのまま芝生を突っ切って奥地へ入る。葉の大きな木が繁る道を通って、別のエリアに移動した。

「…いたよ」

遠くのベンチに腰かけて、餌もなしに雀を周囲に群がらせる女。そんな芸当は悠理にしか出来ない。大股で歩いて近づけば、気づいたのか立ち上がって右腕を軽く宙に滑らせる。それを合図にするように雀は一斉に飛び立った。

「なんだよ」
「…波江さんがうるさくてね、迎えに来たよ」
「いくら波江さんが言ったからって、私帰らないから」
「…強情だねえ、でも俺だって手ぶらじゃ帰れないんだよ」

後ずさられる前に腕を掴む。抜かりはない。

「なんだよ、煙草くさいとか散々言ってたくせに!」
「シズちゃんなんかといるから匂いが移るんだよ。煙草の匂いってすぐバレるんだよ? シズちゃんに嫉妬して抱いてくれるとでも思ったのかな? つけるなら俺の匂いにしてよ、とか言って欲しかったのかな?」
「変なこと言わないで。そもそも私が休憩にどこで何してようが勝手じゃん」
「ああそうさ、関係ない。俺に関係ないからって当て付けみたいに好き放題する姿勢が気に入らない」
「…理不尽だ!」
「結構」

掴んだ腕を引いて距離を縮めれば、少しでも距離を置こうと背をそらされる。なんだかそれも気に入らなくて、苛ついた。なんでいつもこう、強情になってしまうのだろう。

(…強情は、俺のほうか)

掴んでいた腕を離す。反動で悠理が後ろ側によろけた。溜息が漏れる。数秒たっても俺が何もしかけないのを不審に思ったのか、恐る恐る、顔色を伺うように、まるで子供のように口を開いた。

「…臨也?」
「ほんと、イラつく」
「な、ちょっと!」

再度右腕を掴んで、来た道を逆走。制止の声も振り切ってひたすら歩いた。

「おい、何だよ! 臨也ってば!」
「……と…よ」
「え? 何?」
「俺といた後にシズちゃんと会うようなことすんなよ!」
「…え、」

勢いよく振り返った臨也は確かに嫌悪の色にまみれていた、気がする。気がする、というのはその顔が一瞬だったから。それが自己への嫌悪なのか、悠理への嫌悪なのか静雄への嫌悪なのか、もうそれすらわからない。今はその表情すら失せ、ただの不機嫌な折原臨也を形成している。

「そうやって解放してやった瞬間に会うのがシズちゃんなんて、ほんと空気読めなさすぎでしょ。今の君の雇い主は俺なの。クライアントの意向くらい読めよ」
「え、はあ…? そもそも雇われてないし」
「同じことだよ。なんなの本当。なんのために泊まり込みで頼んだと思ってんの」
「…? 理由なんてあったの?」
「あるわけないだろ! 君をこき使ってやろうと思ってただけだから」

いいから帰るよ、ひかれた腕に従ってとぼとぼと歩く。とぼとぼというのは心境だけで、実際は臨也が大股で、しかも早足で歩いているためにかなり高速で歩いていた。捕まれた腕が知らぬ間にてのひらへ移る。

「いざや、」

やはりただ怒ってるとも思えなくて。どこか真意が掴めないままで。少し不安になって名前を呼んだ。

「…俺ばっかり必要みたいで、ムカつくんだよ」

まるで返事するように呟かれた臨也の言葉に、思わず繋いだ手を握り返した。











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