池袋の大通りを、女が猫を連れて歩いている。然程珍しくない光景だ。腕に抱いたその猫の喉を指で撫でながら、悠理は周囲に気を配って歩いた。
「ねえ、君の飼い主どこにいるのさ」
『それがわかってたら苦労しないのー!』
たまたま出会った猫だった。白と黒の模様が印象的な、黄色い首輪を付けた猫。路頭に迷っているかのような動きに気を惹かれて、声をかけたらこの有様だった。
『早くしないと日がくれちゃうよーう、ねー早くー』
「わかってるけどさあ…」
なんでも、飼い主と出かけていたら何かのはずみに籠の扉が開いてしまい、外に投げ出されたまま飼い主とはぐれてしまったそうだ。普通猫の重み分、荷物が軽くなったことに気づくだろうに。体の大きさは成体のそれだが、中身はまだまだ子供らしいその猫を抱えたまま、大きく溜息をつく。そのままとぼとぼと前進して、何かにぶつかったような鈍い衝撃が体に響いた。
「あ、ごめんなさい、」
「いや、こっちも余所見してた。悪いな」
顔をあげて慌てて謝罪する。悠理はニット帽を被った青年にぶつかったようだった。携帯を片手に歩いていたと思われる彼は、謝る悠理を咎める様子も見せずに自らの不注意を謝罪した。
「ちょっとー、ドタチーン! 何やってんのー!」
「ちゃんと僕らのことも見ててくださいよー! 置いてかないでほしいっす!」
後ろからなにやら声が聞こえる。そちらを軽く振り返って、ニット帽の青年はまた謝罪の言葉を口にした。
「携帯ばっかり見てちゃダメっすよ?」
「悪かったって」
「ごめんねえ、ドタチンが前見てないからさあ。怪我はない?」
声の主である2人組が到着して、青年に纏わり付く。その2人組を軽くあしらいながら、青年は再び悠理に目をやる。黒い服の女性がまじまじと悠理を見た。
「いえ、私こそ不注意で」
「あーっ!!」
済みません、再度謝罪しようとする悠理の言葉を遮るようにして、女性が大きな声をあげる。そのまま右手の携帯と悠理の腕の猫を何度も見、左手の人差し指で猫を指した。
「ドタチン、この猫じゃない!? 捜索願い出てる猫!」
「ん〜…そう言われると…、ああ、そうっすね! 写メとも一致するっす!」
「え、あ…ちょっと!」
抱いていた猫をするり、と連れて行かれ、思わず声を荒げる。女性の腕に渡り、やたら目つきの鋭い金髪の男にまじまじと見られて、猫も居心地が悪いのかじたばたと暴れていた。
『何すんだよー! 離せよー!』
「あの! どういうことなんですか!」
傍観を決め込むかのように腕組みをして黙っているニット帽の彼に詰め寄れば、彼は困ったような顔を一瞬だけ見せて、持っていた携帯の画面を悠理の前に掲げた。
「捜索…願い?」
「すまねえな、あいつら人の話あんまり聞かなくて… こういうことなんだが、わかってくれるか?」
掲げられた携帯の画面には、今日の昼頃出されたのであろう捜索願いが表示されていた。
「へえ、ネットで捜索願い。これ、誰でも見れるんですか?」
「いや、誰でもってわけじゃあないんだが…かなり大多数の目に触れることは間違いないな」
「…? この猫はこれから」
「よければ、俺たちも飼い主の家まで同行させてほしい。御礼を山分けなんてせこいことは考えてないから安心しろ」
「いや、そんなことは思ってないですけど」
2人組と猫に近寄って、青年が声をかける。
「おら、行くぞ。いつまでも遊んでんな」
「はいはい。わかってるって〜!」
「狩沢さんさっきの話なんですけど、いくら王道と言われようがやっぱり猫耳は…」
「遊馬崎うるせーぞ」
「飼い主さん見つかるって。よかったね」
『見つかるの? ぼく、おうち帰れる?』
「帰れるよ。行こう」
もう一度猫を腕に抱き直して、小声で猫に囁く。飼い主が見つかるということに半信半疑だった猫も、悠理を質問攻めにするうちに希望を見出したのか、ニット帽の青年が飼い主と連絡を付けた頃には機嫌を良くしていた。
♂♀
「今回のことは世話になった。礼を言う」
「私だけじゃ飼い主さん見つけられなかったですし。お礼言うのはこっちですよ」
「そういえばさー、捜索願い見せたときに驚いてたよね? ダラーズ知らないの?」
「ダラーズ?」
「そうっすよお、大抵の人ならなんとなくダラーズ絡みだって気づくはずっす!」
猫を無事に飼い主の元へと連れて行ったあと、ここまで一緒に来てくれた3人に囲まれた。ダラーズという名前にはあまり聞きなじみがない。動物とは接点が無いのだろう。名前教えてよ、そう言って黒服の女性はにっこりと人好きのする笑顔を見せた。
「私、狩沢絵理華。呼び方はなんでもいーよ」
「風真悠理です。悠理でいいですよ」
「俺の名前は遊馬崎ウォーカーっす!」
「あ、ゆまっちはゆまっちでいいよ」
狩沢さんが小さくあ、と声を上げて、ニット帽の青年を指差す。
「あっちはドタチンだから!」
「その呼び方を教えるのはやめろ!」
♂♀
「へえ、最近池袋に来たんだ?」
「知り合いもあんまりいないだろうし、難儀っすねえ」
「いやそんなことは…まあ、たまに困るかな」
「お前ら、その辺にしとけ」
露西亜寿司と呼ばれる店に来たはいいが、なんともシュールな店だ。見た目は洋風なのに、出されるのは寿司。板前ももちろん本場の外国人。美味しいからいいけど。
「池袋に来たばっかってことは…ならダラーズを知らないのも無理はねえなあ」
「あ、それで。そのダラーズって結局なんなの?」
「ダラーズってのは、」
ニット帽の青年、門田京平はそこで湯飲みに口をつけた。
最近人数の増えたカラーギャング、でもこれといったチームカラーは無し。人数だけはやたら多くて、縦のつながりも横のつながりもない。リーダーが誰かもわからない。登録制の会員サイトがあり、会員はそこで情報をやりとりしている。そのサイトに猫の捜索願いが出ていて、京平たちはそれを見て猫を探していたんだとか。
「リーダーがいないのってみんな不思議に思わないのかな。自分の組織なんでしょ?」
「リーダーがリーダーならメンバーもメンバーってことだ。ルールらしいルールもねえしな」
「ふうん…」
「…入っとくか?」
「え」
卓上に置いた携帯が電子音を鳴らす。確認してみれば、そこには先ほど登録したばかりの京平のアドレスからメールが入っていた。
「そのサイトから登録フォームに行ける。ヤクザなんかと直接接するようなこともほぼねえ。ただ情報収集したいってだけでも、使えるはずだ。…今のところは、だが」
「お心遣いありがとう。登録しとくよ」
携帯を操作して、登録操作を済ませた。
そのときだった。
「オー、イザーヤ。ヒサシブリネー」
「やあサイモン。大トロよろしくね」
そんな会話を、悠理の鼓膜がキャッチした。
平穏、フェードアウト