折原臨也が今日ここに来るらしい。
荷物をマンションに突っ込んで、夜行性の動物たちと挨拶を交わしているうちにそんな話を耳にした。時間はもう少しで0時を回る。女が一人でいて褒められる時間ではないことはよくわかっていたが、動物たちの会話の中にどこか不穏な空気が混ざっていたことを彼女は感じていた。だから今ここにいる。彼女がこの池袋で初めて演じた失態は「動物たちの情報を鵜呑みにしすぎなかったこと」、つまり「半信半疑だったこと」である。もっとも、折原臨也の件だけならもっと慎重になれたのかもしれない。平和島静雄の噂の異常性が、信憑性も警戒も溶かして、中和してしまったのかもしれなかった。


「あれかなあ…」

自分がいる場所はこの南池袋公園の中でも一番大きな木の上。よっぽどのことが無ければ、自分に気づく人間はいないはずだった。やがてガラガラと耳障りな音を響かせて、何かが近づいてくる。音の出所は肉眼で確認できない。隣にちらと目をやれば、小さな鳥が一羽、その音源に目をやって一言囁く。

『きゃりーけーす、ってやつかな。かなり大きい。引いてるのは男だと思うよ』
「キャリー…ああ、なるほど。ありがとう」

声を発した一羽の鳥のすぐ後ろには、数羽の同じ鳥がとまっている。彼らはすべてコミミズクという種類の猛禽類だ。本来コミミズクとは冬鳥であるはずなのだが、彼らはこうして池袋の街に留まっている。知り合ったばかりの悠理とすっかり意気投合した挙げ句、折原臨也がここに来ると知って案内したのもこのコミミズクであった。

「…何してんだ? あの人」

やがて黒いバイクに乗った真っ黒なライダースーツを纏った人間が現れ、男と一緒に2つのキャリーケースの中から女性を出してベンチに座らせた。黒バイクはすぐに立ち去り、後には真っ黒なコートを羽織ったその男だけが残る。男は携帯電話を眺め―――、突然振り向いた。もちろん背後には誰もいないが、周囲が気になるのか視線を彷徨わせた。

「…誰だ」
「…っ!?」

自分の声が聞こえたのかと、咄嗟に口元を押さえる。押さえたところで自分が何かやましいことをしたわけではないことに気づき(先の女性の件は目撃しても問題が無いような気もした。彼と黒バイクは危害を加えた様子が無かった)、手のひらを元の位置に戻す。どちらにしても、感づかれてしまったなら出て行ったほうが懸命だ。何しろ、悠理は折原臨也に会いに来たのだから。彼が折原臨也だと仮定して、特に何か用事があったわけではない。ただ、その折原臨也なる人物を見てみたかった。これが、池袋に居を移した悠理の二番目の失態だった。

「ね、何かあったら助けてくれる?」
『もちろん。…しかし、折原臨也かもしれない人間に会いに行こうっていう奴はやっぱり悠理が初めてだなあ』
「そんなにやばいの?…なんか細身だし、人違いな気もするんだよね」

木の上で息を殺していた自分の存在に気づくような人間が折原臨也でなかったら? それはそれで由々しき事態なのだが、今の悠理がそれに気づくことは無い。腰かけていた木の枝で体勢を立て直し、足に力を入れる。次の瞬間にはその力を足の裏に移動させ、座っていた場所を蹴りこむ。宙に飛び出し、そのまま空中で一回転。近くにあった花壇の、周りを覆う煉瓦の上に着地した。男に向き直りながら自分に向かう視線を視線で受け止め、口を開く。

「あんたが折原臨也?」
「誰だ?」
「…なんかもっと凄い人かと思ってたのに、なんか、普通の人だなあ」
「…あぁ?」

苛ついているのを隠しもせず、男は疑問詞をその舌に乗せて吐き出した。月がやたら眩しくて、男の顔を照らす。男の見た目の良し悪しに疎い悠理ですら息を忘れそうになるほどの美青年が、そこにいる。特に意味も無かったが2、3歩ほど歩み寄ってみれば、警戒しているのか男はポケットからナイフを取り出し、悠理に向けた。

「っと! ちょっと、脅かさないでよ、びっくりするじゃん」
「もう一度だけ聞く。誰だ?」
「誰って聞かれても、まあ私もあんたのこと知らないから! 危ないからそれしまってよ、もし警察とか来たらどうすんのさ!」
「…」
「あー、えー、と、最近池袋に引っ越してきて、あんたの噂を聞いたからどんな人か見てみたくなった。歳も近いって聞いてさ、なんか気になっ…ごめん、わかったごめんなさい、ナイフ仕舞ってください結構怖いんで」
「誰だ、って俺は聞いたんだけど。今日俺がここに来るって、誰に聞いた?」
「えっ…と、それは…なあ」
「早く言え」
「言っても納得して、もらえなさそうだしなあ…」

猫と狸と鳥チュンチュンに聞いただなんて世迷言を、一体どこの誰が信じるというんだ。いや、チュンチュンはあのコミミズクたちに悪いかな。自分に向けられたまま微動だにしないナイフの切っ先を見つめながら、男が放つ異様な雰囲気に飲まれまいと身体に力を入れる。なるほど、木の上から見ていたのとはわけが違う。口調は粗暴のように感じる。粗暴なだけなら別にいい。言葉の端々からこぼれる声音とその眼光に何か常軌を逸したものを感じて、悠理の背中に嫌な汗が伝う。見た目も確かに色んな意味でヤバいかもしれないが、人間的に言うならこの感じは「ヤバい」ではなく「危険」だ。同じように見えても緊迫感に大きな差がある。自分から撒いた種だ、完全にこれは自業自得。なら逃げるしかない。

じりじりとにじり寄ってくる男から後ろ向きに一歩ずつ逃げ、先ほどまで上にいた木の根元にまで近づく。背中に木の幹が触れるや否や、悠理は右の指で軽く形を作り、それを口の中に入れて強く吹いた。同時、鳴る指笛。男が驚いたように反応をするが、それも一瞬だけですぐに元の体勢に戻り、周りを確認して再び自分を見た。

『ほら、言ったじゃん?』

返す言葉もない。頭上降ってきた皮肉のあとから、同じような影がいくつも続く。コミミズクたちが男にぶつかっていき、その嘴でやわらかい皮膚を突いた。猛禽類の嘴や爪は人間には酷く有効だ。しかし男が持っているナイフが危ないのも代わりはない。悠理はウエストポーチから猛禽類用の手袋を取り出すとそれを右手に嵌め、男が握ったナイフを毟り取るかのように掴む。ナイフと猛禽類の部位を比べるとナイフのほうが勿論鋭い。それでも素手よりは間違いなくマシだった。

「なっ、離、」
「…さないよ。こんなもの持ってて、皆が怪我したらどうするのさ」

掴んだナイフの刃を握りこみ、男の力が緩んだ一瞬を突いてそれを奪う。男の正面という危険な立ち位置を一度の踏み込みで外れ、そのまま男を通りすぎて走る。逃げるのだ。手袋を外してもう一度指笛を吹く。あのコミミズクたちが逃げ切る頃には、私もこの場から逃げられるはず。公園のフェンスを横飛びで越え、走る。高低差のある場所を一気に飛び降り、目指すは大通りへと。そのままマンションまで逃げ切れば、もう私が折原臨也と関わることはないだろう。



♂♀



「ああ、怖かった」
『もう! 怖かったはこっちだよ! ナイフ持ってるのに僕らを呼ぶなんてさ』
「すぐに対策はしてあげたじゃん」
『はいはい。今度ネズミ山ほどね』
「ちょっとそれは…別のものじゃ駄目かなあ」

走る悠理と平行してコミミズクのリーダーが飛ぶ。やがて会話も途切れた頃、また今度と言ってコミミズクは飛んでいった。そして彼女も、自分のマンションへと辿り着くのである、このときの安堵が永遠だと信じて疑わずに。




情報のご利用は計画的に






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -