いつから、どうして、って訊かれてもたぶん答えられなかったと思う。そんなの、おれが訊きたいのに。
リユはそんな億劫なことはなにも言わなかった。訊かれなかったことがまるでおれを救ってくれたようで、けれど見方を変えればまだ引き返せたものの最後のトドメを刺されたようで、なんだか他のことがなにもかも嫌になるような錯覚を振り払うように性急にリユの唇を奪った。


ひどくやわらかいそれに触れた時間は長かったのか短かったのか、そんなこともわからねェくらいに、ガキのように必死で。

情けなくて、どうしようもなくて。


「…くらくらする、ね」


ろくな抵抗もされないまま唇を離すと同意を求めるような小さな小さな声が聞こえた。ちゃんと自分の足で立てているのかを確かめるようにそろりそろりと下を向いたリユの髪に思わず触れる。

なにか言おうとして、失敗した。喉の奥で声になれなかったすっからかんの空気がつまづいた気がした。
もう一度と出した声は、さっき言おうとしていたのとはちがう言葉になってこぼれた。



「髪、どうして」
「気分、かな?」
「嘘だろ?」
「……シャチには関係ないよ」



苦笑しながら、きっぱりと線を引かれた。するりと髪を梳った指の間に暗い夜の空気が通る。
たったすこしのやわらかい時間。数日前なら、もっと長いはずだった。



「…シャチはいいの? こんな私で」
「いいか悪いかで言ったら、あんましよくないけど」
「そりゃ、そうだよね。それが一般論だと思うよ」
「だけどおれ、けっこう我慢強いから、リユが忘れるまで待てるし」
「おんなのこ顔負けに健気だね」
「…引いた?」
「ううん、なんとも思わないよ」



それって慰めてんのって訊こうとしてやめた。そうなって、ようやく今夜のおれがひどく臆病に、慎重になっていることに気づく。
今までの会話がいかに表面的だったのかがよくわかって、すこしだけ胸が痛んだ。今までだって十分苦労してきていたのにハードルが高すぎて泣ける。


暗かった視界が突然、種類のちがう暗さになった。

瞠目して、そのあとにサングラスをリユに奪われたことに気づく。返せよって力なく手を伸ばしたら、いやよ、と言って遠ざけられた。
どんなに部屋が暗かろうが、じっと目を見つめられていることぐらいわかった。じわじわと頬が熱をもつ。どうしようもない。



「シャチの目は、すき」
「…目だけ? 他は?」
「教えてあげない。まだ、ね」



背伸びした彼女の手がおれの肩を優しくつかんで、やわらかいものが目のすぐ横に落ちた。ほんの一瞬だけ触れて離れていこうとするその体を引き留めて、抱き締める。

空白のあとに「めんどくさいけどいいの?」って弱々しく呟いたリユの額を小突いた。そんなのとっくに覚悟決めてるのに、可愛い顔しておれを追いつめる彼女がひどく煙たくて、愛してやりたくなった。






∴溺れるための一歩







2014.01.19