失礼しますと声をかけるのとほぼ同時に、伊作が姿を現した。
「ああ仙蔵、忍務から帰ったんだね。怪我したのか?」 「いや違う。文次郎のバカから聞いたのだが、ハルさんが、」 「その莫迦者と同じような隈をこさえてるけど、眠らなくて平気なのかい?」
くすくす笑う伊作には大方、私がこの二日碌に睡眠を取っていないことはお見通しなのだろうな。洞察力が鋭くて時々参る。
「――君らしくないね、僕に揶揄されるとは。ハルさんならよく眠ってるよ。とてもよくね」 「? ……もしや目が覚めないとでも、」 「仙蔵なら他の人より弁えてるだろうから、いいよ、入って」
僕もちょっと仮眠取るから、様子見ててあげて。新野先生は席を外されてるからさ。 そう言い残すと伊作は六年長屋の方へ歩いて、いや一度躓いて去っていった。
そこに生きる人間がいるのに、呼吸音すら聞き取れないほど医務室は閑散としていた。私は横たわるハルの側に膝を着ける。
「ハル……」
名前を呼ぶと、子どもみたいな無邪気さで私を見たあの目は閉じられたままだ。それよりも、なんなんだこの顔の蒼白具合は。すうっと頬を撫でれば生きてるなんて思えないほどに冷たい。 そのまま、ゆっくりと彼女の薄く開かれた唇を指でなぞった。これが私でない他の男のそれに触れたのかと思うと、腹が熱くなってくる。
「……許せ、」
きし、と床が軋む。ハルの頭の横に両手を置くと、遮るように唇を重ねた。微かな呼吸をしていて生きてるとは判るのに、その唇は苦無のようにひどく冷たい。
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