よろよろと前方からこちらに向かってくるように現れたのは噂の主。今まで横になっていたのだろうか、髪は解かれ少し乱れた寝着の前は不用心に緩くなったままだ。僕だったからまだよかったけど、留三郎や仙蔵や文次郎なんかに鉢合わせてたら、その恰好についてこっぴどく叱られた所だよ。かくいう僕も、いつもと違うハルさんの女らしい一面を直視できないでいるんだけどね。
「ハルさん、着衣が乱れてますがどうされました? やっぱり体調が……」 「……さ、ん……、て……」 「え?」
いつの間にかハルさんに壁際に押し付けられていた。薬が入った壷を抱えた僕の組まれた腕にすがるように触れ、切ない目をして彼女は確かに言い放つ。
「伊作くん……あたしを抱いて、お願い……」
え、えっ、ちょっ、え!!? 今なんて言ったのこの人、えっ?
目を白黒させていたんじゃないかなあ、この時の僕は。そんな困惑する男のことは全く気にせず、彼女は熱い吐息を何度も吐き出す。唇が唾液かなにかで艶やかに見え、潤んだ瞳で見つめてくるハルさんに何も言えずにいると、痺れを切らしたのか彼女は顔をゆっくり近づけて口吸いをしようとしてきた。 シャボンとはまた違う、女性特有の甘い匂いにチカチカしそうになった僕は、思わず壷を床に落としてしまった。それのおかげと言うべきか、むせ返るような甘い匂いは草葉臭い薬のきつい苦さに消えたのだが。
「み゛ゃあ!!」 (!!?)
猫みたいな悲鳴を上げると、ハルさんはすごい速さでどこかに消えた。まるで僕らだ。でもこれで確信した。
あれはハルさんじゃない。
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