BENNU | ナノ


▼ 026 遠き日々2―似た者同士―

 契約の儀は、淡々と進んだ。見届け人ラファーガが、ダアトの契約者たるブロウの左胸にナイフを突き立て、流れ出た血を杯に受ける。心ノ臓が送りだしてすぐの血液が、最も魔力と生命力に溢れているのだという。苦痛に顔を歪める少年を見るのが忍びなく、杯が満たされるまでダアトは俯き、ささくれた絨毯を睨んでいた。
 満たされた杯にブロウは指を浸し、ローブを脱いで跪いたダアトの左胸に血文字を刻む。たった一文字の、竜族だけが使う文字。それは印である。一生、竜の所有物になるのだという、消えぬ印だ。
 杯を口元に宛がわれる。血生臭さで、鼻腔がべたつくようだ。
「『飲み下せ。さすれば汝、我が命尽きるまで、我の眷族なり――』」
 嫌々ながら、しきたり通りの台詞を、ブロウが棒読みする。杯が傾けられ、口の中に噎せ返るほどの血の味が広がった。嘔気を堪えながら、嚥下する。喉を伝い、ぬるりと胃へと伝い落ちる感覚が生々しい。だが、不快感を凌駕するほどの、奇妙な高揚感があった。腹から身体全体へ、じわじわと活力が満ちてくる。老いた組織が生まれ変わり、新たな組織が息を吹き返し始めるかのよう。
 痺れるような活力の奔流が全身に満ちたとき、ダアトはようやく顔を上げることができた。そうして仰ぎ見た若き契約者は、嫌悪感を隠しもせずに顔を顰め、兄に悟られないよう唇の動きだけでこう呟いた。
(気持ち悪ぃ)
 全くもって同意見だ。
 歯の隙間に残る血の味を舌でこそげ取りながら、ダアトも同じ事を考えた。


「エトスエトラにしては、ずいぶんと年食ってるんだな」
 儀式の後、ブロウの部屋でのことだ。
 大概の、おそらくはダアト以外のエトスエトラならば、煤と竜への恐怖心から、契約の儀のあとすぐに白の塔に帰っていただろう。しかしダアトは、彼の契約者の少年に興味を持った。あの見覚えのある、暗い水底の印象を湛えた彼の瞳。その水面に触れずして帰るには、惜しいような気がしたのだ。
「少し話をしないか」と誘えば、ブロウは二つ返事でダアトを自室へと通した。彼の方も、何がしかの興味をダアトに抱いたようだった。これは良い兆候だと、ダアトは思う。
 ブロウの部屋は、雑然としていて、物で溢れていた。ベッドのシーツはよれ、その上には脱ぎ散らかした服が山になっている。火の灯された燭台は錆びつき、宙を舞う埃が細い煙に燻され、部屋の中は微かにきな臭い。窓はなく、閉塞感の塊の直中に飛び込んだかのようだ。奥の壁際にはダアトの背丈ほどの書架があり、雑多に本が並べられていた。収まりきらない本が、適当に積まれて床を占領している。
「なあ、お前何歳なんだ、『死にたがり』さんよ」
 ベッドに腰かけたブロウが、にぃと唇を歪めて笑う。少年らしからぬ、シニカルな笑い方だ。
「二十七だよ」床に落ちていた分厚い本に腰掛けながら、ダアトは答える。
「ははっ、死にたがりどころか、死にかけじゃねえか。どうりで老けてる。あんたらは十代で契約するんじゃないのか?」
「思うところあってね。でも君のお陰で、死にかけだった俺は生きながらえることができたよ」
 言いながら、ダアトは懐から煙草を取り出した。パチンと指を鳴らして火を灯し、肺腑の奥まで煙を満たしてから、ふうとブロウに向かって吹き出してみせる。不意を付かれ、ブロウがげほげほと咳込んだ。
「こうして、好きな煙草も存分に吸うことができる。ありがとう、ブロウ」
「お前、思ったより嫌な野郎だな」込み上げる咳を飲み込み、ブロウはダアトを睨んだ。
「変わり者だとは、よく言われる。――で、君はいくつなんだい?」
「十五。おい、それを俺にもよこせ」
「君にはまだ早いよ。身体に毒だ」
「竜族に毒も糞もあるか。外はどうか知らないが、異界じゃあ俺より若い奴も吸ってるよ」
「そうならば君の分はどうした? 酒や煙草といった嗜好品は、エトスエトラが定期的に転送しているはずだけど」
 ブロウが、言葉に詰まる。
「……俺には、まわってこねぇよ」
 口の中で言葉を転がすように、ぼそぼそと歯切れ悪く答えた。顔や腕についた傷の跡を隠そうとしてか、背を丸めて腕を組む。伏せられた緋色の瞳の奥で、再び暗い水底が揺らめいた。
 竜族は、強き者が弱き者を統べる。強さにこそ矜持と尊厳を持ち、それこそが、集団での立ち位置を決める指標であった。異界に封じられてなお、エラグリフ王国時代から変わらぬ習わしだ。
――長の一族にありながら、目下の同胞にさえ勝てぬ弱き竜……一族の恥晒し者だ。
 彼の兄は、本人を目の前にそう吐き捨てた。その言動や彼の負っている傷を踏まえれば、おのずと置かれている状況が、風あたりの強いものだと知れる。長の息子の一人であるならば、猶のことだ。
「ふうん」と努めて軽く返事をしながら、ダアトはふと足元に落ちていた一冊の本を拾い上げた。埃を被った濃紺の表紙をひとなですると、意外なタイトルが現れる。『ガラテアル旅行記・第一篇』――ヲルタニアの首都で流行っている冒険小説だ。興味をそそられ、その隣に放られた本を手に取れば、『ある愛の詩』という題が目に入る。こちらはエラグリフ王国時代から、ひっそりと人間たちの間で親しまれている戯曲である。
 ダアトは立ち上がり、書架に並んだ本の背表紙をなぞりながら歩いた。そのほとんどが、エラグリフ王国の国土の地形図や戦略図、兵法学、魔法学などの、戦に必要な資料であった。封印戦争の折り、彼らの砦ごとハヴァによって封印された名残だろう。
 しかしその中に、少数ではあるが文学の本が混ざっている。
 竜族は力を尊び、芸術を愛でる心には乏しい。少なくとも彼らの王国の時代にはそうであったし、人間たちの物作りの才は評価されずに埋もれていた。現王ハヴァ・ナルが、その価値を見出すまで。だが――
 この少年は、その限りではないようだ。
「おい。その顔やめろ」
 言われ、ダアトははっとして口元を手で隠す。また気づかぬうちに薄く笑っていたようだった。
「契約のときもその顔してやがったろう。俺を――笑うんじゃねえ」
 ダアトを見据える彼の双眸の底で、また暗い水底が揺らめいた。だが彼の声色は低く、静かな怒りの熱をはらむ。無意識のうちに、揺らぐ水底に抗うかのように。
「死に損ないに笑われる筋合いはねえ」
「別に、君を笑った訳じゃないよ」
「どの顔して言いやがる!」
 ブロウは手元にあった枕をひっつかみ、ダアトの顔に向かって投げつけた。脇に飛び退いてかわすと、枕がぶつかった衝撃で書架から数冊の本がばらばらと落ちる。
 自らの立ち位置を認めたくない。だが自分ではどうにもならない。持て余した自己と他者への泥のような嫌悪感が、彼の周囲に凝っているかのようだ。
 いよいよダアトは薄ら笑いを隠しもせず、ブロウと向き合った。
「君と俺は、よく似ていると思ったんだよ」
 嘘ではなかった。彼の瞳が湛える暗い水面の印象は、窓硝子に映った己のそれを見ているかのようだった。
「俺はエトスエトラの中でつまはじき者だった。竜との契約を拒み続けて『死にたがり』と呼ばれ、奇異の目で見られ敬遠されてきた。あいつは変人だとね」
 ブロウに歩み寄り、距離を詰める。
 己の薄ら笑いが、極力友好的に見えることを祈りながら。
「君もだ。君は力を尊ぶ竜の中で、力の無さ故につまはじきにされている。それだけじゃない。君は力以外のものに魅せられている」
 拾い持っていた小説をブロウの傍らに置いてやると、かっと彼の耳が赤く染まった。
 斜に構えているが存外素直な子だなと、ダアトは内心ほくそ笑む。赤くなるのは、図星をつかれた証しだ。
「……お前らの送ってくる物資の中にあったから、たまたま、」
「違うね。たまたまではなく、それしか回ってこなかったんだろう。人気の嗜好品を手にできるほど、君は強くないから」
「……暇つぶしに、ちょうどいいと思って、」
「そんなものを読んでいるから強くなれない――そう、言われたことがあるんじゃないか?」
「――っ、お前に、何がわかる」
「わかるよ。周囲との乖離を感じ、集団からつまはじきにされた気持ちは、よくわかる」
 君と俺は、よく似ていると思った。
 そう、嘘ではない。――半分は。
「『ガラテアル旅行記・第一篇』では、主人公のヘンリー・ガラテアルの旅立ちと故郷への惜別の情が丁寧に描かれていたね。郷愁の思いは切なく、しかし彼の決意は初夏の清風のように清々しかった。『ある愛の詩』では、ハミルトン夫妻の出会いから死別までを描く物語の中で、夫のジョシュ・ハミルトンが妻を裏切る場面があるだろう。俺はそこが彼の利己的な一面をよく描いていて、お気に入りだ」
 瞠目したブロウは、唇で綺麗な弧を描いて笑うダアトに、思わずというふうに問いかけた。
「……お前も、読んでるのか」
「ああ、何度も。どちらも舞台化もされている。生の台詞が入ると、またいいものだよ。それに――」
 息苦しさを感じ、ダアトはつと言葉を止めた。
 もう少し舞台の魅力について話してやりたかったけれど、溢れた出した咳によってダアトの言葉がかき消される。煤に長い間あてられたせいだった。身体の表面に張った薄い被膜のような結界が、煤に浸食されつつある。
「もう少し話していたいけど、そろそろ潮時みたいだ」
 咳込みながら、ダアトは懐から煙草の入った巾着を取り出しブロウに投げて渡した。何度か手元でお手玉してから、ブロウはうまく掴み取る。
「おい、これ、」
「あげるよ。それと、旅行記は何編まで持っている?」
「……第一編だけだけど」
「じゃあ、今度来るときに続きを持ってこよう」
「本当か?」
 一瞬、ブロウが年相応の笑顔を見せた。その邪気の無さが、ダアトの罪悪感を揺り起こす。
 喜ぶのだ。この少年は。こんな――些細なことで。
「ああ、約束するよ」
 瞳の奥に暗い水底を持つ者は、己の価値を信じきれていない者だ。諦めや卑屈さといった重い服をまといながら、なんとか泥に沈む日々を這っている。けれども、その下には。
 生き物全てが持つであろう、僅かながらの自己愛が隠されている。他者の承認を得たい。理解され、感情を、感動を、心の内を共有したいという欲求がある。
 生き物として正常な本能だ。まだ幼い彼はなおさら、素直に伸ばされた手を掴むのだろう。
 自然と薄ら笑う理由のもう半分を思うと、ダアトは貼り付けた友好的な笑顔が歪みそうだった。





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