BENNU | ナノ


▼ 027 仮面の裏

「もうさ、笑いださないようにするのに苦労したよ。どうだった、僕の名演技。故郷を無くした、哀れで気弱な少年スクァール……なかなかのものだったでしょう?」
 くすくす笑いながら、スクァールは言った。その声は年相応の無邪気なものであったが、それが逆に背筋を逆撫でする様な気持ち悪さがあった。
 問いただしたい事が山ほどあるのに、アークの喉は未だ衝撃で引き攣り上手く言葉を発せられない。
「いいね、その顔。混乱、絶望、猜疑に満ちてる」
「なんで……どうして、君が……演技って、どうゆう事なんだ?」
 執務室で王女ゴディバの裾にしがみ付いていた姿。
 レニに縋りついて泣いていた姿。
 ダニエーレと一緒に遊んでいた姿。
 そのどれもが、今のスクァールの姿とは噛み合わない。そのとき感じていた儚さや、憂いを纏った少年は目の前には存在しない。
 鉄格子の向こうに立っている少年は、キックやその兄とは比べ物にならない程の、凶暴な悪意の塊だった。
「今まで君が彼に持っていた印象は、全て虚像だと思った方がいい」
 ダアトが、アークを庇うように前に立ちながら言った。
「スクァールの全てが、嘘?」
「そうだ。彼は……ブランカの生き残りなんかじゃない。ブランカを破滅に導いた張本人だ」
 青白いダアトの顎から、汗が一粒滑り落ちるのが見えた。スクァールの口角が、にんまりと吊り上る。
「そんなの……おかしいよ。だって、ブランカは亜人の襲撃にあったんだろう?」
「フランベルグ騎士の防衛線は完璧だった。いくら夜襲をかけたとしても、総崩れにならないだけの準備があったはずだ。そこに、大きな穴が空けられた」
「あれは、楽しかったなぁ」
 鉄格子の向こうで、スクァールが手を胸の前に翳した。その手が徐々に黒く霞んでいくにつれ、閉鎖された獄舎の空気が淀んでいく。腐敗物を焦がした様な悪臭が鼻についた。
「煤を……操れるのか?」
「先に、これを同盟国側の前線基地に蒔いておいたんだ。通常、煤を吸い込むとイラ化するけれど、僕には違った使い方が出来る。煤はそもそも、高密度の負の感情の塊だ。それに共鳴させて、その人の中にある憎悪を大きく膨らませる事が出来るんだよ。
 そうやって、亜人達の感情を高ぶらせておいてから、ブランカの坑道を僕が派手に崩落させたんだ。予想通り、人間への憎しみに燃え理性を失った亜人達がなだれ込んできた。くくっ……あはは! 騎士も、民間人も、見境なく皆殺しだ! でも、さらに傑作なのは、王女だね。ブランカを潰す原因を作ったこの僕を、被害者と勘違いして王都まで、お前のいる所まで運んでくれたんだから。馬鹿な女……ちょっと被害者ぶってみたら、ころっと騙されちゃってさ!」
 暗い獄舎に、子供の高い笑い声が響く。それにつられるように、アークはダアトの後ろから抜けだし、スクァールの前までふらふらと歩いた。途中、ダアトが手を伸ばしてきたが、無意識のうちに払いのける。開いた拳から、ウッツの手紙が滑り落ちた。
 鉄格子を握りしめながら、目の前の小さな子供を見る。一見か弱い、害意の欠片もなさそうな少年。それは――偽りの姿だと言うのか。
「お前の友達……レニって奴。僕は好きだな、ああゆう――単純で馬鹿な奴ほど、遊んでいて楽しいものはない」
「遊ぶ……?」
「ねえ、いくら亜人が嫌いだからって、人質の子供ごと斬ると思う?」
 にたにたと感じの悪い笑みを貼り付けたスクァールの顔。鉄格子を握る拳に力がこもる。何かが、胸の奥でふつふつと沸き始める。
「じゃあ……じゃあ、ブランカの時みたいに、レニの心も操ったのか? あいつが望まない事をさせたのか!」
「勘違いしないで欲しい。僕はあいつの感情の背中を押してやっただけさ。
 この力はね、万能じゃない。当人が持っていない感情を植え付ける事は出来ない。元々ある小さな火種を、煽って大きくしてやっただけさ。
 あいつはね、何か犠牲を払ってでも亜人を殺したかったんだ。それぐらい亜人を憎んでいた。でも正気に戻った後、僕を切った事が恐ろしくなった。そこで僕は言ったんだ。『暴走したアークさんに殺されかけたんです! レニさんは僕を庇ってくれたんです!』ってね。お前が亜人だと分かって揺れているレニの心につけ入るのは簡単だった。栄光か、恥辱か。僕はね、あいつの中に生れた醜い選択肢の片方を後押してやっただけなんだ」
 愚かなアークを蔑むように様に、鈍いアークを説き伏せる様に、スクァールは饒舌に語った。
 そうしてから、見せつける様にしてシャツの裾をめくる。左肩から右脇腹まで走っているはずの傷痕は、存在しなかった。滑らかな白い肌が、不気味に闇に浮かびあがる。
「傷が……ない」
「結構痛かったなぁ。演技の為には相当量の出血が欲しかったから、すぐに治癒も出来ないし。でも今はこの通り。友人が人殺しになっちゃうとでも思った? 僕はあんな傷じゃ死なないよ」
 聖人の様な笑みを浮かべながら、闇の生き物が笑う。その白い腹に目が釘付けになったまま、吐き気が込み上げた。
「僕と……僕と、同じ……」
 傷が治癒する力が、この少年にもある――?
「同じ? お前と?」
 急に、スクァールの顔から笑みが消えた。鉄格子の隙間から手を突っ込みアークの服に手を伸ばすと、少年には持ち得ない様な強い力で引っ張られた。額を鉄格子に強打する。
「僕は純然たる喰禍竜の長の血族――お前の様な混ざり物と一緒にするなよ」
 底冷えがするような、絶対零度の声に総毛立つ。
「お前みたいな混ざり物の劣化品をパパは欲しがるなんて……許さない。絶対認めない! お前のせいで……お前のせいで僕がどんな惨めな思いをしたか! ただ殺すだけじゃつまらない。追い詰めて追い詰めて、絶望の中で殺してやる」
「……パパ? 僕を、欲しがる?」
「ねえ、なんで突然イラの声が聞こえるようになったか、不思議だったでしょう?」
 アークの問いかけを、スクァールは黙殺する。狂人の笑みをその幼い顔に貼りつけ、再び語り出した。
「いつを境に、イラに対して何かを感じる様になった?」
 促されるまま、過去を思い返す。
 亜人のイラの記憶を見た。煤の中で重なり合う悲鳴を聞いた。
 いや、もう少し前。
 ルノー丘陵でのイラ討伐時、彼らの声を聞いた。イラのやってくる方向が分かった。
 なぜ。その辺りで、何か自分に異変があっただろうか。
 そうだ。熱を出した。思えば、それを境にイラの声を聞くようになったような気がする。初めてイラに遭遇したナキア森では聞こえなかった。
 ならば、熱を出した原因は。あれは――
「団長の執務室で、初めて君に会ったとき……感じた事のない、おかしな頭痛がした……君に会う度、その頭痛がぶり返した……!」
「そう、その通りだよ! よく出来ました」
 無邪気な拍手の音が、獄舎に響いた。
 獄舎はやけに静かだった。これだけ大きな声を出しているのに、誰も様子を見に来ない。キックの兄が――看守が、いるはずなのに。
「非常に不愉快だけれど、僕と同じ血がお前の中に流れている。その眠れる力を、僕という同種の血族の存在が力を共鳴させ、表に引っ張り出してやったんだ。多少強引にだけどね。例えば――こんなふうに!」
 スクァールがアークの目の前で強く拳を握ると、例の頭痛が襲ってきた。その直後、腹の底を引っ張られる様な感じがした。そこから何か途方もない力が溢れ出し、血液に乗って全身を駆け巡る。
「アーク駄目だ、抑えるんだ!」
 ダアトが駆けより、肩を支える。返事は出来なかった。
 心臓が熱い。体が熱い。目が熱い腕が熱い足が熱い!
 全身を炎に舐められている様な感覚が襲う。鉄格子を握る手が震えだす。その手が目に入った時、アークは悲鳴を上げた。
 レニを殴り、火傷を負わせたあの醜い腕――赤い鱗の生えた腕が、そこにあった。
 それだけでは終わらなかった。指先から始まった変化は、全身へ及ぼうとしていた。腕へ、体へ、顔へ、鱗が生えてくる。頬に触れると、ざらついた、硬い鱗の感触がした。
「嫌だ! 引っ込め!」
 黒く変色した爪を鱗に立て、引き剥がそうとする。剥がれない。無理に力を込めると、激痛が走った。
 スクァールが笑っている。それに重なる様に、またダアトの不思議な言葉が聞こえた。淡い薄紫の文字がアークを取り囲むと、少しだけ体の熱が収まってくる。鱗の浸食が、ゆっくりと引いて行く。
 スクァールが舌打ちをする。ダアトに手を伸ばす。黒い炎がその手の先に揺らめき始める。
 しかし、それが放たれる前に、ダアトが先に倒れた。
 背を折り、激しく咳込む。床に何か赤いものが飛び散った。助け起こしてやることは出来なかった。再び始まった鱗の浸食に耐えることで精一杯だ。
 それを見て、スクァールは手を引いた。
「なんだ、僕が手を下すまでもないのかな? 満身創痍じゃない。なんでそこまで衰弱して――」
 そこまで言ってから、はっとしたように言葉を切る。スクァールとダアトそろって、四角い窓がある壁を凝視していた。その意識が向いているのは壁そのものではなく、そのずっと先にある何かを見ているようだ。
「……なぁんだ。王都にいたのか」
 スクァールが、勝ち誇った様ににやりと笑う。ダアトが小さな悪態をついた。
「てっきり、あの裏切り者に預けたのだとばかり思っていたのに。まさか、こんな劣化品の元に連れてくるなんて。だからそんなに消耗しているんだ。そもそも、僕がこいつの力を目覚めさせていなかったら、どうするつもりだったのさ」
 ダアトが顔を上げる。口の周りが赤く汚れていた。
「君がアークの元に来る事は予想していた。必ず、いたぶりに来るとね」
「嫌な奴。僕さえも利用するなんて。でも、ばれちゃったね。僕が今こいつの力を強く引き出したせいで、契約者に突然大きな力が流れ込んだ。おかげで衰弱していた彼女、目を覚ましたみたいだ。ねえ、あんたなら感じるよね? エトスエトラの導師、いや、聖都ジェノの法王。それとも、聖祉司って呼んだ方がいい? ――ダアト・サラクルゥ」
「……お好きなように」
 ダアトは立ち上がると、口の中に溜まっていた血を床に吐き捨てる。そして着崩れていたローブのフードを、邪魔そうに剥ぎ取った。
「……白い。ラナと同じ……真っ白の、髪と肌……」
 熱に侵されたまま、口から言葉が零れる。それを聞き拾ったスクァールが、嬉しそうに頷いた。
「そう、そうだった。ラナって名前だったよね。どうする導師様。血を吐くくらい衰弱している体で、アークの力を抑えるまじないをかけながら、あの子を僕から守れる? 言っておくけど、あの子が目の前に来たらこいつより先に殺すよ。『白の庭』の惨劇、ここでもう一回再現してあげようか?」
 ダアトが、歯ぎしりをする。スクァールが嗤う。
「迷っている暇なんてないよ。あんたの力を感じて、こっちに向かって来てる」
 俯くダアト。一瞬だけアークを見たその瞳には、憂いが揺れていた。
 再び、聞き慣れない発音の言葉を紡ぐ。光を帯びた文字が彼を囲んでいく。それがダアトの周囲を一周すると、次に瞬きした刹那、彼の姿は消えていた。
 静まり返った牢の中、スクァールの高笑いが響いた。狂人の笑い声だ。先頃あんなに活動的に床を這っていた鼠も、今は闇の奥でこの笑い声に震えあがっているだろう。
「人間ではない自分の姿に慄き、導師に見捨てられ、友に罪を被せられて! ねえアーク、今どんな気分?」
 体を巡る熱に耐え蹲るアークを見下げながら、スクァールはひとしきり笑った。それが収まった後、しゃがんで視線を合わせてくる。
「まだ終わりになんてしないよ。でも……僕の計画では、お前は世間にも友にも見限られた状態で、国逆の汚名を着せられた父親の死刑を見て貰う筈だった」
「……悪趣味な奴」
「褒め言葉だね。でもあの導師のせいで、見せ場が無くなっちゃってさ。あんたの偽の父親の牢、蛻の殻だ」
「なん……だって?」
 父さんは、もう牢の中にはいない――?
 どうゆう意味なのだろう。見たところスクァールは悔しがっている。ダアトが何かしたと言うならば、それは希望的観測をしてもいいのではないだろうか。父親は上手く逃がされたのだと、思ってもいいのではないだろうか――
「何、喜んでるの?」
 緩み始めた頬に、スクァールが触れる。そして思いっきり、鱗を一枚引き剥がされた。
「――ああっ!」
「痛い? あんたがあんまりにも浅はかだから、ちょっとお仕置き。まだ終わらないって言っただろ」
 剥ぎ取った鱗を床に落とし、足で踏みつける。上等な革のブーツの下から、赤い体液が滲み出た。
「代わりに、良い事思い付いたんだ」
 気味の悪い笑みを浮かべながら、スクァールはアークの後ろにある何かを指さした。振り返ると、そこにはくしゃくしゃになったウッツの手紙が転がっていた。
 全身から血の気が引いた。まさか、まさか――
「その手紙の差出人、中央広場で会ったよね。確か――そう、ウッツ、って言ったよね?」
「やめろ! ウッツにまで手を出そうっていうのか! お前がなぜ僕をそんなに恨むのかは知らないけど、ウッツは関係ないだろう!」
 体を焼く様な熱など忘れ、立ちあがって乱暴に鉄格子を揺すった。スクァールは一歩下がり、半身を闇へと染める。
「関係あるさ。そいつは人間ではないと分かった上でも、お前を信じてる。それに救われたでしょう。……そんな生ぬるい友情、お前には必要ない。でも、どうやら……結構役に立ちそうだね?」
「……何をする気だ」
「さあ? 気になるなら、そこから出で僕を追って来なよ。今のお前になら、造作もない事だから」
 そう言い残して、スクァールは姿を消した。最後に見た彼の顔は、不気味なほどに歪み、目は暗い狂気に爛々としていた。
「待て! スクァール!」

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