赤壁の戦い(ネタ)
注
2010年エイプリルフールに友人サイトへ、曹孟徳名義で書いた小学生の作文レベルのアレなものです
非常に頭が弱そうな曹操様で申し訳ございません
誤字も仕様です
208年の冬、わしは赤壁ってゆうところに船でいった。
船といってもすごい船だ。
わしの船は数とかとにかくすごかった。特に数とか。
すごすぎてわしにも何隻あるのかよくわからなかった。
100以上は昔から数えられなかったから二回ぐらい数えようとおもったけど途中でよくわからなくなってしまった。
加工惇が「孟徳、忘れ物があってもとりに戻る暇はないからちゃんと確認しておけ」と言っていたけどわしは「はいはい」とかゆって適当にしてたら
長江に出たときに頭にいつもかぶってるやつがないことに気付いたけど言ったら怒られると思ったんでゅわなかった。
でもばれて加工惇にもみあげを引っ張られて痛かった。
なんでばれたんだろう?ひっぱった後で加工惇が「これでもかぶってろ」ってゆって紙コップをわしにかぶせた。
なんだかいつもよりからだが軽かった。いいちょうこう。
で、あの 結局いろいろあって、わしのが戦力はおおかったんだけど火とかつけて
きて諸葛亮とか祈ったりしたせいで火とかつけてきたりしてほんともうイヤだった。
ちょっと泣いた。孫権とかほんとポッと出のくせになまいきでわしはちょっと泣いた。
もうやだな帰ってホットケーキでも食べて寝ちゃいたいなと思っていたら、なんとわしのところにあの男が来たのだ。
もちろん関羽雲長だ。
わしが「えーなんでーきてくれたのー」ってゆったら関羽は「兄じゃよりも曹操殿が
心配できちゃった」ってゆってすごい戦ってくれた。わしの軍で。曹魏で。
関羽はわしのちかくにきてた孫権とかいうやつをすごいやっつけてくれて、でもわし
んとこの加工惇はすごい関羽のこときらいなのね。
だから見つかったら絶対「関羽とかいらねーじゃん」とかゆうとおもって、そしたら関羽も「いらねーとかゆうんなら帰る」
って絶対ゆうと思ったからわし黙ってたの。
でも加工惇に結局みつかっちゃって、でも「孟徳、俺が間違っていた。関羽すごい
強いから俺も仲良く関羽と組む」って言ってくれて、なんかいつもの加工惇とちがう
からわし
「え?いいの?」ってびっくりしていったら加工惇が「いいよ別に」っていうから「じゃあ頑張って」って応援した。
いつも仲の悪い加工惇と関羽が一緒に戦ってれるってゆうのは夢のようだ。
あんまりにも嬉しかったからわし、「ちょっと夢じゃないかわしのことつねってみて」って張遼にいってみたら腹部を黄龍鉤鎌刀で貫通させられた。ちょっとじゃなかった。
張遼は「おしてまいる」って言いながらわしを突き飛ばしてそのままどっかいった。
血がいっぱいでて「死んじゃうかもしれない」ってわし思って、倒れたら「だいじょぶ?」
って小喬たんがわしをひざまくらしてくれた。
「えーなんでーきてくれたのー」ってゆったら小喬たんは「しゅうゆ様より曹操さまのがいいからきちゃった」ってゆってすごい看病してくれた。わしの軍で。曹魏で。
大喬たんも「曹操さまってよくみると水嶋ヒロに似てる」って小喬たんとわしをどっちがひざまくらするかでとりあいとかしちゃってほんと参った/// (ぉ
で、病は気からってゆうけどなんかすごい幸せだったらなおっちゃって、そんなかんじでいたら加工惇と関羽が「りゅうびと孫権追い払ってきた。まじちょろかった」って帰ってきて戦にも勝った。
りょ蒙とか趙雲とかも「曹操様のしたではたらかせてください」って来た。すごいことだ。
わしモテ期到来。
わしは逃げていく連合軍のふねに「ピッチャーびびってるヘイヘイヘイ」って大声で言った。
こうして赤壁のたたかいはわしの大勝利でおわった。
あと、うちにかえって寝るまで紙コップはおちなかった。
write by 曹孟徳
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