secret voice -覇淮


 今よりもずっと低い位置の目線から見られるものが、己の世界のすべてだった頃に興じた遊び。


『なな、郭淮、耳ふさいで。そう、なんもきこえないように手でぎゅーっと押さえてろよ、ずるしたらダメだぞ?
そんでな、おれの言ってることあてて、ちゃんと返事してくれよな」

 当たったら碧桃樹の咲いてる場所、特別にお前だけに教えてやるから。
 そう言って引っ掻き傷だらけの鼻の頭を指で擦り得意気に笑う俺に、郭淮は「なんともまぁ…可愛らしい遊びですね」と呆気にとられたような顔をした後で
俺が話しかけるまで筆を走らせていた書簡を丁寧に片付け、こちらに向き直ると困ったように微笑みながらこうでしょうか?と艶のある長い髪から覗く耳を塞いで見せた。
 ずるはダメだぞ、と俺がわざわざ釘を刺す迄もなく、譬え幼子相手だとしても塞いだふりで誤魔化すような事をする男ではない事は己が一番よく分かっていたが。
『こう…で、宜しいでしょうか?夏侯覇殿』
 そんなに押さえ付けたら痛いだろうに、と心配になる程強く塞いだ郭淮の両耳は薄ら赤く染まり、外部からの音が拾えていない状態である事を言葉よりも饒舌に伝えてくれた。
 他の大人達ならばそんな事は下らない、と一笑に付されるような事にでも糞真面目に付き合ってくれる郭淮に今思えば俺は随分と甘えていたような気がする。

『じゃ、言うからな!』
『……………………』
『………』
『ほい、郭淮もういいぞ、どうだどうだ、わかった?」
 絹の着物で隠された郭淮の細い膝の上に跳び付いてよじ登り、小さな手で聴覚の解放を促し歯を見せて笑った俺は、眉を八の字に下げて破顔一笑する郭淮に
驚く程の強さでぎゅっと抱き締められ、その上頬擦りまでされ流石に慌てふためいた。
『ちょ…!な、なんだよいきなり』
『……はは、口唇の動きを読むまでもありませんでした、夏侯覇殿。あなたは全部御顔に出る』
 その後己の望んでいた答えを淀みなく紡いだ郭淮に幼かった己は大層驚かされ、こいつは読心術でも会得している仙人なのではないかと疑い父さんに大笑いされた遠い日の思い出。
 

 既視感。
 そんな錯覚を覚え、俺はすぅ、と土埃に塗れた空気を肺に吸い込み瞳を眇めた。
 試しに、本当にあの時の郭淮と同じように自分の両耳をぎゅ、と自分自身の手で塞いでみる。
 こうしてしまえばもう彼の言葉など己の耳には聞こえてこない。
 無謀にも単身で敵陣である此処に飛び込み、悲壮な決意を固めた顔で俺の死を望む言葉をその口唇から吐き捨てる郭淮を真っ直ぐに見据えた。

 言葉を排除してみれば不思議なことに表情だけを純粋に受け入れる事が出来るから、巧妙に隠された心の輪郭もはっきりと浮かび上がって見えてくるのだ。

 


 両耳を塞いでいた手をゆっくりと放し、噛み締めすぎて鉄の味が口腔内に広がる口唇の端をく、と吊り上げ、笑った。
『わたくしも夏侯覇殿の事が大好きですよ』と、あの時幼い己を抱き上げながら笑ってくれた郭淮のように素直な返事は今の己には返す事は出来ないけれども。


「いやいやいやいや…今回も、とは奇遇だなァ…郭淮、俺も、同じなんだぜ」

 強く握りなおした大剣の柄がぎり、と軋んだ音をたてた。


 fin

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