puppy(2)-覇淮+艾


 突然現れた怪異に驚き丸腰で良いものかと身構える己に、郭淮の溜息と「よくご覧ください」という低い声がかけられ物の怪が消えたあたりの水面に視線を戻す。

「夏侯覇殿です、ご安心下さい」
 否、自分の良く知る夏侯覇殿は背丈は小さいながらも明朗快活な若武者であり、決してこのような禍々しい妖の類では。
 そう言いかけてよくよく眼を凝らして見ると確かに彼の言うとおり、水飛沫の中滅茶苦茶に身を捩らせているのは件の人物に間違いが無い事に再び心臓が止まりそうになる程驚かされた。
 それと同時に夏侯覇がひどく泳ぎを苦手としている事も思いだされて一瞬にして血の気が引いた。
「郭淮殿、はやく夏侯覇殿を御助けせねば…!」
「………いえ、これでも一応…泳いでいるのです」
 陸に揚げられた鯉のように水の中で七転八倒、大暴れしながら一尺も進んでいないこの状態を『泳いでいる』と言われても俄かには納得がいかなかった。
 先程見せられた丈夫な縄はどうやら片端が夏侯覇の腹に結ばれているらしく、泳ぎの練習をしている間、深みに流されたりしないよう心配性の郭淮が用意したものだと説明されて漸く合点がいったが。


「…まるで仔犬ですな」
 そう、木に繋がれる犬のようである。
「……ええ、息だけは恐ろしい位続くようなのですが他がどうにも…」
 皆に極秘で泳げるようになりたいという彼の熱意に絆されて、こうして連日特訓に付き合ってはいるのだが哀しい程に上達しません、と独り言のように呟き郭淮は肩を落として大きな溜息を吐いた。
 基礎からしっかりと教えたつもりなのですが…そうぼやく彼には悪いが、やはり自分には盛大に溺れているようにしか見えなかった。

 暫く二人遠い目をしながら、派手な水柱をあげるだけで前方に進む気配を見せない夏侯覇の泳ぎを眺めていると彼は急に何かに気付いたように動きを止め
水中にどぶんと両手を差し込み暫く探った後、いそいそとこちらに戻ってきた。
 それまで全く己の存在には気が付いていなかったらしく、郭淮の隣に立っている自分に気付くや否や団栗のような目を真丸に見開いて「おいおいおいおい、見てたのかよ?!俺が泳いでるの!」と
照れ臭そうに笑うものだから、溺れている所は散々見せて頂いたが泳いでいる所は残念ながら…とは口が裂けても言えなかった。


「今度は何でしょうか?」
「おう!すっげえの見つけたぞ、郭淮!」
 彼の次の行動が分かっている、というように郭淮が差し出した掌の上、仰々しく夏侯覇が乗せたものは小さな巻貝に入ったヤドカリ。
 手渡した事で満足したのか夏侯覇はにっこりと微笑んで再び先程まで彼が溺れ…もとい泳いでいた場所にいそいそと戻りまた心臓がきりきりと痛み出すような作業に没頭しだす。
 疲れ果てたような顔でこちらを横目で窺いながら郭淮が、掌の上で振って見せたものは幾粒かの貝殻と小さな淡水蟹の子供、そして先程のヤドカリと謎の水棲生物が数種類。
「仔犬というよりも鵜飼いですな」
「否定は出来ません」


 一度やると決めたら驚く程に諦めの悪い鎧武者の事だ、この特訓はこれからも暫く続いてしまうのだろう。
 そして超が付くほどに過保護で心配性な郭淮の心臓が、この状態が毎日続く事に果たして耐えられるのだろうか。
 自分には何も言えないがどうか心労で倒れてしまう前に夏侯覇が人並みの泳ぎを会得してくれればと願う。
 色々な意味で不器用極まりない二人に心の中でそっと声援を送り、自分は静かにその場を後にした。



 あれから数日が経つが依然として夏侯覇が泳げるようになった、という報告を聞くこともなく
 今日も自分は軍議が終わった後で嬉々として湖畔に出かける若武者の後ろ姿と彼の数歩後ろに続くげそりとした様子の保護者を幕越しに身守るのだった。


fin

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