precious(1)


 慣れる、ということと何も感じなくなるということは似ているようで大きく異なっているものだと心よりも先に身体が理解する。

 崩れかけた、おそらく昨晩までは人であったものをチラリと横目で見遣っても、最初の頃のように吐き気がこみ上げることはなくなった。
 1つ、2つ、3つと瓦礫の中を走りながら視界に飛び込んでくる死骸を無意識に数えながら、たちこめる煙の中をただ只管に、昨夜血と硝煙に濡れたこの戦場がまだ「街」だった頃仲間達と確認した待ち合わせ場所に走っていく。


 不意にかたい軍用ブーツの底がグシャリと嫌な音を立てて道端に積みあがった骨を踏み散らした。
 踏み潰された白いそれは埃に紛れてフワリと空に浮き、音もなく風に流されていく。
 人はこんなにも呆気なく、己の存在していた証の名残までを失ってしまうんだな、と この場に似つかわしくない感慨に一瞬気を奪われたが、空を覆った黒雲の隙間に走る閃光に弾かれたように天を見上げた。

 雲行きがよくない。
 これは一雨来るな、と舌打ちをした刹那、ポツリポツリと頬に冷たい水滴を感じる。
 自分達が粉々に破壊してしまった為なのだが、全く目印が無い見知らぬ土地で土砂降りの中目的地まで辿り着くことは容易なことではない。
 下手をすれば道に迷い、余計に無駄な時間をくってしまうだろう。

「・・・ッたく、ついてねぇな」
 思い返してみるだけで今までの自分の人生、幸運だと思えることは驚くほど少なかったような気がする。この手で奪った罪も無い人間の命の重さだけ、己の人生の一部が削り取られているのかもしれない。
 しかしそれを呪いだ何だと怯えるような非科学的な性格は持ち合わせてはいないが。
 戦場で頼れるものは己の力のみ、祈り縋る神も自分の中には最初から存在していないのだ。

 まあ、今さらか。と天からの涙に濡れた金髪を犬のように軽く頭を振ってからかきあげ、瞳を細めてすっかり色を無くしてしまった瓦礫の山を眺めた。
 折れた教会の尖塔が黒い煙の中に微かに見える。
 信仰の象徴のようなその建物は、ほとんどが崩れきってかろうじて教会だと見分けられる程度の石壁しか残っていない。
 そして散乱する石の塊に混じって折り重なるように倒れている死骸にやれやれと頭を振った。
「信じるものは救われる〜・・ってのはとんだインチキ商法だってのが、死んでようやく分かっただろ?」
 その言葉を聞くことが出来るものが、既にどこにも存在していないことは分かっていても唇から自然に自嘲にも似た呟きが零れ落ちた。

 神様とやらは残酷なほどに平等で、聖人君子にも、普段は路地裏で汚泥に塗れながら女と酒と薬に溺れる奴らにも結局は同じように惨たらしい死を与えるものらしい。
 そう考えると、何時までも死ぬことすら出来ない自分達は神様にまで見放された存在なのだろうか、と些か寂しさにも似た気持ちになる。
 クク、と唇が笑みを形作り、返り血でベットリと黒く染まった胸のポケットから煙草を取り出し、咥えて死体の上で未だ燻っている残り火にその先端を押し付けた。

 馬鹿らしい。

 スウ、と紫煙と共に咽返るような戦場の空気を肺に吸い込み、鼠色に曇った空を仰いで唇から細く絞った煙を溜息と共に吐き出す。
 弱ければ死ぬ、強ければ死なない。この世界で生死を分けるものなどその1点に他ならない。
 最早、もとは何人だったのかも分からない程損壊した屍骸の山に半分程の長さが残った煙草を花を奉げるように恭しく手向けた。

 東洋では、香を焚くことで魂を慰める、と聞いたのはそういえば何時だったろうか。
「生まれ変わったら、今度は俺たちに出会わない幸せな人生を送れよ。アーメン」

 見様見真似で神父の真似事をし不恰好に胸の前で十字を切ると、物言わぬ死体の山から踵を返して再び道標の無い道を独り、走り出した。

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