11/21 ヲルヘン(1)


8:00 AM

 カーテンの隙間から差し込む乳白色の光を、閉じた薄い瞼越しに感じる。
 夢と現の境界で優しい眠りの女神に抱かれながら幾度目かの寝返りを打っていた私の頬に、女神とは別の人間の…温かい掌が添えられ、そのまま頬と鼻の頭、最後に額へと花びらのように舞い落ちてきた口唇の感覚。
 触れてはすぐ溶けて消える粉雪のような柔らかな刺激に覚醒を促され、ゆるゆると瞳を開いた。
 この3度のキスが目覚まし時計に代わり私を起こしてくれるようになってからどれ位経つのだろうか。
 数度の瞬きの後でぼやけた視界が捉えた穏やかな笑顔、それに応えるように自然と微笑んだ私に、彼は「寝坊する奴の朝食は無いぞ」と瞳を細めて笑う。ああ、眩しい笑顔だ…私の一番好きな、顔だ。
 ヘンリー・タウンゼント…302号室という狭く豊かな王国の主は、続けて口唇へのキスを強請る私の腕を器用にひらりとかわし離れ際に鼻頭を抓る可愛らしい悪戯を残して寝室を出て行った。
「あぁ…成る程、今日は日曜なのか…」
 彼の背中が視界から消えた後も私はぼんやりと寝室のドアを眺め続け、少しだけ首を傾げた後でぼさぼさになった髪を撫で付け取り敢えずシャワーを浴びる為に身体を起こした。



13:08 PM

 パンにピーナツバターを塗ってバナナを挟んだだけの簡単なサンドイッチで軽い昼食を取りながらソファの上で熱心に車のカタログの頁を捲るヘンリーを眺め、私は肩を竦めて先程から何度繰り返したか分からない言葉をまた一つ口唇に乗せた。
「どちらでも良いのではないか?」
 お前が良いと思うのならば、そう付け加えた私にヘンリーは拗ねたような目を向けて、またそうやって適当に…とぼやく。
 ヘンリーとのとりとめのない会話は楽しいのだが、車の装備について問われた所で基礎知識がまるで備わっていない私に彼が満足行く答えを用意出来る筈も無い。
 そこらへんは彼も分かってはいるのだろうがたまにこうして相槌だけを求め私に話を振ってくる事がある。
 普段から余り喜怒哀楽を表に出さない彼が少年のように夢中になる姿は見ていて非常に興味深いので、何度同じ話を振られてもこちらとしては一向に構わないのだが……
「燃費の良さを優先するとこっちなんだけどなぁ…いや、しかし私の給料でローンを考えると…」
 本気で好きなのだろう、幾度熟読したか分からないカタログは端が折れてあちこち皺が寄ってしまっているがそれでも捨てる気はさらさら無いらしく目下彼が夢中なその車が大きく印刷された表紙をうっとりとした顔で眺めている。
 カタログのあちこちに赤いペンで○が付けられているところをみると購入するならばこれ、と心に決めたものがあるらしいが如何せん先立つものは無い、新車で購入した後の維持費も馬鹿にならない、という事で空想の中で憧れの車を手に入れた自分を想像し、毎度満足しているらしい。
 つい今しがた私におざなりな返事を返され自分が拗ねていた事も既に忘れてしまったように、また新しいカタログを広げ「ならばこれとこれは?」と問いかけてくるヘンリーに苦笑いを零しすっかり冷めてしまったココアを啜り込む。
 そして今度彼が仕事に出ている間積んである雑誌の山を参考に私も少し勉強してみるか…などと考えながら現状一つしか手持ちが無い答えを繰り返し言の葉に乗せるのだった。

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