sick ヲルヘン(4)


 二度目の目覚めは電話の音に呼び起こされた。
 チャ、という微かな音に片目を開き、すっかり暗くなってしまった室内に食事の後随分と深い眠りに落ちていた事を知らされた。 
 頭は…痛くない、腹も大丈夫そうだ、声を出そうとする度鑢で擦られるような痛みが走りお手上げだった喉も、今は随分と楽になってきている。
 暗闇に目が慣れるまで暫くの時間を要した、電話は一言鳴いただけであとはだんまりを決め込んでいる。…呼び出しの音ではない?ああ、受話器を持ち上げた時のあの音か。
 そこにきて初めてベッドの傍らにあるとばかり思っていた電話がギリギリまでコードが引き伸ばされ寝室の外に移動している事に気付き私は片眉を上げた。
 同居をはじめてから今までウォルターが私用で部屋の電話を使った事など一度も無い。
 詮索するのも無粋だが一体誰にどういった用件で電話をかけているのだろうか?むくむくと膨れ上がる純粋な好奇心に誘われ私は未だ力の入り切らない身体を壁に手をつく事でなんとか支え、コードを通す為薄く開かれたドアのすぐ向こう側に居るであろう彼に気付かれないよう慎重に歩みをすすめた。
 両脚の感覚も戻ってきている、あれ程私を苦しめていた頭痛も市販の薬に白旗を掲げたのかすっかり大人しく治まっていた。
「………・・・ええ、念の為に休ませて…ええ、恐れ入ります、はい。彼に私から伝えておきます」
「……?」
 ドアの隙間からそっと覗いてみるとウォルターが抱えているものは見慣れた電話機と黒い私の手帳…ああ、もしや私の仕事先に明日の連絡を入れてくれているのだろうか。
私に相談が無いのは少々頂けないが確かにこの体調では何時も通り出勤することは難しいだろう、ここは無断欠勤にならないよう気を廻してくれた彼に感謝するべきだ。
しかしそれにしても、私やアイリーン以外の人間と言葉を交わすウォルターを見るのは初めてだな…と息を顰め物音をたてず壁越しにじっと彼の声を聴き続ける。

「明日の夕方の具合によってまた御連絡差し上げますので……ええ、私?…ですか」
 少しだけ声の調子が変わった。誰に、何を訊ねられているのだろう。
 盗み聞きのようで気が引けたがやはりどうしても気になってしまい、次の言葉を待つ私の耳に少しの間を置いた後、ウォルターの穏やかな声が心地よい重さで舞い降りた。
「ウォルター…。ウォルター・タウンゼント、……ええ、それでは失礼」
 カチャ、と音を立てて電話が切られると同時に、私は壁に半身を預けた儘ずるずると重力に抗えずその場に屈み込んでしまった。
 早くベッドに戻らなければいけないと思いながらも火照る頬を抑える事が出来ず、ただ蹲る事しか出来ない私の目の前でゆっくりとドアが開く。
一瞬驚いた顔をみせたウォルターはすぐに状況を理解したらしく「聴いていたのか」と頬を掻いて、糸が切れた操り人形のようになってしまった情けない私に片手を差し出してくれた。

「………いつから君は私の兄になったんだい」
「ああ、旦那だと言った方が良かったかな、気がきかなくてすまないヘンリー」
 ぺろりと舌を出すウォルターにむぅ、と口唇を尖らせて俯く。
 くそ、頬の火照りが治まらない。全部この男のせいだ、あんなにも冷たかった筈の身体の奥が炎で焙られたように熱を孕んでいるのも病とは違う部分で胸がざわつくのも形振り構わずその腕に縋り付きたくなるのも。
 そうだ腹癒せにもう一つだけ我儘を言って困らせてやろう、病人には優しくするのが家人の務めならば彼もそれに従うべきだ。
 ウォルターの差し出してくれた腕を掴みグイッと手加減抜きに私の方へと引き寄せ、予想通りバランスを崩した彼の身体を両腕を伸ばして抱き止めながら私は夜の静寂を揺らす小さな呟きをそっと濡れた口唇に乗せた。
「なぁ、温めて」


 その声が熱く潤み酷く掠れていたのは、恐らく病のせいに違いない。



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