無題 ヲルヘン(2)


 今こうしてベンチに座っているのは自分だけ。
 そういえばあいつは?あの男はどこに行っ…
 思わず反射的に腰を浮かせて立ち上がろうとしたところで、上げた視界の真正面に捉えた光景にへなへなと力が抜けてしまった。

 明るい公園の片隅で、軽快な音楽をかけながらキャラメルポップコーンを売る小さな可愛らしいワゴン。
そしてたっぷりのポップコーンを湛えている、そのアクリルで出来た箱の側面にべったりと片頬を押し付けるようにして興味津々中を覗き込んでいる長身の男。
 …可哀想に、販売員がすっかり怯えた顔でワゴンから距離をとってしまっているではないか、これでは営業妨害も甚だしい。
 傍らを通り過ぎる親子連れの「ママァ、あのお兄ちゃんなにやってるの?」「シッ、見ちゃダメよ」という頭の痛くなるようなやり取りに私は渋々と重い腰を上げた。

「すまない、ウォルター。睡眠不足が祟ったのかな」
「ん、目が覚めたのか。珍しくよく寝ていたからな、起こしてはいけないと思って………どうしたんだ?ヘンリー。寝ていた割には顔色がひどく悪いぞ。悪い夢でも見たのか」
 彼の気遣いは有難いが、『夢の中で過去のあなたに殺されそうになっていました』とは流石に言えやしない。
 曖昧な笑みを浮かべて「夢の内容は忘れてしまったよ」と取り繕いながら歩み寄り、やんわりと屈んだ彼の肩に手を置いた。
「ウォルター、そうワゴンを抱え込んでしまっては皆の迷惑になるよ。スナック菓子は家にあっただろう?」
 スーパーマーケットで買ってきた大袋入りのポテトチップスが確か棚にあった筈だ。そう告げれば彼は子供のように口唇を尖らせて、ポップコーンが弾けるところを見るのは初めてなのだと言った。



「ポンポンと弾けて実に面白い」
 瞳をきらきらと輝かせワゴンを飽きもせず眺め続ける端正な横顔に、やれやれと今日何度めか分からない溜息を吐いた。
 この男、教団施設に監禁されていた子供時代、大量に詰め込まれた書物のおかげで私では到底無理な大学に悠々合格出来た程の優秀な頭脳をもってはいるが、その癖普通の子供があたりまえのように受ける親からの愛情と云うものを何一つ与えられなかった為、こういう
方面に関しては信じられないぐらいに疎いことに驚かされた。
 アルバイトらしき若い店員が途方に暮れた顔で、私とウォルターの間で何度も視線を往復させているのもそろそろ居心地が悪くなってきた。
 30代も半ばを過ぎた外見の男がワゴンにへばり付いている光景はそりゃ気味が悪いだろう、そのワゴンが自分の商売道具なら尚更のことだ。
君の気持ちは痛いほどによくわかる。
 逃げ腰の彼を手招きで呼んで、私はポケットから数枚のコインを取り出しながら人差し指を立ててみせた。

「すまない、1つ貰えるかな」
 ポップコーンワゴンに同化していた大男が、私の言葉に瞳を輝かせ子犬のようにピョコンと顔を上げた。
「いいのか?ヘンリー」
「ああ、…たまにはね」
 本当は夕食前の買い食いはあまり良くないんだけど、そう窘めるように続けた私の声は、憎らしいことに彼の耳には全く届いていないらしく店員がポップコーンを紙袋に掬い入れる間もずっと彼の視線はそちらに釘付けだった。
 ぶんぶんと激しく振り立てられた透明な尻尾が彼の尻に透けて見えるようでなんとも可笑しな光景に苦笑いが零れた。
 嬉々として店員から温かい包みを受け取るウォルターの姿に瞳を細めて、私は先にベンチへと戻ることにした。
 ポップコーンが弾ける様が物珍しい、…確かにそれも欲しがる理由の一つにあるのだろうが彼がポップコーンに惹き付けられたきっかけは多分、私たちの周りに広がるこの光景なのだろう。

 隣のベンチも、そのまた隣も。
 公園のあちこちで仲睦まじくポップコーンを摘まむ親子の姿がなんとも微笑ましい、長閑な午後のひととき。
 幼い頃に母親の愛情を与えられなかったどころか親の顔すら知らないまま棄てられたウォルターにとって、この菓子が親子の絆を結ぶ魔法のアイテムに見えたとしても不思議ではないだろう。
 思わず笑ってしまう程特盛りにサービスされたポップコーンを、溢さないよう慎重に運んできたウォルターの為に隣を空けて並んでベンチに腰掛けると、案の定。

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