無題 ヲルヘン(1)


 小さなアパートの一室、生まれた部屋に臍の緒がついたまま置き去りにされ、狂ったカルト教団の運営する孤児院で育てられた哀れな男。
ウォルター・サリバン。

 そう、彼の不幸な生い立ちを聞いただけならば同情を誘う話なのだが、彼はその後頭のいかれた集団に日常的に虐待を受け、育てられたおかげで
母に愛されたいという純粋な欲を満たすために結果20人もの人間を殺害する事件を引き起こすことになる。
 自身の手で絞殺、拳銃で射殺、ゴルフクラブや鉄パイプで撲殺…目を覆いたくなるような連続殺人の記録。
 凄惨な殺し方の割に、どの事件も現場に偶然あった凶器で被害者を襲っているという無計画さと、老人から10歳にも満たない幼い兄妹までまったく無差別に選ばれた犠牲者
達のリストは捜査に当たった警察を酷く混乱させた。
 おそらく誰でも良かったのだろう、儀式を成功させる為の血と生贄さえ手に入ればたとえそれが昨日まで隣で笑っていたような存在でも。
容易く殺せるならば彼には躊躇う理由がなかったのかもしれない。
 殺害後は骸から心臓を抜き出し、ご丁寧に傷口を縫い合わせてから用の済んだ遺体を棄てているというこのイカれた猟奇殺人の目的が『ママに会いたいから』…だというのだから、何とも後味の悪い話だった。

 そして彼の21人目の犠牲者になる予定だったのは他でもないこの私だった。
 すべてが終わった今でも、その事を思い出す度ゾクリと背筋が寒くなる。
 母への執着と無意識の憎悪、歪んだ妄想から生みだされた血と膿と錆に塗れた異質な世界で、何度も執拗に追い回された記憶のせいか元々精神的にそう強い方ではない私は事件の後しばらく悪夢に魘されては飛び起きる夜が続いた。

 夢の中ではいつも私は何の武器も持たないまま、只管猫に追われるマウスのように暗闇の中を手探りで逃げ惑っている。


(…あり得ない、これは夢だ。すべては終わったことなんだ)
 背後から感じる肌を刺すような嫌な気配がだんだんと私に近づいてきて、そして紅い闇の中から死神のようにあの男が姿を現すのだ。ウォルター・サリバン。
 逃げ道を壁に塞がれて、為す術もなくゆっくりと目の前に迫るその男の名を震える口唇で紡ぐ私に、彼は幼子のように小首を傾げて笑う。
 長身で逞しい体躯、アッシュブロンドの髪には所々血がこびり付き端正な顔に酷薄な笑みを湛えた殺人鬼が、魂を狩る大鎌の如く何人もの犠牲者の血を吸った錆びた手斧を私の目の前でゆっくりと振り翳す。
 逃げなくてはと思っているのに私の両の足はぴくりとも動いてはくれない。このままぐずぐずしていたら確実に柘榴のように呆気なくこの頭を割られ、絶命するのが分かっているというのに。
「ウォルター…」
 振り絞るような、掠れた己の声を嘲笑うようにウォルターは口端の笑みを深めて躊躇いもなく手斧をこちらに向かって振り下ろした。

「うあぁぁッ……?!」

 一瞬にして視界は眩い光に包まれて、じりじりと照りつけてくる午後の太陽の強烈な日差しにココが異様な異世界などではなく、サウスアッシュフィールドハイツの近くにある小さな公園のベンチの上だということを思い出し、私は安堵の溜息を吐いた。

 周りの喧騒をぼんやりと聞きながら額に伝う嫌な汗を拭う。
 まだ夏には随分とはやいというのになんという陽気だろう。
 己が先程まで肌に感じていた温度との差にあらためてアレが夢だったのだとはっきり確認する事が出来て、私はベンチの背にだらしなく体を凭れさせたままずるずると項垂れた。
 空は雲一つ無く真っ青に晴れ渡り、木々は青々と芽吹き花壇には色とりどりの花が咲き乱れている。
 そんな光景に、草臥れ不健康にやつれた己のなんと不釣り合いなことか。
 青褪めた顔で俯く己の狭い視界を、子供の小さな靴が軽やかに横切っていく。
 幼子の笑い声が響き渡る平和な公園の風景に、ホッとすると同時にもう一つ失念していたことを思い出した。

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